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日本古代史(九州王朝説を中心に)

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自分が書いたブログから転載、編集した文章です。
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#九州王朝

九州王朝論の20の主な主張

「九州王朝論の比較」に書いた文章を転載します。 九州王朝論は、論者によって様々な違いがありますが、このページでは、九州王朝論に独自な、20の主な主張を紹介します。 大まかに言えば、白村江の敗戦まで、あるいは、大宝律令による律令国家としての日本国が始まる以前においては、倭国を代表する王朝は九州にあったとするのが、九州王朝論です。 九州王朝論の主な論者には、「筑紫一元論」の古田武彦、古賀達也、大下隆司、「筑豊二元論」の福永晋三、兼川晋、室伏志畔、「筑肥二元論」の佃収、「筑奈

竹取物語の源流:隼人と天皇

少し前に、「竹取物語」の解釈をテーマにした3つの投稿をしました。 本投稿は、直接、「竹取物語」の解釈とは関係なさそうなのですが、その背景として興味深い、「隼人」に関わる情報(海幸山幸神話、天皇、竹、月、九州王朝、丹波などを含む)を紹介します。 古代日本の南九州に住んでいた隼人は、竹文化、月信仰を特徴とし、「竹取物語」の祖型の物語も、隼人に由来すると思われます。 記紀の日向神話は、隼人と密接な関係があり、竹の要素も見られます。 日向神話には、「竹取物語」と類似する異類婚姻

消された月神信仰:筑紫、出雲、丹後、伊勢…

現在、皇祖神はアマテラスとされていますが、記紀を読めば、いくつかの箇所でタカミムスヒが主神のような働きをしていて(例えば日本書紀本文ではタカミムスヒが天孫降臨を司令している)、皇祖神はもともとタカミムスビだったということを、多くの論者が指摘しています。 また、田村圓澄によれば、記紀のアマテラス像は、天武期に説かれるようになった、護国の経典「金光明経」の太陽のように輝く仏の影響を受けています。 この時期、白村江の戦いの敗戦の責任のない新しい神が求められたこともあります。 ま

邪馬台国の大和説が成立しないことの本当の意味

関川尚功氏の「考古学から見た邪馬台国大和説 畿内ではありえぬ邪馬台国」(‎梓書院、2020)は、考古学的に見て、邪馬台国大和説(纏向遺跡=邪馬台国の中心地説、箸墓古墳=卑弥呼の墳墓説)が成り立たないことを論証した書です。 関川氏は、橿原考古学研究所などで、50年に渡って大和の発掘調査の第一線で活躍してきた人物ですので、この書が出版された意味はとても大きいものです。 関川氏はこの書で、邪馬台国大和説(邪馬台国畿内説)は、考古学の実態を無視して議論が行われていると嘆いています

古田武彦による日本古代通史

「九州王朝論の比較」に書いた文章を転載します。 7Cまでの倭国は筑紫にあったとする九州王朝論を初めて主張したとされるのが古田武彦です。 彼は、親鸞を中心とする中世史学の研究者でしたが、1969年に「史学雑誌」に「邪馬壹国説」を発表して以来、倭国は一貫して九州にあったとし、また、日本各地にも王権があったとする多元的な日本古代史の研究を発表しました。 現在は、古田史学の会のメンバーなどが、古田説を継承しながら、研究を続けています。 このページでは、古田武彦、及び、古田史学

九州から奈良への寺院の移築と人の移住

「九州王朝論の比較」に書いた文章を転載します。 何人かの九州王朝論者は、「日本」が成立する直前の天武期に、北九州から近畿の飛鳥、藤原宮などへ、多くの寺院の移築や、人の移住があったと主張します。 法隆寺の移築 法隆寺は、上宮法皇の病気治癒を願って、623年に現在の若草伽藍跡に建立されましたが、書紀によると670年に全焼しました。 ですが、現在の五重塔の心柱は594年に伐採された木材であり、屋根の木材は624年から663年のものがあり、いずれも、焼失より古いものです。

消された九州王朝の万葉集

「九州王朝論の比較」に書いた文章を転載します。 古田武彦は、現存する「万葉集」には不審点があり、もともとは九州王朝が作った「倭国万葉集」をもとに作られたのではないかという説を提唱しています。 以下、古田の説を簡潔に紹介します。 参考 *「人麿の運命」(古田武彦) *「盗まれた神話」(古田武彦) (「古代史の十字路 万葉批判」は未読です。) 万葉集の不審点 古田武彦は、現存の「万葉集」には、以下のような不審点があると言います。 ・冒頭が「雑歌」の一句で始まっている

竹取物語は竹斯(九州筑紫王朝)取りの物語

「九州王朝論の比較」に書いた文章を転載します。 室伏志畔は、「竹取物語」は近畿皇統による「竹斯(チクシ)」取りを告発する物語だと考えます。 糸島半島の姫島に隠れ住んでいて、平城京遷都の翌年に水死自殺した姫島の乙女が、かぐや姫のモデルです。 彼女は、九州王朝のラスト・プリンセスで、九州王統の高市天皇に嫁ぐはずだったのですが、高市天皇が謀殺され、近畿王朝の実力者達から求婚され、拒否し、自殺に追い込まれました。 「竹取物語」は、近畿王朝が彼女を奪おうとしたことと、九州王朝の