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私の魂が肉体を離れかけてこの世ではないどこかを彷徨っていたある日、「私は殺されても死なない」というメッセージが頭の中に響いた

24歳の誕生日まで1ヶ月を切った頃、私は気が狂った。
「気が狂った」というのは適切な表現ではないかもしれないが、事実、私は2週間ほど覚めない夢の中に居て、大学附属病院の「神経科・精神科」という「箱」の中で、徐々に徐々にこちらの世界に戻ってきたのだ。

クスリはやっていない。心を病んでいたわけでもない。発作的に死を選んだわけでもない。(いくつかの理由で複合的に精神的ダメージを負っていたことは否めないけれども)

そして端的に表現するならば、私は内田有紀さん演じる「クワイエットルームにようこそ」という映画の主人公にほど近い体験をした。映画の中の彼女は、仕事に追われ、人付き合いにストレスを感じ、恋人との関係がよろしくなく、ある夜お酒を飲みながら錠剤を次々口に放り込み、気を失い、気付けば病院のベッドに拘束されていた。

入院直前当時の私の場合は、高校卒業以来かなり本気で勉強し、まずまず手応えのあった再就職試験に不採用となった理由が「甲状腺機能亢進症」の治療(薬の服用)中であると申告したことにあると知って落ち込み、年末に私の引いた風邪が祖母に移って悪化したために「私のせいでばあちゃんが死んでしまう」と自分を責め、自身は病院に行かず種類の違う市販薬を交互に服用し、その風邪が治り切らない内に参加した同窓会で酒を飲み、その内幻影を見たり、冬の最中に薄着で家の周りを走り回ったりするようになったようだ。困った家人は3人掛かりで暴れる私を乗用車で病院に連れて行った。「救急車を呼べばよかったのに」と言われる程の状況だったらしい。後部座席で押さえられている断片的な記憶はあるが、先に述べたように、その前後2週間ほどの意識はほぼほぼない。

映画「クワイエットルームにようこそ」の予告編を動画で検索して見てみると、最後に「ここは誰もが生まれ変われる場所」というキャッチコピーが現れて近づいてきた。確かにそうだ。私はあの場所で一度生まれ変わった。

当初、処方された薬のせいで、ぐったりしていたことが多かったように思う。時には逃げ出そうとしたり暴れたりしては押さえられ、注射もされた。なんせ、基本じっとしていられない「多動児」そのものだったのだ。そんな状態でも少しずつ「こちらの世界」のことを把握しつつあったある日の診察の時、担当医の質問に答えて私は言った。

「〜でちゅ」

へ?
自分が口にした言葉の語尾に自分でツッコミを入れた。
「でちゅ?」
ひとり言のように言うと、側で母が「あんた、赤ちゃんに返っとったんよ。ほんな話し方しよったん、覚えとらんで?」と告げた。

ああそう言えば。朦朧としていた時間の中で、思い当たる内容の夢を見ていた。複数の友だちと、輪廻の約束をするのだ。順番に、母となり子となり、この世に生まれる。そうして「生」を繋いでいく命のリレーの約束。だとすると母と私は、あちらの世界で約束を交わした友だったのか。思えば私はあの場所で生まれ変わることにより、改めて母との「母子の時間」を過ごさせてもらった。

実を言うと私は子どもの頃、あまり母に構ってもらった記憶がない。私が2歳になって3ヶ月ほどで弟が出来、母の関心はほぼ弟に向いているように感じていたし、元々スキンシップを取るタイプの人ではなかったので、幼少期の母との断片的な記憶には、甘え切れなかったもの寂しさが付随する。かと言って、母とわだかまりがあるような関係性ではなかったし、両親にとって唯一の女の子であった私は明らかに父親っ子であり、兄や弟からしてみれば、逆に父とのスキンシップをひとり占めしていたとも言える。

それはさておき、「ふしぎなメルモ」のメルモちゃんが赤いキャンディと青いキャンディを続けざまに食べて急速に大人に戻ったかのように、話し言葉が再び実年齢に一致した私は、なぜか英会話の能力も開いてペラペラになっていた。入院中、アメリカ映画を鑑賞させてくれた際、字幕を見ずともストーリーがほぼ理解出来るようになっていたのだ。大学は国際と付くコースを卒業しただけで、実のところ英語の会話力はまったく伴っていなかったのは自覚していたから、明らかに不思議現象である。

その数年後、ある日不思議な光を浴びて以来、主人公が超能力的な才能を発揮する、という映画を観た時、入院当時の自分にも同じような事象が起こっていた僅かな可能性を考えなくもなかった。主演はジョン・トラボルタの「フェノミナン」というアメリカ映画だ。彼は辞書にさっと目を通しただけで新しい言語を習得出来たり、モールス信号の謎めいた暗号を難なく解けたり、念力で物を動かせたりした。

私の場合は、映画以外にも医師が話す医学用語の意味が理解出来たり、描き殴るように色鉛筆を走らせると、これまで描いたことのない立体的なクマのぬいぐるみが現れたり、初めて聴く曲なのに、歌詞が作者の想いと共に毛穴から入ってくるような感覚がしたりした。そしてある時、後頭部に直接誰かからのメッセージが届いたと感じることがあったのだ。

「私は殺されても死なない」

テレパシーというやつだ。誰からかは分からなかった。が、私ではない「誰に」向けた言葉なのかは直感的に感じ取って、その人(入院中のひとり)に伝えた。すると彼は「それ、俺にや!元カノに言われたことがある!」と驚いて答えたのだった。

入院中、そのテレパシーの話は、もう1人にした。たまたま、ベンチに居合わせた男性。
最初は「そのスニーカー、かっこいいですね」などと当たり障りのない言葉を掛けたのだけれど、ふと彼が真顔で「人は本当は空を飛べる」と言い出した。当時人気のあった漫画「ドラゴンボール」に出てくる「舞空術」という技を使いこなす登場人物たちは、氣をコントロールしながら放出することで宙に浮かぶ。それも踏まえて、出来なくもないよな、と常々思っていた私は、彼に同意した。「そうですよね、飛べますよね」と。この人なら、私のテレパシーの話も通じるだろう、そう思って切り返した。

「テレパシーもありますよね」と。

彼の返答は見事に私の期待を裏切ってくれた。

「いやいやいやいや、ソレ(テレパシー)はない!」と。

「……」

あぁ、そうですか。

「人は死なない」というタイトルの本がある。そのタイトルを目にした時、「確かにそうだな」と違和感がなかった。その本を書かれたのが現役の医師の方だというのは、少なからず驚きであったけれども、本が出版されたのは2011年で、私がそのメッセージを受け取ったのはそれより15年以上前のことだ。もしかすると、その15年余りの間に「私は殺されても死なない」というメッセージは、噛み砕かれて「人は死なない」と私の中に浸透していたのかもしれない。

「私は死なない」

今、私はそう思う。もちろん、肉体は死を迎える日が来る。
けれど、私の魂は、意識は、死ぬことがない。と思う。

逆に、肉体は生き続けていても、他の人の人生から追い出される時、私はその人から「殺された」と言えるような気がする。とは言え、それを自分が「忌むべきこと」として受け容れなければ、私は痛くも痒くもない訳で、当然「私は死なない」のであるが。

いずれにせよ「私は死なない」との見解に達する。

言い換えれば「私は殺されても死なない」

なぁんだ。
あれは私の言葉だったのか。

やるせなくて、悲しくて、情けなくて、消えてしまいたくなるような思いに襲われたあの当時、私を構成する細胞たちは、「ボクは死にましぇん!」とばかりに本体である私に信号を出していたのかもしれない。

それならば私は、そんな細胞のひとつひとつに感謝しながら今日を生きて、細胞の最後のひとつが死を迎えるその日まで、生き切ることを、今ここに誓おう。

#創作大賞2023 #エッセイ部門


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