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はじめ彼女は透明だった

初出:スキマノベル

 はじめ彼女は透明だったんだ。
 これは真面目な話だけど、彼女は最初、透明人間のようなものだったんだ。そこに存在はしていたのに、誰も彼女に気付かない、見えていない。でもいたんだ。多分、僕が彼女の気配に気付くずっと前から、存在していたんだ。
 教室の片隅に、誰かがいるような気がしていた。クラスの誰にも、家族にも、僕はそのことを話さなかった。誰もいない場所を指さして「あそこに誰かいる」なんて告げたら、眼科かカウンセラーのどちらかを紹介されるのが落ちだ。僕は彼女の気配を感じると同時、目に誰の姿も映らないことを認めていた。まあその頃は、彼女なのか彼なのかも分からなかったんだけど。
 それが一学期のことで、変化があったのは夏休みのちょっと前だったかな。断片的に彼女が見えてきた。ええとそうだな、たとえば、視界の端に長い髪が見えたり、それから床に落ちた消しゴムなんか拾う時に誰かの上履きが目に入って、でも顔をあげると誰の姿も見えないんだ。
 この辺までがまだ「気のせい」ですむ範囲。
 次は夏休み中の登校日のことだ。朝、まだ人の少ない教室に入ると何か違和感。クラスメイトが集まり出して、やっと気付いた。席が一人分増えていたんだ。だけど誰も気にする様子はないし、先生も何も説明してくれない。気にはなりつつ僕も何も言わなかった。何事もなくその日は終わろうとして、帰ろうとした僕が何気なくその席を見ると、鞄が置かれていた。もしかしたら誰かがたまたまそこに置いたのかもしれない。でも、ひょっとしたら、あの席の人の鞄じゃないだろうか。余分に増えた席を、使っている誰か。そう考えていると、ふっ、と。目の前で、ふっ、と鞄が消えた。それは肯定のように思えた。
 やはりこの教室には透明な誰かがいるんじゃないか。
 夏休みが終わって、急ぎ足で教室に向かった僕の目に、あの席は確かに映った。席は消えていない。それどころか、机の横には鞄がひっかけてあったし、机の上には読みかけのような本が置いてあったし、本の頁は時々めくられるのだ。誰も触っていないのに。
 そして二学期半ばくらいからかな、先生が出席をとる時、知らない名前が呼ばれるようになった。知らないというか、聞きとれなくて、わからない名前。そして誰かが返事をする。女子の声ではあったけれど、誰のものとも言えない声。
「●◇*%▼」
「はい」
 ただ、名前の最初は「と」か「な」だと思った。順番としてはこうだったから。
「戸川」「はい」「●◇*%▼」「はい」「内藤」「はい」
 聞きとれない名前に、急に戸川さんと内藤君の間に入り込んだ名前に、誰も何も反応する様子はなかった。皆いつもどおりだった。僕だけが聞き慣れない名前を気にしていた。
 それから、●◇*%▼はたまに授業でさされるようになった。国語の教科書を音読だってしていた。彼女はいつもすらすらと読むから、先生に褒められるほどだった。僕の耳に彼女の声は届いたけれど、そっちに目をやっても、人のいない机の上に広げられた教科書があるだけだった。
 二学期の終わり、僕に彼女の姿が見えた。
 あの席に座る姿があった。髪の長い女子だった。本を読んでいた。
 だけど、瞬きをすると姿は消えた。
 それから、冬休み。正月の出来事。家族に少し強引に連れられて、初詣に行ったんだ。混雑した神社で、僕は誰かの姿を見つけた。彼女だった。あの透明な女子だった。いや、彼女の姿ははっきりと目に映ったし、
「あらあんた、どうしたの、友達でも見つけた?」
「うん、友達っていうか…同じクラスの、戸宮さん」
 母に訊かれた僕の口からは、彼女の名前が出てきていたのだ。
 三学期。戸宮さんは普通に教室にいて、席について、授業を受けていた。音読をするのが上手い、本を読むのが好きな、普通の女子だった。
 それから彼女は消えることなく、まるで最初から存在していたように、教室にいる。こんな話をしたら、相手はきっと、僕の方がおかしいんだと思うだろう。
 でも確かに、はじめ彼女は透明だったんだ。

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