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「祖父の戦争体験を語り継ぎたい!」

戦後76年が経った。

戦争体験者、戦争の記憶がある人は、徐々に少なくなり、必ずゼロになる。
これは自然の法則。

戦争体験が失われていく。

そのことに危機感を抱いている。

二度と繰り返してはならない時代。
その時代を経験している祖父と、かつて同居していたわたしにとって、戦争は身近であった。

が、今の子供たち世代、若者世代にとっては「祖父母」はもう戦後生まれ。それだけでも親近感は薄れるのに、この先はもっと遠い存在になってしまう。

それは、ある意味、ある程度は、しかたのないこと。

しかし、明日のいのちを脅かされない平和な日常をわたしたちが享受できているのは、あの「二度と繰り返してはならない」記憶があるから。

76年前の体験は、決して「他人事」ではないのだ。

その記憶が、ただただ失われてしまうのは、虚しい。
というか、失うのをただただ見過ごしてしまうのは、ある意味、戦後世代の過失・怠惰なのではないか。

ただ、今のわたしには、仕事も育児もある。
そんなわたしに、例えば、今、戦争体験を語れる高齢者に聞き取りをして、まとめて、伝える。そんな一連の作業が、物理的にできるだろうか。
インタビューのプロでもない、語り部のプロでもない。
ましてや、戦後生まれが、人から聞いた話で、「これが戦争体験です」と、立派に語れるだろうか。
いや、語る資格なんて、きっとわたしにはない。

危機感だけが、ふつふつと募っていく。
なにかしたい。でも、わたしにはなにもできない。
そんな悶々とした、ここ数年間を過ごしていた。

2021年10月、かねてからご縁のあったNPO団体「Bridge for Peace」が開催した、「戦争体験を語り継ぐ」というテーマのオンラインイベントに参加した。

http://bridgeforpeace.jp/

そこで見聞きしたことが、わたしには新鮮であり、衝撃であり、
と同時に、安堵する自分がいたことに気づいた。

「わたしにも、できる。」

この一筋の光。
それが今、このnoteを書いている原動力となっている。

岐阜で生まれ育ったわたしには、大正13年生まれの祖父がいた。
祖父は、太平洋戦争末期、中国に出征した。
祖父の弟も中国に出征し、戦死した。

彼らの戦争体験と人生、わたしなら語れる。
むしろ、わたしにしか語れないのだ。

わたしが伝えたいこと。

例えば、
今、ここで、あたなの大切な人が亡くなったら、どう感じますか?

76年前も、そこには、私たちと同じ人間が、私たちと同じ日常の営みを送っていました。

当時の人々のことを、
まっさらな「ひとりの人間」として捉えてみてください。
そこには、「ひとりの人間」の「ひとつの人生」があります。
今の自分と同じように。

ヒトがヒトを愛し、慈しみ、大切に思う心も、
大切な人が死ぬと「悲しい」と思う気持ちも、
当時の社会情勢が感情を表に出すことを禁じていたけど、
心そのものは、きっと今と変わらないはず。

あのとき、多くの人々が亡くなりました。
日本でも、日本以外でも。
人為的な理由で。
その中に、あなたの大切な人が含まれていたら、どうでしょう?
あなたは耐えられますか?

この視点で考えてみると、ぐっと身近なことに感じられるはず。

ましてや、
現代においても、この地球上のどこかでは「今日の安全、明日のいのちを脅かされている」状況に身を置いている人々がいるという現実。

決して、「昔のこと」「他人事」で片付けられる話ではないのです。

今の現代に、平和な環境で生きるわたしたちにとって、「戦争体験を語り継ぐこと」は、関心を向ける、心を寄せるに値することだと思いませんか。

わたしは、祖父たちの戦争体験と人生を語り継ぐ人になりたい。

「過去」を知り、
「今」を感じ、
「未来」を考える。

前向きに みんなで語り合い、考え合える
そんなきっかけを創っていきたい。


※このトピックで書く投稿全般について
・祖父たちの戦争体験や人生
・戦争体験の収集の記録
・「戦争体験を語り継ぐこと」を考える
について、記録と情報発信を目的にしたnoteです。
歴史批評や政治的発言、歴史認識問題についての言及をする意図はございませんので、ご理解ください。


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