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陽樹と大羊

初出:Suimy

 緑色の、ふかふか羊毛に体を沈めて。やさしい風を感じながら僕は、現と夢の間でうとうと。なんとも幸せな一時だ。
 だのに羊毛はふいに立ち上がり、僕は地面に転がり落ちる。痛。
「メェ」
 ふかふかな僕のペット、大羊。旅のお供。あたたかなベッド。名前はメリー。気まぐれな奴。のそのそと歩きだす、僕を置き去りにして。おい、どこへ行くんだよ。
「メェ」
 彼女は返答したんだか独り言なんだか、ともかく鳴き声をあげ、足は止めない。主人を捨ててのそのそと。
 僕はメリーを追いかける。
 僕はメリーに追いつく。
 こいつはそう速く動かない。走るのなんて、身の危険を感じた時くらいだ。僕はメリーに問いかける。さっきと同じ問いをする。なあ。
「なあ、どこに行くんだよ」
「メェ」
 その鳴き声の意味が、僕に通じる訳はない。ファンタジーじゃないんだから。それでも僕は緑色のふわふわちゃんに問いかける。どこへ行きたいんだい、お前は。
「うん?」
 メリーの動きが速くなる。走るんじゃない、少しだけ。ほんの少しだけ足が速まる。何か見つけたのか。前方を注意深く観察する。あっ。
 進行方向に佇む大きな岩。その陰にひっそり隠れるように、小さな木が生えている。
 陽樹だ。
 珍しい。この辺は日当たりが悪いのに。まあ、今まで見てきたものよりかは随分生育も悪いけれど、それでも立派に実をつけている。
 メリーは、その実のひとつに齧り付く。
 緑だった毛がぽうっと赤く光る。
 ――驚いた。この陽樹は思ったよりも栄養を蓄えているらしい。こんな日当たりの悪い場所で。他の条件が優れているのだろうか。土が良いとか。実をむさぼるメリーを眺めながら、僕は何気なしに岩へ手をやる。
 柔らかい。
 これ――これ、違う、岩じゃない。大羊だ。そうだ、月になった大羊だ。
 ばあちゃんが語ってくれたあの話。やっぱりただのお話じゃなかったんだ。

 大羊はね、大切にしなけりゃいけんよ。

 何度も繰り返し語り聞かせられて、すっかり覚えてしまった、話。

 大羊はねえ、土地の守り神となることがあるんだよ。
 どんな大羊が神様になるんか、どんな土地で神様になるんか、そりゃあ分からん。
 お前の父さんの大羊も、お前がいつか貰う大羊も、もしかすっと神様になるんかもしれん。
 予想はできん。
 ただね、神様になった大羊は、陽樹の傍で岩んなる。
 柔らかくて、そんで動かん灰色の岩になる。
 そうして、陽樹の出す光を、力を、吸い込んで、あたりに吐き出す。
 陽樹の光を、自分を介して大地に、空に、ふりまく。
 お空にお月さん昇るだろう、ありゃあね、太陽の光を反射しとる。
 太陽の光を、自分を介して、暗い夜にふりまく。
 神様になった大羊はね、それになぞらえて、月になった、ともいうんだよ。
 動かん月だね。
 ずっと在る月だ。

 月。
 こいつは、月になった、大羊。神様になった大羊。こいつがいるから、こんな環境でも陽樹が育っているのだろうか。いやそれとも、こんな所でも強く育つ陽樹だから、こいつは月になったのだろうか。
 メリーは月に目もくれず、陽樹の光を直接に咀嚼している。光を体にとけ込ませていく。メリーもやがてはもしかしたら、月になるのかもしれない。
「………」
 なんだか少し寂しくなって、メリーの毛にそっと触れた。食事の邪魔はしないように。そうっと。
 メリーの毛は、陽樹の実と同じ色に、赤い色に、光っていた。

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