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四六時中考えていることをちょっと飲み込んでみる



気温の変化も気圧の変化も著しい。
私たちの生活圏ではこんなにも、天気や気温で生活が左右されるんかい!ってなるくらいには、やられている。

そんなことを考えたりしながらも、これを書いている間はめちゃくちゃいいお天気。青空。心地よい風。なんて贅沢で幸せなひと時なんでしょうか…。
夏がもう、そこに、すぐそばに、いらっしゃる予感しかしない。


今日というこの日に記事が上がること、満月の日がまさかこの日にやってくること。そんな偶然ありますか、という日。
6月14日は、なんと驚きのゆりのお誕生日なのです。まじです。
たまたま、今月は今日が満月なのよね。物凄いよね。最近そういう偶然が重なることがよくあって、お知らせ〜とか、発表日とか記念の日とかに、ちょうど自分の書いているものがアップされたり宣伝されたりなどが続いている。
まぁ、そういうこともあるかもしれないんだけど。
それでも不思議な日めぐりだなぁと感じたりもする。

だから、今日はとっても素晴らしい日、めでたい日、愛でていきたい日なのであります。
お誕生日という1年に1度の日。私は個人的にとっても大切にしたい日なので、今日はゆりが大事な日と過ごせていたらいいなぁ、と考えていたりします。
自分だけじゃなくて、大事な人の、きっと大事な日が素敵な日になっていたらいいなぁなんて考えてるよ。



思いの端々は、極端に伝わりすぎてしまうことがある。
冷静に考えても、いわゆる控えめに言っても、という言葉を使いたくなるくらい、ここ1年くらいで物事への期待や価値観、それからどこに向かって走っていくか、みたいなことを思い切り考えなくてはいけない時間が多くなった。

それは、ここでは何度も書いてきたけれど、やっぱり自分は良くも悪くも一人じゃない、ということがある程度理解できてきたからなのかも。
何かを伝えたり、与えたり、反対に何かをもらったり、伝えられたり。
誰かとのやり取りで幸せになったりする反面、摩擦が起きたり、衝突したりすることもたくさんあるから、だからこそ、言わなくなることも増える。


いや、昔からきっと言わなくていいことがほとんどだったりするけどさ。それもわかるようになってきたね、最近は。
でも、だからなのかわからないけど、言わないことで、事が済めばいいのに〜、みたいなことも、全く思わなくなってきた。
わからない、ちょっとよく自分でもわからないんだけど、そういう。ことなのだ。


最近、高校時代の部活仲間に言われた言葉を急に思い出した。
「あなたはいいよね、練習しなくてもできて。私は練習しないとダメだから、いいなぁ〜。」
その時のシチュエーションも、何を着ていたのかも、どこを歩いていたのかも全部覚えてる。


嘘!まじ?!えー!!!!褒められた!?嬉しい!!!!

と、なるわけもなくって、すごく傷ついたし、瞬間で落ち込んだ。
同時に、私って人からどんな風に見られているんだろう…と考えるようになった。
傷ついて、落ち込んだけど、それ以上に17歳少女の心の中にはメラメラと炎が燃え上がった(気がする)。
本当に悔しかったし腹が立っていたんだ、と今になれば思う。

「私、あなたの見えてないところで、練習もしてるし。朝練もしてるし。めちゃくちゃやってるんだけどな。なんで軽率にそんなこと言えるんかね…」と寂しくなって、頭の中クエスチョンマークだらけで、本当に傷ついた。
「ていうか、だとしたらあなたの練習メニューがたりてないんじゃないの?!」と、悔しくて練習メニューを2倍から3倍に増やして変更してみたりもした。

多分、その時その子が伝えたかったことはそういうことじゃないんだと思うけど、狙いは私を傷つけるためじゃなくて、いいなぁ〜ということを伝えたかったんだと思う。
でも当時の私は傷ついたのだ。努力しなで、できていいね、生きられていいね。そんな風に受け取ってしまった。幼なかったな、私。だいぶ青かった。


何年か前には「お前は、言葉の意味を捉えるところがおかしい」と怒られたことがあった。まじで、あれは青天の霹靂だったなぁ。
「捉えるところがおかしい…とは?!」と聞き返したら、「そんなところを受け取っていちいち傷つくのがおかしい」と言われてしまった。
え、そうなんだ。言葉をもらった方が、受け取った意味を感じ取るのはダメなことなんだ。
その後も「そういう意味で言ってないだろう!」などと、立て続けに言われた。
あの時の私は「そ、そうなのか…?」と考えたりもしたけど、「いや、言葉をもらって受け取った側が傷ついたらそれは傷だろ!ムキー!」となったりしていた。

いやぁ、苦しかったなぁ、あれ。
「そんなつもりなかったんだ、ごめんね」で済めばいいのにさ、逆ギレされてもなぁ〜みたいなこともまだまだ沢山あるのが辛いけど。でも生きるってそういうことなんだろうか、壮大すぎるか?わかんないけど許容できるようになってきたかもしれない。



どちらが正しいも、正しくないも、本当はどこにもないんだけれど、だけど言葉を扱うからこそ、言葉でどれだけ人の心が傷つくのかも知ってるし。
でもきっと、私も誰かを無意識に傷つけてしまっているかもしれないから、だからもっと理解したいし、これからもリアルでわかっていきたいなぁ〜などと、改めて思ってしまった。



近くにいても、わからないこともあるし。近くにいるから、少し離れた場所で見つめることもある。同じ箱の中にいるだけだとわかんないことが、たっくさんある。
言葉だけでは伝わらないこともあるということも、理解している。

あの時の友人が本当は何を伝えたかったのか。あの時の青天の霹靂、ドッカーン!という経験は、無駄ではなかったよねと思えるような暮らしにしたい。


あちらから言ってもらった言葉の、先の先の、もう一つ先をしっかりと感じ取って言葉にできたらいいのかな。
そんなこと、できる日がいつかはくるんだろうか。
そうか、あの時みたいに、できるように自分なりに方法を見つけていくしか、ないのかもしれない。



次回の記事は2022年7月14日(木)です。


次回は、漠然とした愛、について、書こうと思います。

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