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小雪

 私がいつものように出勤しようとしていると、妻が「ねえ」と声をかけてきた。
「ねえ、今日、しょうせつだよ」
「しょうせつ?」
「小さい雪って書いて小雪しょうせつ。そろそろ雪が降り始める頃ですよ、って事」
「雪か」
 そうか。ああそうか、もう冬なのか。
 愛する妻と結婚し、この家で二人で暮らし始めて、何度目の冬になるだろう。狭い家だけれど、裕福とはいえない暮らしだけれど、女同士の結婚を未だに私の家族は受け入れてくれないけれど、それでも私達の婦婦ふうふ生活はささやかに幸福だ。そう断言して、良いと思う。私の妻はいつも楽しそうな笑顔を見せてくれるし、私も彼女の妻になれて本当に嬉しいと、彼女にプロポーズしてから何年も経った今でも変わらずそう思っている。
「ね、聞いてる?」
「うん、聞いてる。もう、冬なんだね」
 私達が結婚したのも、冬だったね。そんな呟きが、口からもれる。
 そんな私の呟きを聞いて……。
「え? あ、うん」
 妻は、きょとんとした顔で、そういえばそうだったね、と言う。ロマンチックな雰囲気になるかと思ったのに……。プロポーズの日を思い出してうっとりしていたのは私だけであったらしい。奮発して予約した、安全度5のレストラン。奮発しただけあって、とても素敵な店だった。
「だからさ」
 レストランの思い出に、妻の声が入り込む。
「もう、雪が降る頃だからさ。気をつけていってらっしゃいって、そういう話」
「……うん。ありがとね」
 ロマンチックじゃなくても、優しい妻の言葉があれば私は幸福だ。
「いってきます。今日の現場は防護壁の方だから帰りは遅くなるかも」
「え? ほんとに気をつけてよ?」
「大丈夫、うちのヘタレ上司は戦争ルート徹底的に避ける人」
 今日も私達は小さな家で二人で暮らす。
 今日も街を守る壁の向こうでは無人兵器達が戦争を続けている。
 私は知らない。兵器達が誰の為でもない戦争を続けている理由も。戦いが激しくなる今の時期が、核の冬と呼ばれている理由も。防護壁の向こう側から飛んでくる、雪と呼ばれるものの正体も。
 小雪という言葉を知っている妻は、それらの事も知っていたりするだろうか。
 でも、戦争や雪の事よりも、正直私は、妻が今日作ってくれる夕飯は何かなあとか、そっちの方が気になるのである。

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