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「祖父の戦争体験を語り継ぎたい!」パート②

戦後77年が経ちました。

戦争体験者、戦争の記憶がある人は、
徐々に少なくなり、必ずゼロになります。

戦争体験が失われていく。

そのことに、ずっと危機感を抱いていました。

なぜ戦争体験を語り継ぐのか?~きっかけ

危機感と無力感

30代のわたしの祖父母世代は、戦争を体験した世代。
かつて同居していた祖父は兵士として中国の戦場を経験し、わたしにとっては戦争はそんなに遠くない存在でした。

が、今の子供たち世代、若者世代にとっては「祖父母」はもう戦後生まれ。それだけでも親近感は薄れるのに、この先はもっと遠い存在になってしまうでしょう。

それは、ある意味、ある程度は、しかたのないこと。

しかし、明日のいのちを脅かされない平和な日常をわたしたちが享受できているのは、
わたしの祖父母世代が「あの時代は二度と繰り返してはならない」と、
生き証人として戦争の記憶を残し、
平和のともしびを灯しつづけてきてくれらからこそ。

これからの時代、
戦争体験者の方々が少なり、彼ら彼女らの口から語れなくなっていく時代、
戦争の記憶が、ただただ失われてしまうのは、虚しいし、危うい。

戦争の記憶が失なわれてしまうのをただただ見過ごしてしまうのは、
ある意味、戦後世代の過失・怠惰でもあるのです。

そんな危機感と焦りを抱いていたわたしは、研究者でも専門家でもありません。
やんちゃ盛りの男の子2人を育てる、
ごくごく一般的な働くママをやっています。

そんなわたしに、何ができるだろう?

例えば、戦争体験を語れる高齢者に聞き取りをして、まとめて、伝える。
そんな一連の作業が、物理的にできるだろうか。
インタビューのプロでもない、語り部のプロでもない。

ましてや、戦後生まれが、人から聞いた話で、「これが戦争体験です」と、立派に語れるだろうか。

語る資格なんて、わたしにはない。
わたしにはなにもできない。

つい1年前のわたしは、こんなかんじでした。

一筋の光

そんなわたしに転機が訪れたのは、2021年10月。
かねてからご縁のあったNPO団体「Bridge for Peace」が開催した
「戦争体験を語り継ぐ」というテーマのオンラインイベントに参加した。


そこで見聞きしたことは、わたしには新鮮であり、衝撃であり、
と同時に、安堵する自分がいたことに気づきました。

「わたしにも、できる。」

この一筋の光。
なにか、スッキリとした気持ちになりました。

大正13年生まれの祖父が、太平洋戦争末期、中国に出征したこと。
祖父の弟も中国に出征し、戦死したこと。

彼らの戦争体験と人生、わたしなら語れる。
むしろ、わたしにしか語れないことがある。

その自信に根拠はありませんでした。

まずは、そのオンラインイベント内で知った「軍歴証明書(兵籍簿)」を取得してみよう、というところから、わたしは行動し始めました。

なぜ戦争体験を語り継ぐのか?~伝えたいこと


「祖父の戦争体験を語り継ぎたい!」

なにもかもが見切り発車で、こんなnoteを書きました。

何を伝えるか、どう伝えるか、わたしの主張は何か?…

今は分からないけど、やりながら考えていこう。見つけていこう。
そもそも、そんな始まりでした。

この1年、幸いにも、
友人や同じ想いを持つ仲間の行動に刺激を受けながら、
こじんまりながらもイベントでスピーチさせていただいたり、
プラットフォームを築いて情報発信させていただいたりしてきました。

多くの人に支えられ、刺激をもらい、自分自身も成長しました。

自己成長に終わりはなく、これからも様々な経験と出会いを通して、
人間としての深みを増すのだろうと思います。

そこで、

戦争体験を語り継ぐことによって、一体わたしはなにを伝えたいか?
結局なにが言いたいのか?

約1年間、戦争と平和のことを考え、行動してきて分かりかけてきたことを、
今の時点のわたしの言葉で、ここにまとめておきたいと思います。

1)『みんな、語り継げるよ』

大人を対象に戦争体験をお話させていただいたとき、ほとんどの方が
「そういえば、父方の祖父が…。大叔父が…。」などと、
これまで自分が伝え聞いてきた身内の戦争体験を話してくれるのです。

戦中を生きた人の数だけ、戦争体験があり、
それを埋もらせておくのは、とてももったいない。

そして、その体験は、全くの他人が伝え聞き、語り継ぐよりも、

その子ども、孫など、できるだけ近い親族が伝え聞き、語り継ぐ方が、うんと親近感がわき、
「語り継ぎたい」というモチベーションにもなると思うのです。

みんな、語り継げる可能性があるのです。
わたしのように。

どうやったら昔のことを知ることができるのか?
どうやったら語り継げるのか?

わたしも全然分からないところからスタートしたから、
応援できることがあります。

わたしは皆さんより少しだけ早く行動を起こしただけ。
今現在もわたしが身体を張って、探究し、開発している真っ最中です。

ちょっと興味を持ってくれたひとりひとりが動き出し、
一緒に探究し、一緒に考え、
貴重な戦争体験がひとつでも多く、後世に残ることを切望しています。

2)『戦争を考えることは、生き方を考えること』


祖父や祖父の弟の足跡について調べていくうちに、気づいたことがあります。

それは、

戦争は「過去のこと」「他人事」ではなく、「今のこと」「自分事」。

戦争という言葉は「歴史」とも置き換えられます。

喜ばしい出来事も、悲惨な出来事も全部含めて、
わたしたちは過去の出来事を、客観的な視点で見ることができます。
「もしあの時、こうじゃなくて、ああなっていたら…」と仮定を立てて考えてみることで、多角的な視点を養うことができます。

そして、歴史を学ぶと、わたしたちが生きている「今」も、歴史の一部であることにも気づかされます。

歴史の中で、どんな時代にもなくなることのない戦争。
様々な人々の生き方と考え方が絡み合う戦争というトピックを考えることは、
「今」を生きるわたしたちとの類似点と相違点に想いを巡らすことによって、
ハタと「今の自分の立ち位置」を再考、再認識させ、
それを踏まえて、「わたしたちはどう生きるか?」を考えさせてくれるのだと、私は思うのです。

という意味で、
「戦争を考えることは、生き方を考えること」
なのです。

Me in Peaceに込められた想い

Me in Peace

わたしのクリエイター名にある「Me in Peace」は、
直訳すると、「平和の中にいるわたし」。

現代においても、この地球上では、戦争や紛争が起こっています。
戦闘状態でなくても、貧困や飢えで、決して「平和」とはいえない状況に置かれている人々もいます。

日本にいるだけで
「平和で安心安全な環境を享受していることは、なんて幸せなことだろう」
と感じると同時に、

「平和にいるわたしたちは、非平和な状況下の人々のために何ができるだろう」と、
疑問であったり、ある種の無力感を感じた人も多いかと思います。

平和にいるわたしたちが、平和のためにできることは何だろうか?

それに正解はないし、答えもない、
というか、どんな答えも「平和のため」につながる。

だから、あえて

「『平和にいるわたし』は、平和のために何ができるだろう?」
という問いと、
「その問いに対して たくさんの答えがあっていいんだよ」
 という意味を込めたキャッチコピーになっています。

Peace in Me

どんな答えも「平和のため」の答えだと言いましたが、
わたしが答えるとすれば、どんな答えになるのだろう?

それは、案外身近なところにありました。

Me in Peaceの語順をひっくり返すと、

Peace in Me
「わたしの中にある平和」

そう。
まず、自分の中に、どんなに小さくてもいいから「平和」を見出すこと。
「平和である」と感じること。

いつもいつもじゃなくていい。
ちょっとした瞬間の小さな幸せに気づくこと。

その積み重ねが、「わたしの中にある平和」になり、

そんな人がひとり、ふたり…と集まることで、
徐々に大きな平和になっていく。

世界中の人の中に「平和」が宿れば、
きっと世界は愛と平和に包まれる。

そんなの夢物語じゃないか、と笑われる指摘かもしれません。
が、ちょっとくらい夢見たっていいじゃないか(笑)

まずは、日々の生活の中で、
「わたしの中の平和」
「小さな幸せ」
わたしは、探していきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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