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人間は防衛本能で進化することができる生き物である

生物は生きるために適応して進化を遂げてきた。
全ての生き物がそうだと思う。

例えばキリン。
首が長いのは、立ったまま水を飲むため。
敵に襲われた時に、しゃがみこんでいては捕食されてしまうからだ。
(と小3息子から熱弁された)


背の高い植物は、より高いところへ行くことで、日光を多く浴び、成長するために背が高くなる。
茎の短いクローバーと、背丈の高いクローバーがある違いは、日光を浴び、生きるためにクローバーが進化したものだ。(と思っている)



現在の私は、というと、進化後の状態だ。
イメージしていただければ幸い。


現在、新たに出会う人の多くは私を「元ヤン(元ヤンキー)」だっただろう、と想定する。
しかし、実際は「スーパー陰キャ」でいじめられっ子だった。
軽々しくいうものではないのはわかっているが、不登校はもちろん、死を考えたこともあるほどだ。

元ヤンを否定しても、過去の私(学生時代)を知らない人は口を揃えて「嘘だ」という。
なんなら「お前がいじめてた側だろ」と言う人もいる。

それもそうだ。
自分で言うのもアレだが、確かに被害者側には見えない顔をしている。

そう、私は幼い頃のように弱い者として見られ、潰されそうになったのをきっかけに、自らの命を脅かされることがないよう、成長の過程で弱く見えないように進化したのだ。


当時流行っていたギャルになろうとしていた(黒歴史)のは、今思えば防衛本能だった気がする。

今でこそ優しく見えるようになりたいと思うが、当時の私は、どれだけ顔がきつく見えようが、なんの問題もなかった。

冷たそうな人に見えても良かった。
むしろそれで良かった。


人が私に近づきにくい、と感じれば、私を脅かしてくることは少ないだろうと思ったからだ。



外見は進化した。
しかし、メンタルはそうもいかない。
強そうに見える外観とは裏腹に、お豆腐メンタル。
いや、触ったら壊れてしまうほど繊細なガラス細工と言ってもいいかもしれない。

自分でも理解に苦しむほど、外見と内面がそぐわないのだ。


とはいえ、私は私。
これ以上大きな変化が欲しいと思っているわけでもないし、現状の外見はある程度満足している。(コンプレックスだらけではある)

今となっては
「もっと優しく見えるようにたい」
「元ヤンに見られたくない」
という思いがないわけではないが、現状は、私が生きていくために進化した形態だ。


そう思うと、ちょっとだけ頑張った自分を褒めたくもある。


働き方や、在り方、見え方に悩むこともあるが、私は私。
いつまでも恐れてばかりいてはいけない。

私はきっと、これからも少なからず変化し、そして進化していくであろう。
これからは、私自身を守るためではなく、「大切な人たち」を守るために。

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