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ひねくれ者の妹の死

初出:Scraiv

 僕の住む町の空に浮かぶあの風船。
 浮かび続ける赤い風船。
 あれは僕の死んだ妹なのである。
 死んだ人というものは、大抵は星になるのだろう。ところが妹はひねくれ者だったから、あんなものになって、今日もふわふわ浮いている。赤い風船。妹は赤が嫌いだった。女の子は普通赤が好きで、そうはいっても今時ランドセルだって様々な色があるけれど、それでもやっぱり「女は赤」で、だからこそ妹は赤が嫌いだった。僕の同級生が言っていた、女だからって可愛いものが好きとか決めつけられるのが嫌。妹は、そこまで深く考えていた訳ではない。本人が死んでいるので確かめられないけど、多分そうだろう。単純に、「女は赤」だから赤以外を選ぶ。そういうルールで生きていた。そんな妹は死んで、真っ赤な風船になった。一番、妹らしくない色。きっと、自分らしくないからこそ、今妹はその色なのだろう。ひねくれ者だから。
 本当に妹はひねくれていた。
 たとえばおやつ。ショートケーキとチョコレートケーキ。僕と妹で、それぞれ好きな方を選びなさいと言われる。チョコが大好きな妹は、迷わずショートケーキを選ぶ。さてそこで僕はイジワルなので、妹が選んだ方を奪って食べてしまう。すると妹は、とても嫌そうな顔で、甘いチョコのケーキをもぐもぐ食べるのだ。
 それから晩ご飯の献立。母さんが妹に聞く、ハンバーグとピーマンの肉詰め、どっちがいい。そりゃあ勿論美味しいのはハンバーグなので、妹は当然ピーマンを選ぶ。そうしたら母はとても優しいので、妹が選んだピーマンの肉詰めを作ってくれる。妹は、わあいわあいと喜びながら、ほんの少しずつちまちま食べる。巻き添えの僕も横でもさもさ食べる。ピーマンは苦い。
 妹は真面目だった。ひねくれていて、そして同時に真面目でもあった。苦くて不味いピーマンだって、ほんの少しずつでも、ちゃんと食べ切るのだ。そんな真面目さがあったから、あんな性格でも許されていたのかもしれない。
 授業も真面目に受けていたようだ。
 死んだのも、学校にいる時だった。
 国語の授業だったらしい。先生に指名されて、ひねくれ者の妹は、普通に立ち上がり、普通に国語の教科書を持って、指定された頁の指定された行から、普通に読み始めた。妹は、やるべきことはきちんとやる子だった。授業の中でひねくれることはなかったと聞く。だから、その日初めて妹は、授業中に普通でないことをしたのだった。それが最初で、最期だった。
 倒れた。
 直前まで音読をしていた妹が、急に倒れた。すぐに先生が駆け寄り、様子をみて、息をしていないと気付いた。ついでに心臓も動いていなかった。心臓マッサージもして、AEDも持ち込まれ、救急車も呼ばれた。詳細までは知らないけれど、親の耳に届いた話や、僕自身が聞いた噂によれば、皆が本当に必死だったと。妹を助けるために懸命だったと。だったらもう、どうしようもなかったんじゃないか。葬式のあの時、妹の先生は助けられなかったことを謝っていたけれど。誰がどうあがいたってきっと。
 僕は。
 僕は最初、妹が死んだと聞かされても、どうにも実感が湧かなかった。前日まで、いや、その日の朝まで目の前で生きて動いていた妹が、急に死ぬなんてというのもあった。でもなにより、妹だったから。あの、ひねくれ者の妹だから。死ぬなんてありきたりな事、妹がすんなりするものかと。誰でも普通に死ぬのだから、だったら妹は、ずっと生き続けるんじゃないかって。そんなことある訳がなかった。妹は。妹の遺体は。目を閉じて。綺麗な姿勢で、横たわっていた。それはドラマで見るような、ごく普通の死体だった。それは死体だった。妹は死んでいた。どんなにひねくれていたって、死ぬ時は普通に死ぬのだった。
 ああ。
 妹は、本当に死んだのだ。
 そう理解して、僕は、わんわんと泣いた。涙がぼろぼろと零れていって、溢れていって、ああ今日この日に僕の涙は枯れ果てるのだと思った。
 皆が妹とお別れをし、妹の体は火葬され、そうして天へと昇った妹は、ああして風船になっている。僕は毎日あいつを眺め、ああ今日もひねくれているなと思う。
 妹は本当に突然いなくなった。
 突然。
 突然だった。
 僕の目の前で。
 風船が割れた。
 ぱあん、という音とともに。何の前触れもなく、急に。音読の最中に倒れた時のように。妹が割れた。
 何か。
 何か、ぴかぴかと光る物が、落ちてくる。風船の浮いていた場所から。妹のいた場所から。僕は駆け出す。落ちてきた物に、駆け寄る。そいつは地面にぶつかり、かつんと高い音を立てて跳ね、また落下し、転がった。
 ぴかぴかしたそいつを、僕は手にした。
 星だった。
 星の形をして、ぴかぴか、きらきら、光るものだった。眩しい光。まっすぐな光。純粋な光。
 ひねくれていない光。
 ああ、この星は、あの風船の中から出てきたものだ。割れた妹から、零れ落ちたものだ。だけど。これは妹じゃない。こんなにまっすぐなものは妹じゃない。ひねくれ者の妹は。死んでしまった。いなくなってしまったのだ。もう。どこにも。
 僕はぼろぼろ涙を流していた。
 涙は枯れ果ててなどいなくて、でも今度こそ枯れるのだ。そう感じながら僕は泣いていた。やがて僕は思い直して、やっぱり枯れることはないのだと。だっていつまでも流れていく。おそらくは体中の水分を出し尽くしても、どこからか涙がやってきて、僕はひたすらに泣き続けるのだ。
 悲しかった。
 ひねくれ者の妹は、これで本当に死んでしまった。

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