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ゾンビの世界
とある研究所から流出したウイルスが、世界をゾンビでいっぱいにした。
「おい、坊主、ここじゃないのか」
「そう……そうですね、ここ、ここだ……」
僕達の目の前には、ボロボロになった建物。経年劣化というよりは、人の手で破壊されたような感じ。多分ゾンビか、それに抵抗しようとした人間が暴れた痕跡だ。
なにしろここは、ゾンピパニックが起こった最初の場所。
件の研究所。
「やっと着いた……」
僕達はこの研究所を目指して、ずっと旅をしていた。ゾンビで溢れる悲惨な世界をなんとかする為の糸口が、原因となった研究所に、あるんじゃないかと期待して。
警察も自衛隊も、頼りになったのは最初だけだった。警官の制服を着たゾンビ達がさまよっている世界で、僕達は必死に食糧をかき集めながら、希望を求めて旅をし、旅の途中で多くのゾンビを倒し、そして多くの仲間を失った。
今、残っているのは。
僕と田中さん(これは偽名かもしれないが、もうどうでもいい)の、ふたりきり。
他の仲間達は、皆、死んだ。
映画の中だったら生き残りそうな、仲間をとても大事にする主人公っぽい男性も、そんな彼といい雰囲気だった美人で優しい女性も、死んだ。
実は昔この研究所で働いていたのだという頭のいい人も、死んだ。
根暗なオタクだがいざって時には活躍した人も、いざって時に皆を庇って死んだ。
生き残ったのは僕達ふたり。
まだ学生だからという理由で、常に大人達から守られていた僕と。
自分の事だけ考えて、誰を助ける事もなく逃げ回っていた田中さんの。
ふたりきり。
……このふたりで研究所に来たって、何をどうすればいいのやら。
田中さんは、ウイルスとかそういうものの、知識とか、あるんだろうか。
「よし。坊主」
「あ、はいっ」
「俺らが調べたって何もわからねえからな。せめて物資でも探すか」
駄目そうだ。
僕だって知識などないから、文句も言えない。
「俺こっち探すから、お前そっちな。とりあえず飯と水と……後、なんだ、解毒剤?っぽいのがもしあったら確保しろ。独り占めはすんなよ! 山分けだからな!」
田中さんの方が独り占めしそうだけど、と思うけど黙っておく。
手分けして研究所内を探索しながら、まあそれでも別にいいかなあ、と思う。もし田中さんが物資を全て独り占めして逃げて、僕が飢え死にする羽目になっても。
それでも、別に。
だって、僕が死んで悲しむ人も、もういないし。
家族も。
友人も。
好きだったあの子も。
皆、皆、ゾンビに襲われるか、ゾンビと化して退治されるかで消えていった。
ここで無事に物資を見つけて生き延びたって……その後僕はどうすればいい。
大切な人は、誰も残っていないのに。
今更……。
ゾンビみたいにさまよいながら、研究所内を無為に眺めていく。
「……ん」
倒れた棚と、床との間に。
何かの書類が挟まっている。
機密、という赤い字が目立つ。
なんだかそれが気になって、手に取って、ずるりと棚の下から引きずり出す。
書類を読んだ。
そこに書かれた文章の、専門用語らしき部分はよくわからない。
それでも、文章の、大雑把な内容くらいは理解できた。
とあるウイルスの説明だった。
そのウイルスは。
人間の脳に入り込み。
人間の五感を狂わせて。そして。
そして。
「おい坊主向こうの部屋は入んねえ方がいいぞ首吊りだ首吊り、腐りきっててヤベェから……あ? 何見てんの?」
「あ。え。ええと。これ。あの。ゾンビウイルスについての、書類みたいで。でも」
「は? マジで? 貸せ」
田中さんは僕の手から書類を強引に奪い取り、読む。
でも読まない方がいいかもしれません、と、言い損ねた。
書類に書かれていたのは、通称ゾンビウイルスについての説明。
その正体。
人間の五感を狂わせて。認識を狂わせて。
目の前にいる人間の事を、恐ろしいゾンビだと誤認させる、そういうウイルス。
誤認。誤った認識。
僕達が、ずっと、ゾンビだと認識していたものは。
あの時僕達が頭を潰したゾンビは。火をつけて燃やしたゾンビは。瓦礫の下敷きにしたゾンビは。
僕に襲いかかってくるように見えた、両親の姿をしたゾンビは。
その本当の姿は。
紙の裂ける音がした。
「…………え? 田中さん? 何してるんですか?」
田中さんが。
書類をびりびりに破いていた。
「俺達は何も見ていない」
「え?」
「つうかお前、こんな食えない紙とかじゃなくてさ、飯探せっつってんじゃん」
重要な事が書かれていた筈の書類が、粉々になって床に散らばる。
「で、も。でも。それ。だって。本当は。ゾンビは」
「本当も何もねぇよ馬鹿、ゾンビはゾンビだろクソガキが。今更、…………今更何を知ったところでどうしようもねえだろ、もう。ここはゾンビの世界で、俺達生存者は必死に逃げて飯食ってクソしてまた逃げる。それでいいだろ。それしかねえだろ?」
多分。これは。映画とか、ゲームとかじゃ、選んではいけない選択肢だ。
バッドエンド一直線だ。
「なあ。一緒に逃げようぜ。一緒に逃げてやるよ、お前ガキだもんな。その代わり、いざって時にはお前を盾にするからな」
田中さんは僕に手をのばす。
僕は、その手を、……掴んでしまった。
この先に待つのがバッドエンドだと、わかっていながら。
だって。だって、たったひとりじゃ、ゾンビの世界を生きられないから。
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