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〈月のリズム〉満月に流れるエネルギー🌕「まつり」と「ハレ」

今回は『☽月のリズム』について考えてみたいと思います。

本来『☽月のリズム』は、「月日(つきひ)」や「生年月日」と呼ばれているように、生活の中での存在感は非常に大きく、古くから生活の中に溶け込んでいたものであります。
それが明治の「明治改暦」により、月とバッサリ切り離されたわけですね。

日本におけるグレゴリオ暦導入
改暦の公布
日本では、ほぼ西暦1872年に当たる明治5年、「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」とする改暦ノ布告(明治5年太政官布告第337号)を布告した。
この布告では、明治5年12月2日(1872年12月31日)をもって太陰太陽暦(天保暦)を廃止し、翌・明治6年(1873年)から太陽暦を採用すること、「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」として、グレゴリオ暦1873年1月1日に当たる明治5年12月3日を改めて明治6年1月1日とすることなどを定めた。したがって、明治5年まで使用されていた天保暦は、明治6年以降は旧暦となった。これが明治改暦である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/グレゴリオ暦#日本におけるグレゴリオ暦導入

この頃、色々あったであろうことは、なんとなく皆様ご承知だと思います。
何があったのか??気になるところではありますが、ここを突き詰める事が今回の目的ではありませぬ。
(まず突き詰める知識が私には足らん。)

私が気になるのは、月のリズムの使い方です。
「生活に馴染んだリズム」の様なものを、改めて整理したいと思うのです。

月と切り離されてから150年経ちました。
しかしその前の何千年もの間、人類は月とも太陽とも一緒に、ながーーーい間生きていたのです。

想像するに昔の人たちは、
昨日と今日の差を、月の姿を見る事で確認し、
1週間の様な感覚を、「新月〜上弦の月」「上弦の月〜満月」のような7〜8日のスパンで確認していたと思われます。

占星術を学ぶと、これがかなり理にかなっていると思ってしまうわけです。
月を見て、90度毎のベクトルが変わるタイミングに合わせて、自然と行動を変えていたのでしょう。

月の動きをよく見ていた昔の方々が、月とどの様に生活していたのか??
まずそこから確認してみたいと思います。


旧暦の行事

昔のお祭りやお祝いのタイミングは、ほぼ月の形で決められていたようです。
それもそのはず。
季節毎の細かい日時の違いを識別したい時、月の形で判断すれば一目瞭然です。
人々の真上にカレンダーがあるようなものです。
公共の、うちゅうカレンダーです。
空を見ながら、お祭りの日を楽しみに過ごしたりしていた訳ですね。

そんな昔の行事を、今回は「日付毎で分ける」をしたいと思います。
よく「一月は〇〇・二月は〇〇」というのは見かけますが、日付毎は見かけません。
ので、
私の知っている限りの「月の動きに関係しそうなお祝い事等」を集めてみました。

一日は、新月🌑
三日は、三日月🌒
七日〜八日は、上弦の月🌓
十五日は、満月🌕
っということになります。
(絵文字も隣に入れてみてます。出てるかな??)
参考サイトは適宜リンクつけましたので、気になる方は飛んじゃってください。
大きくはコチラご参考に↓


一日🌑

一月一日 元日
七月一日 釜蓋朔日
八月一日 八朔(田の実節句・頼み節句)

三日🌒

三月三日 上巳の節句(桃の節句)

五日

五月五日 端午の節句

七日🌓

一月七日 人日の節句(一年の占い)
七月七日 七夕の節句

八日🌓

二月八日 事始め
四月八日 灌仏会(花まつり)
十二月八日 事納め

九日

九月九日 重陽の節句

十日

十月十日 十日夜

十三日🌔

三月十三日 十三詣り(13歳の半元服、厄祓い)
九月十三日 十三夜(月見の風習)
十二月十三日 江戸のすす払い

十五日🌕

一月十五日 小正月・元服の儀(成人式)
二月十五日 涅槃会
ニサン十五日 過越の祭り
四月十五日 御頭祭
七月十五日 お盆
八月十五日 十五夜(中秋の名月)
十一月十五日 七五三

十七日🌖

七月十七日 祇園祭(山鉾巡行・前祭)
九月十七日 神嘗祭
十月十七日 神在祭(神等去出祭)

二十四日🌗

七月二十四日 祇園祭(山鉾巡行・後祭)
七月二十四日 地蔵盆(二十三日の場合も)

三十日🌑

六月三十日 夏越の祓
十二月三十日 大晦日・大祓 


一眼で解ることは、やはり🌕満月にお祭り・お祝いが多いということでしょう。
十七日にも大きなお祭り等が連なっていますが、どれも満月を挟む形で行われる盛大なお祭りや祭祀となっております。
早くて十一日あたりから始まり、十七日に終わるパターンです。

中でも「お盆」の行事は、日本全国的に行われる最大の行事かと思われますが、この七月のお祭りはかなり特別だという事が解ります。
準備は、一日から始まっております。
七月一日 釜蓋朔日(お墓の掃除に始まり)
七月七日 七日盆(七夕は前祝い)
七月十三日 迎え盆
七月十五日 盂蘭盆会・盆踊り
七月十六日 送り盆・盆踊り

この「お盆」近辺のお祝いの盛大さは、前々から気になっており、昨年アメブロにて書いた記事もありますので、気になった方は覗いてみてくださいませ。↓

では、ここまでをまとめてみます。

〈各行事と月の日付との照らし合わせ〉
一日
は、新しい蓋が開き
七日
は、占いや祈り
八日に、動き始める(冬休みを始める)
十一日から、お祭り準備
十三日に、お祓い
十四日は、前夜祭的祝い
十五日を中心に、盛大なお祭り・お祝い
十七日は、盛大なお祭りの後夜祭的行事
二十四日までには、お祭り納め
三十日には、大祓

🌑新月一日が切り替え
🌓上弦の月
の七日〜八日に動き出し
🌕満月
の十五日に祭り
🌗下弦の月の二十三日〜二十四日までに納める
🌑新月の三十日に大祓

昔の人は、「上弦の月」「満月」というものがどんなエネルギーなのか、どんな雰囲気が流れる時間なのかを、体感で解っていたのでしょうね。
私たちが「金曜日の夜」「日曜日の夜」っと言われるだけで、多くを語らなくても意思疎通ができるような、あんな共通認識をみんなが持っていたのでしょう。
生まれた時から、月の錬金術を自然に習得していたなんて羨ましい限りですね。

よく、
新月に種まき
上弦の月から成長
満月以降に結果を受け取り(達成)
下弦の月以降は浄化
と言われていますが、そこともリンクしていますね。

ただ、満月のタイミングは「結果を受け取るタイミング」と表現されますが、
昔の方にとっては「祭りのタイミング」だった様です。

月のリズムを使う事は「月の錬金術」と表現されることもあるように「自分の希望を通したい」とか「良い結果を得たい」などの、欲を形にしたいという気持ちが強い場合、「満月は、結果(達成)」と表現されるのでしょう。

ただこの表現は、昔の人の「満月は、祭り」とは、少し印象が違う氣がしませんか?

「まつり」というのはそもそもどんな役割を持っているものなのでしょうか??


「まつり」とはどんな「時」なのか

満月に「まつり」が多いとは、どんな意味があるのか?
あえて「まつり」を満月に集める意味は何か??

ただ夜が明るいからですよ〜っという説もあるけれど、んなわけあるまい!!
それだけじゃないわい!!
逆に、明るいことに意味があるのじゃ!!

っということで、「まつり」について確認してみました。

日本語の「まつり」の語源と原義
「まつり」という言葉は「祀る」の名詞形で、本来は神を祀ること、またはその儀式を指すものである。この意味では、個人がそういった儀式に参加することも「まつり」であり、現在でも地鎮祭、祈願祭などの祭がそれにあたる。日本は古代において、祭祀を司る者と政治を司る者が一致した祭政一致の体制であったため、政治のことを政(まつりごと)とも呼ぶ。
「まつり」や「まつる」という古語が先であり、その後、漢字の流入により「祭り」・「奉り」・「祀り」・「政り」・「纏り」などの文字が充てられた。
祀り」は、神・尊(みこと)に祈ること・・・(略)
祭り」は命・魂・霊・御霊(みたま)を慰めるもの・・・(略)
奉り」は、奉る(たてまつる)・・・皇室神道に本質がある「尊(みこと)」に対する謙譲の精神を内包した「まつり」・・・(略)
政り」については、・・・祭祀を司る者(まつり)と政治を司る者(まつり)は、同じ意味・・・(略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/祭

「まつり」という一言には、
深い「意味歴史思い」が詰まっている事が感じ取れますね。

神と人、その地域の人々、御霊・先祖、住んでいる場所、
「全ての存在に対する感謝」の様なものを、みんなで分かち合う
そんな時間の様に感じます。

「まつり」とは、
全ての存在で創り上げる『場』であり、
神との共同創造、
周りの人々との共同創造、
大自然との共同創造、

神と人と自然との間で行われるエネルギー共有
のようなものだったのですね。

「神との共同創造」なので、神界のエネルギーと繋がる状態を創る必要があった。
それが巫女さんや占い、祈祷といった要素がある意味。

そして神と人と自然を繋げる必要があり、共鳴させる必要があった。
それが音楽・踊り・歌といった、音や振動による共鳴の要素。
また、個人個人の創造を表現する『場』でもあり、それを観て楽しみ褒め合う様なお披露目の『場』でもあったのかもしれません。
神にも楽しんでもらおうといった気持ち。

「自然との共同創造」としては、実りに対する感謝と、今後も末長く実りを永続させていこうという循環の気持ちから、奉納の要素。
一部を自然に還す儀式。

そして人間の間では、その「まつりの場」を共同創造していくためのルール作り・助け合いの気持ちを育てる、政治の要素。

さらに、神界と人間界とが繋がっている状態だからこそできる「霊魂・御霊の浄化」の要素。
霊界をも貫く様な、神界・霊界・人間界を、ひとつの線で繋げることができる『場』を、全ての存在で共同創造していた訳ですね。

祭祀と祭礼
祭祀と祭礼に厳密な区分はなく、便宜的な区分である。
「まつり」は、超自然的存在への様式化された行為である。祈願、感謝、謝罪、崇敬、帰依、服従の意思を伝え、意義を確認するために行われた(祭祀の段階)。祭祀は定期的に行われるとは限らないが、年中行事や通過儀礼と関連して定期的に行われるものが多い。このことによって、「まつり」は、日常生活のサイクルと深く結びつき、民俗学でいう「ハレとケ」のサイクルのなかの「ハレ(非日常性)」の空間・時間を象徴するものとなった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/祭#祭礼

「ハレとケ」の、「ハレ」に当たる時空間が「まつり」ということですね。

『ハレ』と『ケ』

私にとって、「ハレとケ」の話をとてもわかりやすくお話ししてくれた存在として浮かぶのは、
「優花さん」
優花さんは「宇宙の源であるゼウ氏」をトランスチャネリングで降ろされている方。
これからの地球の大変化に必要な情報を伝えてくれています。↓

優花さんは、「まつり」を何度も開催しているそうです。
まつりといったら優花さん!
優花さんが「ハレとケ」について話されている動画はコチラ↓。
始めの方で、お話されています。
全編内容が濃い動画なので、おすすめです。

「ハレとケ」の部分だけ簡単に要約させていただきます。

祈りには2種類ある。
それが「ハレとケ」
ハレが表で、ケが裏と言える。(陽と陰とも言える)
ハレが、晴れ舞台などの祭り当日。
ケが、ハレの日までを過ごす、日々の日常。
祈りの方法として、この「ハレとケ」に分ける事が大事。
本当に大切なのはケの部分。
「晴れ舞台的な表の部分」ではなく、「日常の生活に当たる裏の部分」で、どう過ごすのかが大事。
どんな思いで日々を過ごすのか、裏の部分を祈りで過ごせるか。

ケ=動の祈り(行動で示していく)
ハレ=静の祈り(静かに手を合わせる)

誰もみていないところで、どんな行動をしているか。
日常の中で「動の祈り・行動」をしていく間に、自神と向き合うことになる。
その日々の過ごし方で、まつり当日に、神と向き合える自分になっていく。

【 How to 祈り 】祈りに対する基本的な知識 / スピリチュアル 優花 ゼウ氏

↑この考えかた、すばらしいなぁっと思いまして♡
優花さんは、祈りの本当に大切な部分は「ケ」の部分であるとおっしゃっています。
「ケ」の部分である「日常の行動」をしながら、自分と向き合い内観してゆく。
そんな日々の行動こそが「ケ」であり、「祈り」の裏の部分

「ケ」が枯れることを「ケガレ(気枯れ)」と言う、といった考え方もある様です。
その際、「ケガレ」は「ハレ」の祭事を通じて回復すると考えられている様です。

なんとなくですが、
近代人の生活は、毎日を「ハレ」で過ごしたい希望が強い気がします。
もしかすると「気枯れ」しているのかもしれませんね。
「ケ」の行動の部分と、仕事としての労働が、変な形で入り混じってしまっている気がします。
好きなことを仕事にしている方は、「仕事と行動と祈り」が一体となりながら日々を過ごすことができますが、
「他者への奉仕」「お金の為」の要素が強くなりすぎてしまっている場合、行動していても、祈りの要素が中々入らない。。。
どんな働き方をしているかによっては、せっかく行動をしていても、祈りの要素である「ケ」が入りづらい。。。
ので、ケが枯れる。。。
仕事だけではなく、日々の行動で祈りの行動ができない場合、氣が枯れていってしまう。
やってもやっても満たされない様な、そんな感覚。。。
そしてお金を使って「ハレ」をつくり、自らに「ケ(氣)」を補うといったループ。。。
自らに溜めていくはずの「氣」が、「お金」にすり替わってしまっている。
その為、「お金」を使わないと、自らに「氣」が入らない。。。ような。。。

また、「まつり」と思える行事が少ないといったことも考えられますね。
現代人にとって、「趣味」のような位置に「ハレ」があるような気もします。
ちょっと「お手軽なハレ」になりすぎている為、「神と人と自然との共同創造」とは程遠くなってしまっている。。。
共同創造ではなく、自己満足の世界に近い。。。
自己満足になってしまうと、共同創造を一緒に行う「他の存在」が少なすぎる為、エネルギーの循環が小さくなってしまう訳ですね。
特に神界との繋がりがない自己満足の場合は、エネルギーが通らない。。。

ここまで書いて、
なぜ「ゼウ氏」がいつも「まつり・まつり」と言っているのか、
やっとわかってきた気がします。

いわゆるコンサート・スポーツ祭・学園祭・各種イベントなどは、全て「祭り」なのであるが、
そのときの「共同創造メンバー」がポイント。

そのメンバーの中に神界のエネルギーが入るか、自然のエネルギーが入るか、どんな人々が集まるイベントか、
それによってまず共同創造の目的が決まる。

結果、「祈り」の質が決まり、
「まつり」の質が決まり、
自身に取り込むエネルギーが決まり、
その場を貫く神のエネルギーも決まり、
共同創造の「場」ができる
という訳ですね。

共同創造のメンバーは、同じ「思い」を持っている人々。
同じ「きもち」の人。
人それぞれの思いが共鳴し、共同創造のメンバーが集まる。

自分が日々どんなことを「思っているか」が、そのまま「行動の祈り」になる。
自分が日々どんなきもちで行動しているかで、共同創造のメンバーが決まる。

この部分は、深く追求していくと、本当に深い深いお話になりそうですね。


満月が「結ぶ」もの

満月は、「まつり」であり「ハレ」であり「創造の極み」。

「花」が満開に咲いている様な時間。

各生命が、この地球に存在する理由を表現するような時間であり、
ある意味、「個」が一番際立つタイミングでもある。

その「個と個」それぞれが個を極め、集まる事で、より強力な「共同創造」を起こす事ができる。
「一輪挿しの花」ではなく、「花咲き乱れる庭園」になる。

満月に、同じきもちの「個」の意識が集まることにより、
「個」ひとつだけでは創ることのできないエネルギー場を、創造することができる。
そして、その強力な共鳴の場を貫くエネルギーは、同じきもちで参加した全員が、受けとることができる。

個と個、生きとし生けるもの、
全てを結びつける様なエネルギーが、満月には流れるのでしょう。


おわりに

今回は、書きながら思いもよらない内容にあれよあれよと流れていった為、かなり長い文章になりました。
結果、主に「🌕満月」についての内容としてまとめてみました。
いかがでしたでしょうか??
次回以降、🌑新月についても書こうかな?っと思っています。
うちゅうのリズムと、うまく歩調を合わせながら、生きていきたいですね♡





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