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仙人と遊んだ日




気心の知れた友人を集めて徳島県上勝町を訪れた
大学3年生の初秋。



四国でいちばん小さな町、日本で最も美しい村、葉っぱビジネスのまち、ゼロウェイストのまち、、、
様々な肩書きを持つこの町の 仙人 に会いに伺った。


お会いするのは個人的に
インターン生として上勝町にいた3月と
代官山にて上勝町の写真展が行われた6月
に続いて3度目だったけれど、仙人の柔らかいあの表情には、いつも新鮮な気持ちで心が吸い込まれる。



仙人は、その暮らしぶりをもってまちの人たちからそう呼ばれる。

元々牛舎として使われ、ご本人の手によってリノベーションされたそのお家は、深い深い山々の道をくねくねと通り過ぎていった先にひっそりと佇む。
表には屋根の落ちた母家の跡、底に穴の空いた独立お風呂、ボットン式トイレ。
仙人が1人で管理しきれる程の大きさの、種類別に整えられた畑。
土壁で建てられたその建物のなかは、性格が几帳面な仙人の手によって綺麗に整頓されている。
ご自身で木を切って干し、時間をかけて薪を作るところから始まる火おこし・食べる野菜は全て自家栽培・生ゴミとトイレはコンポスト・持っている電化製品はラジオ一台だけ。丁寧に壁一面に並べられた選りすぐりの調味料類や鍋類、切り揃えられた薪。まるで昔の暮らしを展示する博物館の一角のような部屋で、大自然の景観の移り変わりを見ながら毎日を過ごしているそう。
こんなにも趣のある場所、わたし、他に知らない。


生活の中の全ての過程にご自身の手がかかっているその暮らしは、正に "究極のゼロウェイスト" であり、"ていねいなくらし" が具現化されたような風情がある。

訪れると時空が歪むと言い伝えられていて、仙人のお家から帰ってきた人たちは口を揃えて、
「いや、、本当にすごかった、。」と、ため息混じりに呟き余韻に浸る。
もちろん今回のわたしたちも同様。


そのていねいさがひとつずつ積み重ねられた生活を覗かせて頂ける、こんなに貴重で面白い体験、なかなか出会えない。
快く迎えてくださる仙人に感謝しています。



「人生を楽しむコツは、常に何かに熱中することだよ」

キラキラとした表情を浮かべてそう教えてくれた仙人の笑い皺には、言葉以上の深い説得力があった。それを物語っていた。



ご自宅の2階にわたしたちを招き、これまで仙人を訪ねてやってきた客人に何度も披露したであろう ご自身が辿ってこられた軌跡について、
「おしゃべりは一番のエンターテインメントだからね✨」
と言って 嫌な顔をひとつもせず丁寧にお話してくださった。

脱サラ後すぐに世界を巡る旅へ出た仙人は、多種多様な生活様式を見たあとで、最終的に徳島県上勝町で"お金"ではなく"時間"に重きを置いた生活をすることを決意したそう。

「時間とお金、頑張ればどっちかは手に入るよ」


そう言いながら 普段生活を作る傍らで行う、ご趣味のアートを見せてくださった。

ご自身で遊び方を考え、アイディアが思い浮かんだらメモを残しておくそう。旅行をしていた時についた習慣は、何十年も経った今でも変わらない。

「一つのことだけをやってると、いずれは飽きちゃうでしょう」
と、切り絵、塗り絵、版画等、、の複数のアートをさらに無限のパターンにも分けて遊ばれた ひとつひとつの作品は、仙人の丁寧な心がそのまま表れていた。
なにより、ひとつひとつのアートの工程について解説してくださる仙人の表情が、生き生きしていた。その姿が、物凄く印象に残っている。


わたしたちも、実際に仙人の発想から生まれた塗り絵のアートを体験させてもらった。
この年代になると、みんなでブルーライト抜きに集中しながら何かをする作業ってなかなかないから、新鮮な気分になってすごくワクワクした。
やっぱり自分の手で何かを作るっておもしろい。

(※ちなみにこのnoteのタイトルはさおちゃんの作品から引用してます。ありがとう❤️笑)


出来上がったわたしたちの作品は、仙人の手によって2列に並べられた。
なんだか感慨深い時間が流れた。
仙人の優しく暖かい表情と一緒にそれを眺めながら、少しこそばゆい気持ちになった。お互いの手作りの作品どころか、直筆の文字すら見ることもなかなかなかった。
懐かしいような、嬉し恥ずかしいきもち。




「意味はない。考えないの。意味を考えると疲れちゃうでしょう」


仙人がご自身のアートについて説明をするとき、いつも仰ることば。
初めて聞いた時、なんだかホッとしたことを覚えている。そして それ以来、このセリフがわたしの中で生き続けている。


忙しい日常生活のなかでわたしは無意識に、常に自分の行動に”意味”を見出そうとしてしまう。そして見出すことができなかった時には、無意味で無駄な時間を過ごしてしまったと、自分を攻めてしまうこともある。きっとSNSが蔓延り 人とのコミュニケーションが容易に取れる世の中、日常的に周りの目を気にする意識が芽生えてしまっていて それゆえの自分の毎日をより充実させよう、させなければ という思考からの行動なのだけど、結果的には上手くいかずについ自分の首を絞めているので本末転倒になる。
それは 利便性の確立された混んだまちで生活する自分だからそうなってしまっているのであって、そんな自分とは正反対のところにいる、仙人みたいなていねいさを重ねていく生活をすれば、生活の段階ひとつひとつに意味を見出せるんだろうなとか、勝手に思ってた。だからこそ、仙人の発する"飽きる"だとか"疲れる"等というワードに重みを感じる。多くの荒波を乗り越えてきたであろう人生の大先輩がそれを軽く口にすると、そう思ってもいいんだなあ と救われた気分になる。




本当の豊かさってなんなんだろう。

仙人の価値観に触れて改めて考える。


お金がたくさんあることなのか
友達がたくさんいることなのか
家族や恋人との関係が良好なことなのか
仙人のように時間がたくさんあることなのか
承認欲求が常に満たされることなのか


難しいことはよくわからないけど、きっとそれは人それぞれで、
自分にとっての豊かさを個人個人が自覚して、追求し続けること なのかもしれない。



関東に思いがけず訪れた長い秋梅雨が、早く明けることを願う夜に、ぼんやりと思う。

仙人とのゆったりとした時間と、彼の褪せることのないキラキラとした眼差しを憶い返しながら 。





仙人にお会いする日はいつも雨が降る。
雨の日の上勝町は、幻想的な霧が山にかかって晴れの日とは180度異なった美しさを醸し出す。

あの日
「晴れの上勝と雨の上勝、どっちが好きですか?」
と伺ったら、
仙人、
「どっちも必要だよね」
って真面目な顔で言ってたっけ。






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