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月山文庫あらわる

 二○二一年も終わりに近付いた、とある冬の日の夕方。
 小学生のタカシくんは、腕組みをし、いかにも悩んでいますという顔をしながら通学路を歩いていました。隣を歩く、友達のトモくんも同じ様子です。彼らの左を、『懊悩珈琲店』と書かれた車がゆっくりゆっくり走っていきます。なんだかごちゃごちゃした文字が通り過ぎていったなと思いながら、ふたりは言葉を交わしています。
「じゃあさあタカシさあ、何読んだらいいと思う?」
「えー? なんか……すごい本。あっ、なんかブ厚い本。ほら文芸クラブのやつが読んでるようなさ」
「ブ厚いの読める?」
「読めない」
 ダメじゃーん、と言いながら、トモくんは唇を尖らせます。その口を見ながら、タカシくんもなんとなく同じ動きをします。腕組みをして唇を尖らせた小学生ふたり。彼らの悩みの発端は、今日の学校での、担任の先生の言葉でした。
 もうすぐやってくる、楽しい冬休み。
 その冬休みに、先生が宿題をひとつ追加してきたのです。
 なんと、読書をしろと言うのです!
 冬休みに一冊本を読んで、三学期に何を読んだか発表しろと言うのです!
 夏休みにも読書感想文を書かされたのに! 冬にまで!
 タカシくんもトモくんも、本なんて朝読書の時間くらいでしか読みません。漫画だったらたくさん読むのですが、冬休みの読書では、漫画は禁止だという話でした。そういえば夏休みの読書感想文でも同じ決まりでした。漫画だって本なのに。なんて理不尽な事でしょう。
 それでも夏と違って、原稿用紙で何枚も感想を書いてくる必要はありません。読んだ本のタイトルと、簡単な内容の説明だけでいいそうなのです。
 だったらまあ、適当に済ませられるんじゃないか。タカシくんもトモくんも、最初はそう考えていました。
 でも、そう、どちらが先に言い出したのでしたか。
 冬休みってさ、お年玉があるよな……と。
 真面目に読書をするような真面目な子供を演じたら、「まあなんて真面目な子なんでしょう」とお年玉が少しでも増えたりはしないだろうか。世の中には欲しい漫画やゲームがあふれているのに、自分の財布には小銭ばかり。お年玉は貴重な収入源。お年玉の為ならば、本だって読んでみせましょう。
 では、何を読むのか?
「トモさ、何読めばいいと思う?」
「それさっきから俺が聞いてんじゃん。タカシは何読むんだよ」
「僕はさー……だからさー……ばあちゃんが『そんなの読んでタカシはすごいねえ』って言うようなさー……」
「何それどんな本」
「わかんない」
 いくら考えても答は出ません。頭に浮かぶのは漫画ばかり。漫画を読んでもお金は貰えません。
 そもそも読書を真面目にしたところでお年玉の額が変わるかは不明ですが(きっと変わらないでしょうが)、ふたりの頭の中ではもうそういうストーリーができあがっていました。
「やっぱ僕さ、なんかブ厚いの読んでやろうかな」
「バカお前アレだぞ、冬休みに読むんだぞ、冬休みって短いんだぞ、読めるか?」
「読めない」
 ぐだぐだと話していると、いつの間にか、ケーキ屋さんの前まで来ていました。
「あ、クリスマスケーキの店だ」
 とタカシくんが呟くと、
「あ、うちもだ」
 とトモくんも言います。そして、
「あれ、これまだ売ってるんだ」
 なんて話しながら、トモくんはケーキ屋さんの窓に貼られたチラシを指さします。
 そこに書かれているのは、『五輪ドーナツ』という商品名。行われた東京オリンピック、その記念に作られた商品であり、作られたというかまあ、輪っかの形であるドーナツを五個箱詰めして『五輪』として売っているだけのものです。ちなみにバウムクーヘン五個入りという案も店長から出たけれど、バウム五個は流石に多すぎるので店員達に却下された、という噂です。真偽は不明です。
「まだってか、ずっと貼ってあるじゃんそれ」
「マジで? 気付かなかった。俺実は和菓子派だから」
「じゃあクリスマスも和菓子食っとけ」
 話している内にふたりの頭の中には、クリスマスに食べる予定のケーキや、箱詰めされたドーナツが浮かんでくるようになりました。
 読書の話なんてもうどこへ行ったやら。
 さて、ケーキ屋さんを通り過ぎると、すぐに十字路へと辿り着きます。
 十字路はわかれ道。タカシくんは十字路をまっすぐ、トモくんは右に曲がり、「また明日な」とお別れする道なのです。今日だって当然いつものように、そうなる筈でした。
 けれど。
「なあタカシ、あれ何だ?」
「何だ、って、羊だろ。羊、羊じゃん。羊か?」
 ふたりの目の前の十字路を、のそのそと右から左へと通り過ぎて行こうとしているもの。通学中の小学生に配慮する時の車より、もっとゆっくりとしたスピードで移動しているもの。もっと車通りの多い場所であれば渋滞の原因になりそうなそれは、確かに、羊のようにも見えました。いえ、確かに羊でしょう。でも、ちょっと変です。
 そのサイズがトラックくらいに大きい。というのも気になる点ですが……。
 一番気になるのは、やっぱり、扉。
 その大きな羊には、大きな扉がくっついているのです。
 真っ白な毛に覆われた胴体の、左側面。そこにあるのは、うん、どう見ても扉です。木製でしょうか。焦茶色の。あれは一体何なのか。気になってしまったタカシくんとトモくんは、大きな羊に近付いていきます。羊の動きはゆっくりなので、簡単に追いつく事ができました。ふたりは羊の扉をジロ、ジロ、ジロと観察していきますが、まあ、どう見たところでそれはただの扉でしかありません。羊の胴体にさえくっついていなければ、何の変哲もない普通の大きな木製らしき扉。
 と、そこへ。
「君達、近付きすぎると危ないから、もう少しだけ離れてね」
 上の方から声がかかります。どこから? ふたりはきょろきょろと見回して気付きます。羊の上に、人の顔、ええ、女性の顔が見えます。羊に乗っているのでしょうか? さっきまで女性の姿なんてあんな所にあったでしょうか。
 すこしふしぎな光景にぼけっと立ち止まってしまったふたり。それが、指示に従って近付かなかったように思われたのでしょう。「ありがとう」という言葉を残し、女性の姿は見えなくなりました。羊は変わらず歩いていきます。ふたりは顔を見合わせて、それから、羊とある程度の距離をとりつつも、追いかけていきました。
 あの羊は何だろう? あの扉は? あの女性は?
 羊はどこまで行くのだろう?
 のそのそゆっくり歩く羊。もしも遠くまで行くのだとしたら、あのスピードではすごく時間がかかりそうです。大丈夫でしょうか。
 でも、心配は要りませんでした。
 羊の目的地は、案外近くにあったのです。
「あ、ねえ、空き地入ってった」
 タカシくんが指さす先。
 何かの店らしき古い建物と、多分民家であろう古い建物……そのふたつに挟まれるようにして、何も建っていない地面だけの空間が、空き地が、広がっているのです。そして、羊はその空き地へとのそのそ入っていくのです。
「ほんとだ、てか、まず俺ここに空き地とかあったの知らないんだけど。こっちの方俺来ないし。タカシ知ってたん?」
「うちのばあちゃんの散歩ルートだもん。ええっとさー、ここ、前は何かの店が建っててー……、そんで潰れちゃったんだって、ばあちゃん言ってた。なんか駐車場になる筈だったけどならなかったらしいよ」
「なんで?」
「知らない」
 何の店でも駐車場でもない、何もないただの空間に入っていった羊は、その中心辺りでピタリと止まります。そうして。
「ん? なんだ?」
「なんだ?」
 タカシくんとトモくん、ふたりの目の前で。
 羊の四本の足が、地面に沈んでいくのでした。
 ええ、それはまるで、エレベーターが下がっていくように、まっすぐ下に。足がずぶずぶ地面へ沈み、見えなくなって、次には胴体までもが沈んでいってしまうのかと思ったけれど。でも、羊の胴体の木製の扉が、ストッパーにでもなったかのように。扉が地面に触れた瞬間、もうそこで、沈む動きは終わりました。
 もう、羊は動きません。
 タカシくんとトモくんは、動かない羊を眺めています。
 眺めていても動きません。
 タカシくんとトモくんは、動かない羊に近付いていきます。
 近くへ行っても、動きません。
 しかし、おや?
 羊は動きませんけれど。
 扉が動きました。
 扉が内側へ向かって開いていくのです。
 ええ、その扉は内開きでした。
 ええ、羊の胴体についた扉が、羊の胴体の内側へ向かって、開いていくのです。
 扉の向こうには何があると思いますか? 羊の内側にあるものは。羊のお肉? 羊の骨? いいえ、そんなものではありません。
 扉の向こうには、女性が立っていました。
 さっき、羊の上からふたりに声をかけてきた、あの女性です。
 女性の後ろには、本棚がずらりと並んでいます。
 そこは図書室、図書館、いや、まるで本屋さんのような。
「いらっしゃいませ」
 女性が、そう、声をかけてきます。
「って言っても、開店は明日からなんだけど……せっかくだから、ちょっと覗いていきますか? お客様」

 こうして、タカシくんとトモくんは、移動書店“月山文庫”に出会ったのです。

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