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【Episode0-㉗】 もう離婚しかないのに何故話し合う必要があるのか?

50代で幸せな再婚をするまでの
シングルマザーのストーリー

年末に二級建築士の二次試験に落ちて、この資格で就職したいと考えていたわたしは年明けもずっと絶望状態でした。そんなキツいメンタルでしたが、夫を含め家族3人で頑張っていくことへの限界を感じる出来事があり(前回Episode0-㉖)別れる決心がつきました。切り替えると早い私はすぐに行動に移さずにはいられませんでした。(現在も娘に“母は誰にも止められない”と言われています)

離婚するにあたって、決めること・行動すること・調べること・報告する必要などを入念に抽出していきました。その中でも残念だったのは娘の幼稚園に関することです。お下がりをくれたり、時には娘を預かってくれたりして私のことも支えてくれたお母さん方と話し合って無事皆同じ幼稚園に合格し、一緒に通えると思っていました。短大も併設の幼稚園だったので校舎・校庭とも広く人気の幼稚園。そこに合格できたことはとても励みになっていました。この時期娘は、もうすぐ3歳の誕生日を迎えるにもかかわらず、まだ殆ど言葉はでずオムツも取れていませんでした。

しかしながらもう人生はその岐路を変えたのです、幼稚園ではなく保育園を探さなければなりません。この時期世田谷は日本一待機児童が多かったのですが、ひとり親なら入れるかもと安易に考えていました。区役所に相談に行ってもまだ離婚前のため、あまり良い返事はもらえませんでした。
この件からも一番大切な保育園に不安を感じて、世田谷に住み続けることは難しいなぁと、違う選択肢を心が探し始めました。

私の生まれ育った所沢に帰ろう

何故かそう思った途端エネルギーが湧いてきました。多分正しい選択をしていたから、後押しがあったのだと思います。
反対に二級建築士試験に落ちたことは“違うよ“と言うお知らせだったと思います。そしてそれが正しかったと5年後に答えが出ることになるのですが、この時の私は眼の前のことで精一杯でそんな未来のシナリオなど知るよしもなかったのです。

お正月の気分が抜け
日常に戻り始めた1月初旬
私は夫に
「別れて所沢に帰る」
と告げました。

これまでの短い4年半の夫婦生活の中で、夫が私の意見に反対することは殆どなかったので、すんなり受け入れてもらえると思っていました。
しかしながらそんな私の考えは極甘で、これから約3ヶ月の間、話し合いという詮無い戦いが始まりました。
私はその間ずっと思っていました…

もう離婚しかないのに、
何故話し合う必要があるのでしょうか?


次回:夫と義母に何を言われても響かない私、何故か義父は理解してくれた


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