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小さな扉

初出:Scraiv

 小さな扉がありまして。
 本当に小さな……人の通れない扉ですよ。そうですね、ファンタジーの世界で小人が使うような、それくらいの大きさの。
 それが私の部屋の壁にあるんです。いつの間にやらあったのです。
 家族は誰も知らないっていうし、私はこんな飾りをつけた覚えもないし。
 飾りだと思うじゃないですか。
 こんなに小さな扉なのですから。
 でもそれが、ある時キイと音を立てて、開いたんです。扉の向こうから顔をのぞかせたのは、先輩でした。学校の、同じ部の、先輩です。数ヵ月前に、行方不明になってしまった先輩なのです。
「やっぱりこれ、建て付け悪いよねえ」
 そんなことを、私に向かって言うのです。知らないですよそんなこと。そもそもそれが開くのだということ自体、私はその時初めて知ったのですし。
 小人が使うくらいの扉です。そこから顔を出す先輩も、まるで小人のようなサイズです。どうしてそんなに小さくなってしまったのでしょう? 先輩は、私の知っている先輩は、確かに人間サイズだった筈です。おかしな言い方ですけれど。先輩は普通に人間なのに。普通の人間だったのに。
「なんでそんなに小さいんです?」
「君が大きいだけじゃないかな」
 先輩はしれっとそんなことを言うので、私は一瞬納得しかけてしまうのですが、いえいえ、やはり先輩がおかしいのです。私は普通です。
「変な小瓶の中身とか飲みました?」
「いいや、テーブルに鍵も置き忘れていないし、まず僕はウサギを追いかけてさえいないね」
 童話のような姿になった先輩は、私にすっと手を差し出して。
「そんなことより、君も来ないか」
 扉の向こうに、私を招くのです。
 誘われたって私には、あの小さな扉をくぐる方法がわかりません。首をふった私に、先輩は少し悲しそうな顔をします。ああ、違います。貴方と行くのが嫌なのではないのです。だって私はそんなに小さくないのです。どうやったら、そこへ行けるというのでしょう。
 先輩は「また明日」と言い残し、ひとりで扉の向こう側へ去っていってしまいました。

 そうして翌日、言葉どおりに先輩はまた顔を出します。

 翌日だけではありません。先輩はそれから毎日、私の部屋を訪れるようになりました。たまに、お土産まで持ってきてくれることもあります。道端に咲いていて綺麗だったからと花を摘んできてくれたり、素敵な色のやつが落ちてきたからと何かの鳥の羽を拾ってきてくれたり。お金がかかっていないとか、そんなことはどうでも良いのですが、問題はサイズです。小人サイズである先輩が持ってくる物です。とてもとても小さいのです。ちょっと目を離せばすぐに見失ってしまいます。くしゃみをひとつするだけでどこかへ吹き飛ばしてしまうでしょう。
 私は小さな小さな箱を用意して、先輩から貰った物は、まとめてそこへ入れておくようにしました。ちょっとした拍子に失くしてしまうのが怖くて、箱の蓋はずっと閉ざしています。ただ新しく何かを貰った時に、それを入れる為に、一瞬だけ蓋を開けるのです。今までに貰った物達が、その一瞬だけ姿を見せます。けれどすぐに、私はそれを閉じてしまい、何も見えなくなるのです。大切にする為に箱へ入れて守っているのに、ひとつも失くさず大事にできている筈なのに、少し寂しいのはどうしてでしょう。
 先輩は、何かを持ってきた日にも何も持ってこない日にも、私にいろんなことを教えてくれます。
 扉の向こうのことを教えてくれます。
 先輩の語る内容は、まるでファンタジーのようです。先輩の姿が一番のファンタジーなのですけど。

「それでね、つまり喋っていたのは洞窟自体だった訳だよ。誰の声が反響していたのでもない。洞窟が声を発していたのさ」

「いやあ、猫のしっぽというのは、すっぽ抜けてしまうこともあるんだねえ。この前言った大蛇の正体なんだけど、そう、実はあれ、抜け落ちた猫のしっぽだったんだ」

「虹の根元に宝が埋まっているなんて聞くけどね、駄目だねあれは。虹の奴ったらあちこち飛び回って、根元を掘る暇なんてとてもとても」

「魚が空を飛ばないのは、体が重いからだって知っていたかい? 骨だけになればあいつらは自在に飛べるんだ。なかなか見事なもんだよ」

「あー疲れた。ちょっと休ませてくれないか。いやちょっと畑仕事をね。……君も気を付けろよ、風船の栽培は意外と力仕事だから」

 変なことばかり言うものですから、デタラメじゃあないのですかと私はついつい確認をしてしまうのです。すると先輩は、その目で実際に見れば良いのに、と私を扉の向こうに招きます。ああ、だから私は、そこをくぐれないのですってば。
 私は小さな先輩と、毎日交流するのです。
 部屋の中の、小さな扉。
 そんな生活をおくっていた、ある日のことです。

 学校へ行く途中にある空き地、お店でもできるのかと思っていた広い空き地に、突然扉が現れたのです。私の部屋にある扉と、同じデザインに見えました。でも、サイズがまったく違っていました。ひたすらに大きいのです。空き地の面積をめいっぱいに使って、その扉は建っているのです。
 そうしてその大きな扉は、私の目の前で、開くのです。
 扉の向こうには、知っている女の子がいました。私に声をかけてきました。
「あれぇ、センパイじゃないですかぁ。なんか縮みました?」
 最近部活に顔を出さないなと思っていた後輩が、大きくなって、そこにいたのでした。

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