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30歳を迎えた私の人生振り返り-完結編-

心身の不調で悩んでいた頃、ある人に
「もっと、自己表現をしなさい」
と言われたことがきっかけで書き始めたnote。
これまでの体験や気持ちなどを書き記したいと思って
書き始めると想像以上に長くなりましたがこれにて完結。

2022年に入ってから考えはじめた

国際交流への疑問
今の働き方の葛藤
自分の核心的な課題
これから、2023年へ

という内容で書いていきたいと思います。

書いている内容は誰かへあてつけるものはありませんが、
普段、表に出さない本音も含めて書きます。
自分の中で渦巻いていたことを整理しておくことで
未来の自分の幸せに繋がるといいなと思っています。

前編はこちら
30歳を迎えた私の人生振り返り-前編-|もっぴー(Kaede Mitsuya)|note

中編はこちら
30歳を迎えた私の人生振り返り-前編-|もっぴー(Kaede Mitsuya)|note

改めて自己紹介
三矢楓(もっぴー)
1992年京都出身。 世界中の人々の暮らしに飛び込む旅が大好きでホームステイで25ヶ国を巡る。アメリカで世界中から集まる100人のメンバーと共同生活とミュージカルをつくりあげてきた経験をする。自信の海外経験から、どんなバックグラウンドがあっても「やりたい!」と思えば、誰もが飛び込める国際交流の場をつくりたい、と新規事業の立ち上げに関わる。現在は、国際交流やファシリテーター育成のコミュニティ等でファシリテーターとして活動中。

ベナンの相棒・Haniと

「国際協力」へのイメージへの変化

元々の国際協力のイメージは、
ネット上に上がっている黒人の細い子ども達が困った顔をしている写真に
「かわいそう・・」という気持ちになって
学校を立てるためや食料のお金を寄付をする、というものでした。

2019年にアフリカに行くまではアフリカ全体が
「発展途上国」というイメージ。
みんな痩せていてご飯をろくに食べられていないという先入観の塊でした。

そのイメージはベナンでホームステイをしてガラッとかわりました。
私が滞在した先のみんなはいつもご飯をモリモリ食べるし
私にも食べきれない料の食事をふるまってくれました。
「アフリカ=危ない」と思っていたけれど、
不慣れな場所での1人行動は控えて危険を未然に防ぎつつも
一緒に買い物に行ったり、バイクに乗って食事にでかけたり
休日はビーチに行ってみんなでご飯を楽しんだり
そこには日本の人たちと変わらない日常の暮らしがありました。
家に帰ったら仕事の愚痴は言いたくなるし、恋愛に心を悩ませるし
楽しいときは笑って、落ち込んでいる人がいたら話を聞いて励まして。
文化の違いはたくさんありましたが、人として同じことばかり。
アフリカの、ベナンの、その人たちそれぞれの幸せがそこにはありました。

では「対等」と言えるのかというと、それは違うと感じています。
例えば、一般家庭に洗濯機はないことが多く手洗いですが
2週間滞在している旅人だったら手洗いの洗濯を
もはやイベント的に楽しめるかもしれませんが、
毎日仕事や家事の日常がある中で
家族の分の服を手洗いすることを想像すると
私だったら洗濯機がほしいと思います。

私は自由に旅ができますが、ホストシスターのMariolleから
「本当は私も旅をしてみたい」という言葉を聞いたときに
片親で子どもを育てながら仕事と家庭をやりくりしている彼女を見て
「やればできるよ!」
なんて軽く言えませんでした。

かわいそうだから物やお金を渡す、にはちょっと違和感だが
対等と言いたいけれど、事実としての差は存在している
その差に自分は力を注ぎたい、と
ベナンの滞在を経て思うようになりました。

大好きなホストファミリー。かけがえのない家族です。

ビジネスの力で国際協力を

Raise your Flagを一緒に立ち上げた志藤大地に
世界を旅した経験
「世界の弱い人を助けられるような人」になりたいという想い
アフリカで感じた援助の違和感などを話していたときに

「国際協力」をやりたいという人は世の中にたくさんいるが、
実際に価値発揮をできる人は少ない。
価値発揮ができるようになるなら、ITかビジネスを学ぶことが大事だ。

という話をされました。

ITの適正はない自覚があったので、
ビジネスだったら勉強できるかもしれないと思い
いつか、事業を通して「世界の弱い人を助けられるような人」になりたい
と思うようになりました。

国際交流は本当に社会をよくするのか?

2022年が明けた頃、私は無性に次のステップへと進みたがっていました。
ベナンでの経験でビジネスに興味を持つようになったことや
コロナ禍のテレワーク中心で変化のない自分への焦燥感
前に進みたい!進まなければ!という
前向きなモチベーションと焦りが入り混じった気持ちでした。

そのうちに感じるようになったのは
「国際交流は社会をよくするのか?」
という疑問でした。

社会課題の解決に繋がっている実感がないのです。
まずは知ることが大切だし、
社会をよくすることなんて
すぐにできるものではとうていないのは重々承知の上ですが
「知った先」に何もない感覚がもどかしかしいのです。
もっと言うと、「知って満足」のような自己満足のような感覚が嫌でした。

たどり着いた考えは、
国際交流は「よりよい未来をつくるための投資」だということ。
違う国の人や文化を知ることで、親近感が愛着がわいて
人と人の関係がよくなれば、国と国の関係もきっとよくなるし
個人の影響力が強くなっていくこれからの時代に
民間、草の根の交流はとても大事です。

どのように社会の力になっていくかは、役割分担で、
国際交流には国際交流の価値の発揮の仕方があります。

では、自分はどのフィールドで価値発揮をしていくのか。

国際交流は自分の得意かつ大好きなことで
誇りを持ってずっと続けていきたいことであると同時に
自分の信念に立ち戻ると、
次のステージに進みたい気持ちが消えませんでした。

そんな葛藤する気持ちが、私をアフリカに向かわせました。

振り回された2022年後半

勢いで行ったベナン。
2度目の滞在で再会の喜びや、日本から離れた非日常を楽しんでいましたが
頭の中は常に仕事のことでいっぱいでした。
丁度この頃から仕事上で逆境を感じることが増えるようになりました。

想定していない緊急事態で心は疲弊し、
採算の見えない事業に対する予算のプレッシャー。
業務設計の構造に感じる理不尽さ。
予算なんて自分が全責任を負うものでは立場的にないのですが
ここを放棄してしまうと自分が声をかけて集まってきてくれた
チームの人たちの仕事が守れないかもしれないという
恐怖の未来が目に浮かんでいました。

予算のプレッシャーと現場への配慮は
自分を板挟みにさせ、どんどん追い詰められていきました。
現状をなんとか変えたくて
厳しい現実を乗り越えたくて
仕事の中に夢や目標を見つけよう!と思ったけれど
組織との折り合いはつかず、疲れはてた上に心が折れました。
楽しいことを仕事にしていたはずなのに
楽しさは消え、残っていたのは責任感だけでした。

夜になると起こっていない悪い出来事を想像し、
誰に言われているでもいない言葉が頭に反芻して自分を傷つけ
毎日涙が止まらず元々の夜型に拍車をかけてさらに眠れなくなりました。
夜はろくなことを考えないから、とはいえども
朝やっとの思いで起きても夜と同じような状態。
ずっと頭の中で考え事をしているので
判断力、集中力、記憶力もいつも以上に落ちていたのが分かりました。

仕事に障りがないよう、動いていましたが
動く体に心がついていっていませんでした。
仕事に障りがないように、とは言いましたが
この間、周りには悪い影響ばかり与えていたと思うし
衝動的に動いたり決断してしまい、後悔する出来事もありました。
起こるものごと全部に拒否反応をして、
このままだと持っているものすべてを
失ってしまうような予感もしました。

実家に住んでいるので、引きこもる自分の様子に
母親には相当心配されました。30歳にもなって情けなかった・・

それでも自分にはまだ力が残っていて
「独りになってはいけない」と
頼れる人に打ち明けて、相談をしました。
仕事とプライベートの垣根があまりないので
誰に相談するのがいいのか・・とも思いましたが
この時に「心の緊急連絡先」なるリストを作ったのですが
書き出してみれば想像以上に話せる相手がいて
頼れる人がいる安心感に救われました。

チームの人たちとも一人一人会話をして、
腹を割って話す、というほどの核心的な話ではないものの
自分が自分で抱えていた肩の荷を下ろしていきました。
活気もない、まとまりもない
自分から出てくるぶつぶつとつぶやくような言葉に
付き合ってくれた仲間には感謝です。

そんな日々を経て、這うように出かけた先の
福井の永平寺町で磯野絵里と出会います。
「このまん間」というシェアハウスを立ち上げ
「無理しない場所」というコンセプトを聞いたときに

「ああ、私、無理していたんだ」
とようやく自分の現状を認識したような気持ちになりました。

えりや、福井の友達と過ごす時間に癒され
これをきっかけに再び生きるエネルギーがわいてきました。
この時の直感で、来年からえりのシェアハウス
「このまん間」に移住することに決めました。

生活環境を大切にしてこれなかった

2022年下半期が苦しかった要因は
起こる出来事の影響もありましたが、
根本のところは
フリーランスとして働くデメリットへの付き合い方、
自分の生活環境を整えてこなかったことにもあります。

フリーランスの働き方はたくさんのメリットもありますが
同時にデメリットも存在します。
私の場合は好きなことを仕事にし、好きな場所で働いているので
たくさんのメリットを受け取っています。
同時に、デメリットの面はオフィスがなく、
自然発生的な会話がないため
仕事仲間とコミュニケーションが取りずらさが生じます。
これは自分の場合、最低限のコミュニケーションから
憶測が膨らんでしまうことで、自分を苦しめました。
外に出る機会も自分でつくらない限りはないし
時間の決まりもないのでルーティンで整うこともありません。
このあたり自分はとても受動的で、
セルフマネジメントが全然できていませんでした。
精神状態が簡単に崩れてしまうような状態だったので、
トラブルや逆境にとても弱くなっていました。

ここを直さない限り、また違う形で同じような状況になってしまう。
とはいっても自分の苦手なところを簡単に変えることはできない。
直感で決めた福井のシェアハウスへの移住でしたが、
ガラっと環境を変えて、自分の根本の生活環境を整える
いい決断だったと思います。

自分が持っているものに感謝する生き方を

2022年はいろんな出来事があって翻弄されたけど
自分の核心的な課題がはっきり見えた時期だったとも思います。

12月は仕事も落ち着き、時間的な余裕が生まれたので
振り返りをたくさんして、
今まで置き去りにしてきたいろんな感情を取り扱ったり、
本を読んだり、家族と出かけたり、見たいドラマを見ているうちに
徐々に気持ちが穏やかになっていきました。
好きなことを思い出したように取り組んで
幸せを感じるようになりました。

これまでの自分は、ないものを追い求め、完璧欲しさの性格が故に
だからこそ今の自分に成長することができたのですが、
周りばかりがよく見え、自分のいいところを見失っていました。
自分に自信をなくすと、何かしないと不安になり
必要ないものも抱えてどんどん余裕を失っていきました。
自分を責めることばかりをしてきたことで、
巡って人を責めることにも繋がってしまいました。

自分の性格を変えることはできないので
今さら、自己肯定感爆上がりの人間にはなれませんが、
自分が持っている「幸せ」に目を向けることならできます。
「幸せ」を感じると、自然と「感謝」の気持ちが溢れてきました。
そうして自然に自発的に自分の良さを活かして
活動をしていけるような気がしてきました。

そんな気持ちになったおかげで、
2022年振り返った今、「いい1年だったな」
って心から言うことができます。
独りで頑張っているような気になっていたけど
たくさんの人と繋がって支えられて生きていたし、
大変なことも多かったけど楽しいことだってたくさんありました。
2022年、関わってくれた人たち、支えてくれた人たち
起こった出来事に今は感謝の気持ちでいっぱいです。

2023年はこの穏やかさを大切にして
今はアクセルは踏まず、休憩からスタートしようと思います。
余白をつくって、無理せず自分の好きなことや気持ちを大切にして
自分が持っているものに感謝できる生き方をしていきたいなと思います。
少し休憩時間をとったら、その時はまた次のステージへ!

やっぱりコモンビートは心血を注いだ仕事だった。メンバーみんなに心からありがとう!


30歳を迎えた私の人生振り返りをつらつら書いてきましたが、
ようやく完結!!
書き始めたときはこんな結末になるとは思っていなかったくらい
日々の気持ちに変化はありますが
後から読み返したときに財産になるようなものが書けたなと思います。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!
今後はこれまでの世界中のホームステイ体験を
noteに書き続けていこうと思うので、
引き続き読んでいただけると嬉しいです✨

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