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コイの病

初出:Suimy

 コイの病なんです。一昔前は、そう言うと笑われた。馬鹿にされた。一部の医者でさえ、くだらないことを言ってからかうなと怒ったものだ。それほどに認知度の低い病であった。それが数年も経たぬ内に、一変した。コイの病なのか。それは大変だね。治ると、良いのだけれどね。誰もがそう心配をするようになった。それほどに、身近な問題となっていた。
 コイの病にかかる人が、だんだんと増えていったのだ。いや、過去形では語弊があるか。だんだんと増えている。現在進行形で。
 けれど効果的な治療法も薬も未だありはしない。そう、昔から言うではないか。お医者様でも草津の湯でも、恋の病は治せぬと。正直駄目かもしれない。これは不治の病なのかもしれない。そう思っているのは、私だけではないのだろう。きっと大勢の人が。この馬鹿げた病気を。治したくて。治ってほしくて。それでもどこか諦めの気持ちを、もっているのだと思う。
 こんな馬鹿げた病気が。
 人々を絶望に追い込んでいる。
 こんな、鯉に恋するだなんて笑えない駄洒落のような病気が。人を悲しませ、苦しませている。動物に恋する、という特殊な人が昔から存在するのは知っている。以前にオタクがブームになったように、そういうただの「特殊」が表に出てきただけだと最初は思っていたのに。「特殊」だと、言えないほどにその数は増えてしまった。
 それでも、まだ私は一部の人の単なる嗜好と思っていた――思おうとしていた。私の娘がコイの病にかかるまでは。この前彼氏と別れたと、当然だが人間の彼氏と、別れてしまったと哀しそうに愚痴っていた娘が。深刻な顔で、コイの病にかかってしまったようだと言い出した時は冗談だと思った。私が笑っても娘は笑わなかった。何故笑うのだと怒らずに、ただ、真剣に私を見つめていた。妻が泣き始めたあたりで漸く現実を認識した。それでも顔は頭についていかなかったらしい。私が泣いてからも貴方は笑っていたと、後で妻に詰られた。どんな顔をしていたのか記憶はなかったのだけれど、とりあえず謝った。
 後日娘は病院へ行き、医者に確かにコイの病だと認められて帰ってきた。
 藪医者なら良いと思った。
 コイの病にかかった人の中には、自分を異常と認識し、治らないかと願う者もいる。恋を受け入れてしまって、鯉を飼い始める者もいる。それは本人達にとっては同棲なのだろうけど。しかし言葉の通じない相手だ。愛し合っているといえるのか。ただの片思いじゃあないのか。ああ、違う。そんなことを言いたいのでない。そんなことを思っているのじゃない。私はそこにある(かもわからない)愛を否定したいのだ。片思いだって立派な恋だというのに。両思いだけを否定したって意味のないことは理解している筈なのに。
 それでも、否定したいのだ。
 進んでいくだろう少子化など、どうだって良い。
 ただ、私の娘に人間と結婚してほしいと。
 そうして――。
 最近、ある家の鯉を見る度に胸がざわめくこの感情を、認めたくはなくて。
 ああ――それでも気になることは。
 たとえば、そう、もしもの話として、あくまで仮定として、私があの鯉と暮らしたいと願うのは浮気に当てはまるのだろうか?そういう、疑問である。

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