存在世界ー”塩田千春 つながる私”展(2024)ー
泥をかぶり続ける映像に気おされる。表現への欲求と苦しさの圧。
会場二週目を歩く途中、塩田さんによる解説ビデオを見つめている人の多さ。つられて足を止めた。最後まで見た。
へその緒から灰になるまでのその空間。その空間にあるはずの存在とは。すなわち生きるとは。
それを知りたくて泥をかぶり続けたのか、この人は。
土に返るべき自分。泥の中で呼吸している自分。
へその緒から灰までの、その空間の中にいる自分を実体化したい苦しい欲求。
泥をかぶっていると徐々に呼吸が楽になる。自分の存在を確認して少し呼吸が楽になる。
観ている側も同調する。
自分というものは、記憶であり思考であり、実体のない空なものである。
泥をかぶって実体化しようとしたそれを今、赤い糸を編み込む表現で作る。存在世界。
編み込まれているものは、記憶と思考。
記憶と思考は己だけで完結することはなく、嫌でも他者が絡んでくる。
自分の存在に他者の存在もからみ、他者からまたその他者へと。
世界は編み込まれた赤い糸で構成される。
ただ、血の赤にも見える絡む糸は美しすぎて。
泥まみれの記憶、血。涙の滲む記憶、血。止まらない記憶、血。憎しみの記憶、血。。。絡みつく血。
血の記憶全てが、これほど美しいものとして存在する世界はあり得るのか。