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いじめについて

「いじめを無くそう」「いじめは良くない」
その通りなのだが、「いじめ」は、人間が社会生活を送り、集団で生活する限り、根絶はできないと思っている。
学校の先生は、「いじめを発生させない」ことが重要で、「いじめ」があると先生の評価が下がる、との話を聞くし、「いじめ」に対して懸命に対応している先生方には恐縮だが、大きな間違いである。
いじめは、発生する。学校であれ、軍隊であれ、市民であれ、どんな優秀な人間を集めようとも、人間の集団を形成させたとき、「いじめ」は、ほぼ必ず発生すると思う。重要なのは、「いじめ」を発生させないことではなく、「いじめ」が発生した時にどのように対処するか、の方だと思う。

2018年5月5日こどもの日、ふと思い出した。
忘れていたのは幸せなことだ。しかし、ふと思い出したのだ。

そういえば、ボクはイジメられていた。

子供の頃、ある人、同級生だ、のことを、「死んで欲しい」「消えてくれ」と、祈った。
今考えると、というか、こうやって書くと、「恐ろしい、そんなことはいけない」と思うかもしれない。思う人もいると思う。

しかし、そう、思った。

誰だ!そいつは!?
そうだ、ボクをいじめた奴だ!
奴らだ!
そう、死んで欲しかったのは、1人じゃない!
たくさんいた。
ボクはイジメられていた。

もっと惨めなヤツもいた。
何しろ学校は「誰かが誰かのイジメの標的になる」というのが毎日繰り返されていたから。
だが、その差は、画鋲の的に5回なったか、10回なったかの差でしかない。
「ボクは比較的上手くやった。。。」
何をしたか?
例えば、絵を描いた。
イジメている奴らに好かれようと、必死でマンガを描き続けた。
例えば、イジメているAの舎弟になることで、同じくイジメているBからいじめられることを避けた。

そんなこと。
そんなこと、上手くなんてやっていなかった!!!!!

そう思って自分を慰めてきただけだった。

そう、あの時ボクは、「死んでほしい」とそいつを呪った。
家では平静を装った。
イジメられてなんかいない!
イジメられてなんかいない!
イジメられてなんかいない!
そう思い込もうとした。

ち・が・う。いじめられていたのだ。
あいつは、ボクの太ももをつねった。
ボクがあいつの思い通りにならなければ、蹴りを食らわせた。
階段の最上段から、最下段に向かって、「飛べ!」と命令した。

そんなあいつを、ボクは「死ね!」と思った。

そして、みんなの前で、公開で、チン毛を剃られているアイツ(ボク以外のいじめられっ子)よりマシだと思い込もうとした。

ボクもそいつのチン毛を剃ることに加担した。。。
あいつに「剃れ!」と命令されたから。
それしか身を守る方法が無かった。

それが、今もボクを苦しめているのだ。

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