見出し画像

いつだって自分の部屋は宝箱



そういえば、外に買い物に行ったのはいつだったかな、と思い返してみる。
生活に必要なものはもちろん買いに行ってはいるのだけれど、自分のための欲を満たすような、所謂『ウインドウショッピング』と名のつくようなもの。最後に行ったのいつだったかな、と考えてなかなか思い出せずにいる。

いつの間にか、自分の目でちゃんと商品を見て買い物に行くこと、なくなってしまったぁ。目的のものを見つけに行くことはあっても、あてもなく、ただその場で欲しい!と思って購入する機会が減って来たのかもしれない。

20代の頃に、好きだった古着屋巡りとか、古本屋巡りとかいつの間にかあんまりやらなくなっているかも。
目的はないけど、あ!これかわいい、これ読んでみよう、みたいに、宝物を見つけて家に持って帰る、みたいなことがなくなってしまった気がする。

部屋の片付けをする。いつもは自分が使う範囲のところがメインになってしまうのだけれど、久しぶりにクローゼットの奥の方にしまっていた一つの箱を開ける。

なんでも箱、みたいにしている箱があってなんとなく手元から離すことのできない思い出がたくさん詰まった品物がたくさん入っている。


友人や後輩がくれた手紙、大昔に買いまくったCD、写真、それから謎のおもちゃやキーホルダー。

もう30も過ぎたのに、こうやって思い出が深そうなものを手放すことがやっぱりできない。大苦戦。荷物は軽くいきたいのだけれど、やはりまだまだミニマリストの道は遠い…(なりたいかと言われるとわからないけど)


同じように、本棚を見つめる。
というか、もう本棚が本当に大変なことになっている。重さに耐えきれず、1段は壊れちゃってるし、なんかもう困ったなぁ、と立ち尽くすのみ、という感じです。


積読しがちなので、買っては読んでない本が山ほどある。単行本からハードカバー、おしゃれな装丁のものから漫画、雑誌…はあんまりないか。
本屋で気になる本を見つけるとどうしても購入してしまう。というか、本は直感で購入することがほとんどだ。
仕事で使用する時は、それを目掛けて買いに行くけど、どうしてもそこにプラスして何冊かレジへ持っていく。多分そういう人は結構いると思うし、読書家の人たちは、まとめてごっそり本を買ったりするんだろうな。

そうやって気になる見出しやあらすじ、装丁などに惹かれてうちへ連れて帰ってきた本が溢れかえっている。本は絶対に手放せないんだよなぁ。
古本も新刊も、何度も読み返す本は本の数冊しかないのに、それでもやっぱり手放せない。本が一番そうかもしれない。

積まれた本を、日の流れで手に取り、読み出す。これは本当に不思議なんだけど、その時手にとった本と自分の生活の波長が、ピタッとハマっていることがあったりする。
先月は、購入してずっと読んでいなかったエッセイを読み始めて、電車で何度も泣いてしまった。不思議。

内容や展開を求める人もいると思うけれど、私は昔から言葉選びの好みが合う本が好きだ。これはね、中学時代の読書時間の時に自分で悟ったことの一つ。
面白い展開の本も、そりゃあ大好きなんだけれど、それ以上に言葉の選び方が好みの作家さんにぶつかると「こ、これだぁぁぁ!!!」と興奮してしまう。

そんな風にしていろんな人が自分の好きなように本を読んだりするんだろう。


先日、友人が本を出版したと聞いた。うらやましい。やっぱり画面上で見るものよりも、実物で見るものの方が、私はすきなんだ。
追いつかないから、スマホで読むこともあるんだけどね。でもやっぱり紙がいいのよね。いつか紙の本として、自分の手元に自分の本ができたらいいな。
ゆりの選んだデザインと装丁で。もしかしたらある種、自分の目的は遠いけれどそこにあるのかもしれない。

まぁ、指をくわえて見てるようではまだまだ。
着実に、なんでも掴みにいかなくちゃいけないな。がんばろっと。




次回の記事は2022年11月8日(火)です。


次回は、重ねていくもの、について、書こうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?