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いなくなった人

 隣人と関わるなと母は言う。
 隣の家の斉藤さんは昔はいい人だったのだけど、奥さんが子供を連れて出て行ってからおかしくなってしまった。別居なのか離婚なのかは知らないし、そうなった理由もわからない。私の目には、ううんきっと誰の目にも、彼らはとても仲の良い家族に見えていた。それが何故崩壊してしまったのか。なんて、ただ隣に住んでいるだけの他人である私が、気にする事ではないのかもしれないけれど。
 斉藤さんは普段家の中にいる。時々庭に出てきて、ぶつぶつ何かを呟きながら空を見上げて佇んでいたり、しゃがみ込んで泣いていたりする。買い物は通販で済ませているんだと思う、宅配便の人がよく来る。私はそんな斉藤さんの様子を母にバレないように観察している。母にバレたら怒られてしまう。悪趣味だし危険だと。悪趣味は認めるが危険というのはどうだろうか。母は、自分がよくわからないものは全部危険だと言うタイプだから。SNSも、流行りのゲームもアニメも、隣人も。
 そんなある日の、夜の事だ。
 寝ていた私はふっと目が覚めて、スマホを見ると午前二時。それで、まあ、普通に寝直そうと思って目を閉じて、違和感に気付いてまた目を開けた。
 窓の外が明るい。
 窓の外を、覗いてみる。ちなみに私の部屋は二階にあって、この窓からはちょうど隣家の庭がよく見えるんだけど……。
 隣家の……斉藤さんの家の、庭が、光り輝いていた。
 いや、庭っていうか、庭にでっかく魔方陣が描かれていてそれが光っているんだ。魔方陣の中央に斉藤さんが立っていて、何か……何か叫んでいる。なんだろう、よく聞き取れない。なんて言っているんだろうか。
 わからない。まるで呪文でも唱えているみたい。
 見ていると、光がだんだん強くなってきて、眩しくて私は目を閉じた。
 そして……。
 気付くと朝だった。
 私、あのまま寝ちゃってたのかな……。
 窓から隣家の庭を見ると、光ってもいないし魔方陣もない。というかもしかして、あれってそもそも夢だったんじゃないだろうか。いや、そりゃそうだよね。なんだよ魔方陣って、漫画じゃないんだから。
 着替えをして洗面所やリビングのある一階に下りていくと、両親がなにやら騒いでいる。
「何、どしたの」
「ああちょっとお隣よお隣、なんか新聞配達の人が見つけたらしいんだけどね」
 斉藤さんの家の庭に。
 斉藤さんの奥さんと子供が、倒れていたらしい。
 意識はなかったけれど声をかけると目を覚まし、怪我もしていないようだが、念の為に病院へ運ばれたという。
 そして、後日。
 母経由で、私は隣家の状況を知った。
 庭で発見された奥さんとお子さんなのだが、家を出て行った以降の記憶をなくしているらしい。というか家を出た自覚もないという。
 でもまぁとにかく、ふたりが戻ってきたのだ。斉藤さんも喜んでいるだろう。
「あらやだアンタ聞いてない?」
「何が?」
「今度は旦那さんの方がいなくなっちゃったのよ」
 庭でふたりが発見された日から、行方不明なのだという。確かにあの日以来、姿を見てはいなかったけれど、でも家の中か病院とかにいるものとばかり。
「そういえばあれはアンタがいない時だったわ、警察の人が聞き込みに来てね。最近何か変な事はなかったか、って訊かれたんだけど別にねえ……何もないわよねえ」
 私は。
 あの夜の事を、あの魔方陣の事を、誰にも話していない。
 だってどうせただの夢だと言われるだろうし、実際私もきっと夢だろうなと思っている。でも、もしかしたら、あの光景は現実だったのではないかと。庭の光る魔方陣が、斉藤さんの失踪にも、奥さんと子供が戻ってきた事にも、何か、関わっているのじゃないかと……そんな想像が、やめられないでいる。

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