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目指すは茄子畑

 バイクの音。
 郵便だろうか。
 玄関まで行って郵便受けを覗くと、やはり手紙が入っている。でも、おかしいな。真っ白い封筒には、何も書かれていない。差出人も、宛先も。切手もない。
 おかしいなと思いながら私は封を開ける。
 一枚の切符が出てくる。
 「初夢」と書かれている切符だ。初夢……もしかするとこれは夢なのだろうか? 頬をつねる。普通に痛い。あれ? 現実か?
 しかし切符から視線を外すと、家の玄関にいた筈の私は、今どこかの駅のホームに立っているのだと気付く。やっぱり夢なのではないだろうか。ホームに電車がやってくる。電車が止まり、扉が開く。扉の向こうに誰かがいる。
 先輩だ。
 先輩だ、と思った。
 そこにいたのは初対面の男で、学生時代の先輩でも職場の先輩でもなかった。知らない人だ。だって初対面なのだから。でも、先輩なのだ。と、私は思う。
 多分彼は「先輩」という存在なのだ。
 先輩が手招きをする。私に、電車に乗るように呼びかける。私はそのとおりにする。だって先輩が呼んでいるから、先輩の言う事は間違いないのだから。去年連れて行ってもらった外観の汚いラーメン屋も味は最高だったし、ずっと探していた本も先輩に教えてもらった書店で見つかったのだから。ね、彼は良い先輩なのだ。だから私は電車に乗る。
 私が乗った途端、扉が閉まり、電車が走り出す。
 車両には私と先輩のふたりしか人は乗っていなかった。
 でも席は埋まっていたので、私と先輩は吊革を掴み立っている。
 人は私達ふたりだけだが、座席にはたくさんの猫が座っているのだ。
 ふたりの人間とたくさんの猫。走る電車。流れていく車窓の景色。
 猫達は、服を着ていて、後ろ足にだけ靴を履いている。前足に手袋(足袋あしぶくろ? いやそれをいうなら足袋たびか?)をしている猫もたまにいる。だからまあ、きっと二足歩行なんだろうと思う。そういうタイプの猫なのだ。
「この電車ってどこに行くんですか?」
 私は先輩に尋ねる。
「富士山の麓に住む鷹田さんの茄子畑だよ」
「縁起がいい……」
「そういえば車内販売で扇と煙草を売っていたよ。座頭が」
「とても縁起がいい……」
 ふと、窓が気になりそちらを見る。
 魚が泳いでいる。
「魚ですね」
「これは水中鉄道だからね」
 先輩の言葉に、ああ、そうなんだなあと思う。
 猫の子供が、「おさかなだよおさかなだよ」とはしゃいでいる。
「ねえねえママ、ママ、おさかな!」
「違うわ。あれはさかさまと言うのよ」
 さかさま。
 ああ、本当だ。電車が逆さまにひっくり返ってしまった。
 上下反転した電車が走る。私も先輩も猫達も逆立ちで電車に乗っている。
「まずいなあ」
 と、先輩が呟く。
「先輩、運動ダメですもんね。逆立ちは辛いですか」
 と私が声をかけると、先輩は首を振る。
「そっちじゃなくてさ。これは夢を走る電車なんだから、逆さまになったら」
「ああ、そうか、現実を走るようになるんですね。なるほど。え、それ、まずいですか」
「まずいだろ。現実だか夢だか、わからなくなっちゃうよ」
「良かったじゃないですか。先輩、ずっとそうしたかったんでしょう?」
「え? そうなのかな?」
「そうですよ」
 全く先輩は昔っから忘れっぽい。現実か夢かわからないような、現実でもあり夢でもあるような、そんな世界を昔から貴方は望んでいたくせに。
「そうだったか。忘れていたな」
「ボケるにはまだ早いですよ」
 車窓の景色は逆さまに流れていく。魚に紛れて真っ白な封筒が泳いでいる。私は窓ガラスに手を伸ばし、すると私の手はガラスを擦り抜けて、封筒を掴む。
「器用だな」
「そうですか?」
「そうだよ。逆立ちしながら窓に手を伸ばすなんて」
「逆立ち? 私は吊革を握っているんですよ」
「あれ? そうだっけ? ん? どうなっているんだ今」
 私は席に座り、封筒に切符を入れる。隣で猫が私の様子を見ている。
「お前、今どこにいるんだ」
「家の前ですよ。今からこの封筒、郵便受けに入れなきゃいけないんですから」
「そうか。……それ、かっこいいバイクだな。いつ買ったんだ」
「え? あ、本当だ、バイクがある。多分きっと私のですね。来年くらいに買うんだと思います、これ」
 するとどこかで笑い声がした。おそらく鬼だろう。来年の話をしたから。
「時間も空間もよくわからなくなってきたな」
「先輩、はい、こっち先輩の分のヘルメットです。ほら、早くしてください。鷹田さんを待たせてるんですから」
「おう、そうだったな、そうだったかな?」
 先輩は昔からぽやぽやしてるなあ、全く。仕方のない人だ。
 先輩を後ろに乗せて、私はバイクで走り出す。
 さあ、目指すは茄子畑だ。

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