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おさむらいさま

初出:Suimy

「おさむらいさま、おしょくじです」
 世話役の少女が小屋の戸を開け入ってくる。俺は侍などという大層なもんじゃあない。そう言っているのに聞きやしない。刀に見立てた粗末な棒きれにちらりとだけ目をやり、少女の差しだす粗末な飯を受け取った。
「あと三日か」
 残り時間を考えながら、ただ焼いてあるだけの肉をかじる。こんな不味いものを運んでくるくらいなら、いっそ何もくれず飢え死にさせてくれたら良い。というよりそもそも、小屋に閉じ込められそれで終わりなのだと思っていた。どうせ死ぬためにここへ連れてこられたのだ。何故まだ餌を与えるのだろう。
「おさむらいさまは、わるものをたいじするのでしょう」
「だから侍じゃねえし退治も……もういいや」
 小屋に来てから今日で四日目、食事を運んでくるのはいつもこの少女だ。色褪せた着物に乱れ髪。それにどうにも見ている限りじゃ、頭も足りてはいないよう。表も中身も粗末とは可哀想な子だと、俺は彼女を見下した。彼女は俺に笑いかけた。彼女に見下されている気がした。これからも生きていくだろう彼女が、やがて死ぬ俺を笑っている気がした。そんな頭が彼女にある筈はない。錯覚だ、少女のまだ先のある命に嫉妬しているのだと思って、ああ、もう四日が経過して、まだ俺は覚悟できていなかったのか。自分に呆れて溜息を吐いた。
「おさむらいさま、げんきがないのですか」
「ねえよ元気なんか。のんきだなお前は。死ぬんだよこれから俺は」
 毒づいた。彼女は笑った。
「わるものを、たいじしたらよいですよ」
「いないの。いねえよ、悪者なんて」
 俺の村は随分と寂れている。それは悪しき神が暴れているせいだとして、選ばれた者が刀を携え七日間祠に籠り、悪しき神を懲らしめる。そういう事になっている。
 そうだ、そういえばこの朽ちた小屋は祠という名がついていたのだ。こんなぼろい処に神も何も住むものか。俺はただの生贄だ。いや、生贄にもなれないのか。この身を捧げる相手もいないようでは。
 ただの、口減らしだ。
 仕事で怪我さえしなければ、俺はまだ働けた。こうして小屋に連れてこられることもなかった。その気になればここを抜けだして、村へ戻ることもできるかもしれない。だが、戻ったところで何ができる。要らないと、捨てられた存在なのだ俺は。あそこはもう、俺の戻る場所じゃない。けれど他に行く先もない。周囲にはただ森が広がっている。俺はここで定期的に運ばれる食事をとって、七日が過ぎればその後は。放置されてそのまま。
 もう。
「もう、おしまいにしますか」
「え?」
「あなたも、たいじしないのですね。みんな、そうです。おさむらいさまなのに、どうして、あくをほろぼさないのでしょう。おしまいなら、あなたもわたしのくににいきましょう。そうしてみんなとくらしましょう」
 少女は俺に、手を差し伸べた。
 小さな手だった。
 温かそうな手だった。
「私の国、って何だ。お前は村の子じゃないのか?」
 俺は問いかける。
 確かに、見ない顔だとは思っていた。けれどわざわざ食事を運ばせるためだけに他所から子を連れてもこないだろうから、彼女もまた村の者なのだと…。
「お前はどこから来たんだ?」
「ここです。ここはわたしのもりだから」
 彼女はまだ手を差し伸べている。
 俺はその手を掴めないでいる。
「どういう意味だよ」
「ここはわたしのいえだから」
 彼女は微笑んでいる。朽ちた小屋の中、彼女は語る。
「ほしいのならば、あしたもしょくじをおつくりしましょう。にくも、やさいも、このもりにはいきています。かえりたいのならば、みちをおしえましょう。わたしはこのもりをよくしっています。ここでいきていくのならば、かんげいしましょう」
 彼女はやはり足りていないのだ。だからこんな、意味の判らないことを言うのだ。ああ、けれどつきあってやってもいいかもしれない。こんな何もない小屋で後三日、退屈に過ごすくらいなら少女の戯言を聞いてやっても罰は当たらないさ。そうだろ?
「お前の国な。行ってみてもいいかもしれねえな」
 俺は彼女の手をとった。
「そういやお前、名前はなんていうんだ」
「なまえはありませんが、みんなはわたしをかみさまとよびます」
 彼女の手はやはり温かい。
「神様なあ。そうだってんならお前、俺の怪我治してくれよ。――俺は大工だったんだ。この祠、建て直してやってもいい」
 あ、でも道具があるだろうか。
「おさむらいさまは、だいくさまなのですか。まえのおさむらいさまは、りょうしさまです。おさかなをとってくれるのです」
「侍ってのはもう覆んないのな」
 俺は笑う。彼女も笑う。彼女に手をひかれ、俺は祠の外に出る。

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