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20年前の修羅場の前に④

叔父

結婚回数半端ない

叔父は、父の弟である。群馬出身、在住。見た目はヤクザ。おしゃれに気を使っているが、どうしてもヤクザ。髪の毛が薄くなりだした頃かつらをかぶり、兄である父から一撃、みっともないからやめろ。その後は、帽子のおしゃれに目覚め、上京する際にはとりわけ素敵なハットをかぶっている。

叔父は自身の父のレールをまるで外れないかのように、結婚を繰り返した。私が数えられる限り、5回。子供は異母兄弟が3組。最後の奥さんに限っては、出戻り2回目の婚姻関係。私の母が言うには、そんな結婚回数には叔父のお母さん(私の祖母)も大いに関係しているらしい。
祖母は夫に逃げられ、シングルマザーとして3人の子供を育て、家業を率い、姑を世話した。その結果子どもたちがマザコンもとい母思いになるのは当然である。(ご興味のある方は祖父編『20年前の修羅場の前に』もお読みください。)
その中でも叔父は一番の母思いであった。それは叔父が一番気が優しいという意味でもある。たとえ見てくれは「おっかなおじさん」でも。
叔父は母親と同居していた。ということは、お嫁さんにとって叔父との結婚には、もれなく姑も付いてくるという意味となる。祖母(叔父の母)はお嫁さんたちを評価し、自分の基準に満たさない、気が合わない人に関してはそれ相応の態度をとった。そして叔父は全面的に母の味方で、かつ外で女遊びは尽きない。そうなるとお嫁さん方が立ち去るいうのは致し方ない。
私は姪という立場で、おじさんはなぜに何度も結婚を繰り返すのだろう、と謎に感じていた。短期間に終わったがかなり若いお嫁さんをもらった時は、自身で経営するイタリアンレストランでパーティーを開き、私も参列し、このちんぴらみたいなおじさんがよくもまぁこんな綺麗で若い女性と結婚できたなぁ、と終始不思議であった。
結局、財力に女はたかるのである。そんな風に叔父に近づいた女性たちは、母と息子の異様な結びつきに疎外感を覚え、去っていくのだろう。
最後の奥さんに関しては、二度目の結婚でもあるし、祖母が一番気が合ったお嫁さんだったから出戻って来られたのだ、と親戚一同納得している。

私にも異母妹がいるが、彼女を違和感なく可愛がり、良い関係性を結べたのも、叔父の子供である従兄弟が、自身の異母兄弟と普通に付き合っていたのを見ていたのが大いに影響している。

そんなわけで、毎年私達は「おじさん今誰と結婚しているのかな」という疑問をもって正月に群馬を訪れていた。

母を看取る

叔父は、自身の母親を最後まで介護した。それこそおむつ替えまで難なくこなしていた。私の父は長男だが、俺はそこまでできない、と弟を尊敬していた。晩年老人ホームに入った母親に毎日のように会いに行ったり、嫁に母親の好きなものを作らせたり、車椅子を押して散髪させに美容院に連れて行ったり。
車好きな叔父は、ベントレーでもマセラッティでも、車椅子が乗ること、祖母が座席に座りやすいことは必須要素だった。

私の結婚式で

私はスペイン人と結婚したので、スペインと日本で結婚式を挙げた。叔父は、叔母や従兄弟と共にスペインでの結婚式にも参列してくれた。
スペインの披露宴は、最後はダンスパーティーになり、夜通し踊る。叔父は、率先してスペインの若者たちを引き連れて輪になって踊っていた。コミュニケーション能力半端ない。見た目は田舎の組長だけど。
叔父はぽつりと私と父に言った。「R(私の夫)のお父さんは寡黙だけどいい人だ。話せなくても俺はわかる。」事実、私の義父は少し浮世離れしているが、精神的に豊かな人で私は尊敬している。そんな彼の本質を、言葉も通じず、そんなに外国人と付き合ったこともないだろう叔父は見抜いていた。

何はともあれ

私は叔父が好きである。何度も結婚を繰り返しては子供をつくり、泣かせたお嫁さん、女性は数しれず。それでも私にとっては気優しい叔父。声が大きくて、群馬弁が強烈で電話口では聞き取れない。
会社に叔父が入ってくると、そのオーラというか独特な雰囲気で普通の東京人は飲み込まれる。
それでも気遣いが繊細で優しく、人思いでマメ。
祖父の血を色濃く受け継いでいる群馬の男。
今誰と付き合っているのかはアップデートできていないけれど、毎日楽しく健康に生きていてほしい。


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