エヴァンゲリオンの思い出(ネタバレではない)
1996年3月15日、高校2年生終盤の土曜日、「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」の公開初日である。
岡山駅前の映画館は、なんと立ち見!!
しかし、立ち見の状況などものともせず、同じクラスの新世紀エヴァンゲリオン(以下エヴァ)にハマってしまった友人何人かが集まり、みんな、映画への期待感ではちきれそうだった。
そして、立ち見で、映画館の柵にしがみついたまま、99分間、映画に夢中になり、映画館から出た後は、誰からともなく「魂のルフラン」を映画館の前で大合唱した。
「テレビせとうち(岡山のテレビ東京系)の深夜、ヤバいアニメをやってる!!!」
今でも鮮明に覚えている。
高校のクラスで仲の良かった友人が、目の色を変えてボクにエヴァンゲリオンを勧めてきた。
「アニメ?しかも、敵を倒す正義のロボット?いやぁ、ボクは見ないなぁ・・・」
ボクは、幼少のころからアニメは見てきていた。藤子不二雄さんのアニメは大好きだったし、「となりのトトロ」以降は、宮崎駿さんの作品も、親と一緒に映画館で観てきていた。
しかし、高校の頃、最後にアニメ番組を見た思い出といえば、小学校の頃の「不思議の海のナディア」だった。その頃は知らなかったが、「不思議の海のナディア」も、庵野秀明さんが監督だったのだ。
しかし、その後・・・アニメといえば、藤子不二雄Aさんの「笑うセールスマン」くらいで、アニメは「子供が見るもの」と思っていたかもしれない。
「とにかく、見てみろ!!!」
ボクは半信半疑のまま、友人が録画した「新世紀エヴァンゲリオン」のVHSビデオテープを借りて観ることになった。
中学生以降、ヨースタイン・ゴルデル「ソフィーの世界」にハマっていたボクは、「新世紀エヴァンゲリオン」の描く、登場人物の心理世界の虜になり、そのアニメにハマっていくことになった。
それから、26年。
「シン・エヴァンゲリオン新劇場版:||」
やっと、終わった。
よくわかったよ。
よーく、わかった。
庵野さん。。。
今回は、ネタバレ無しに、「新世紀エヴァンゲリオン」に対する思い出を書いてみます。
「Air/まごころを、君に」でボクの中のエヴァは終わったつもりだった。
友人、mimosafaさんと話した言葉をお借りします。
その通りなんですよ。
うーん、今回、「新劇場版:||」について、「映画評」として書こうとしても、ボクとしては、語弊を恐れず言えば、多くの人に「観てもらいたい!」というわけでもないんですよ。。。
かといって、「新劇場版」から見るのは、邪道だ!アニメ版から、全てのエヴァを観るべし!!・・・というのも違う気がする。
アニメ版の客観的な完成度を見ると、非常に酷だし、たぶん、今、アニメ版から観ても、思うところはそれぞれ異なると思うし、、、
まぁ、高校生の時に「新世紀エヴァンゲリオン」を観てしまった。。。その自分にケリをつけたい・・・そんな気持ちかもしれません。
いやぁ、気持ちとしては、1997年「Air/まごころを、君に」で終わっていたのですよ。
「Air/まごころを、君に」を1997年、高校を卒業して、岡山を出て、横浜で観た。
ボクの中では、エヴァは完結した。
「20世紀が終わる」という、90年代の時勢もあったのかな・・・?
とにかく、終わったのだよ!!
「気持ち悪い」・・・アスカの言ったラストのセリフで、ボクはそのセリフのままで良いと思いました。
「序」「破」「Q」新エヴァンゲリオン劇場版は、映画館の記憶が何も残っていない。
2007年エヴァ新劇場版「序」、2009年「破」、2012年「Q」、全て映画館で観たのだけれど、ほとんど記憶がない。
「Q」で、最初に観た時、「なんだこれ!?」と思ったかな。
何だか「エヴァは遠くになりにけり」みたいな気持ちだった。
ボクはその頃、何をしていたのか?
映画「Kenji」を撮った。
NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明スペシャル」を観た。
庵野さんはスゲエや。
・・・と、思う。
「シン・ゴジラ」も観たし、前に書いた通り、「ふしぎの海のナディア」にもハマった。
でも、庵野さんの作品に対する意気込みには、足元にも及ばないかもしれないが、ボクは、友人の力を借りながら、映画「Kenji」を撮った。
正に、自分と向き合う映画だった。
何のエクスキューズも無く、当時の全力を出し切った作品だと思う。
全てがわかったとは言えないけれども、映画「Kenji」を撮ることで、わかった自分がある。
エヴァ新劇場版「序」、「破」のころは、ボクは映画「Kenji」の制作に没頭していた。
映画「Kenji」には、エヴァを直接オマージュした部分は無いけれども、自分の心象風景を描く中で、エヴァに影響は少なからず受けたと思う。
そして、映画「Kenji」の完成という節目を過ぎたことで、エヴァンゲリオンの理解も変わったと思う。
父親が小さくなったと感じた日。
2003年、ボクが社会人になって落ち着いたころ、両親が横浜に来た。
父は野球が好きだったので、横浜スタジアムで「横浜×ヤクルト」戦を観戦した。二人とも、特にどちらのファンというわけでもなかった。調子にのって、横浜ベイスターズとヤクルトスワローズ、両方のメガホンを買って、外野席からビールを飲みながら観戦した。
終わった後、母の待つ家に帰る前に、今は無き、横浜駅ビブレ横、帷子川沿いの屋台でおでんを食べながら、父親と飲んだ。
父親は終始ご機嫌だったが、飲み過ぎたため、家に帰ってからが良くなかった。
父親は、ボクが映画撮影のために持っていた、旧日本海軍の制帽を被って、それについて熱く語り始めた。
何を言ったのか忘れたが、そこに母親が水を差したのが気にくわなかったらしく、激しく怒り始めた!!
「おめぇは、日本海軍の精神など全く理解しとらんのじゃ!!!」
その時、父を止めながら、肩を持った時、感じた。
「あれ?お父さん、こんなに小さかったっけ?」
その後、父は2007年に癌で死んだ。
「おう!おれはもう、死ぬけぇ!!」
ボクは父と十分に対話できたのだろうか・・・。
まだ、話したかったことがあると、今でも思う。
14歳のボクの初恋は、終わったのだろうか。
エヴァの主人公、シンジと同じ、14歳の頃、ボクはある女の子に恋をした。
その女の子はピアニストだった。
詳しくはここでは書かないが、ボクらはお互い「好き」だったはずなのに、気持ちはすれ違ってしまったし、当時のボクには、何故気持ちがすれ違うのか、何も理解できなかった。
上手くいかなかった原因は、主にボクの精神年齢が低すぎたためだ。
あれから、その相手の女の子は、同窓会にも来ないし、話どころか、全く会うことができないままである。
ボクは、今では、結婚もして子供もいるんだけれども、今でも夢に出てくるし、時々、胸をかきむしられるような、何か伝えたい衝動に駆られることもある。
ボクは、あの時の恋に未だにケリをつけられないままでいるのかもしれないし、精神年齢が成長したのかどうか・・・自分でもわからなくなる。
「Q」をもう一度見て、ストンと腑に落ちた。
2012年、映画館で観た時には、全く理解できなかった、エヴァ新劇場版「Q」を、2021年になって再度観てみた。
「あ、そういうことだったのね」
なんとなく、ストンと腑に落ちた。
「神」が・・・、「旧約聖書」が・・・等ということは、ボクは全く理解できていないし、そういう解説は、他の誰かが書くかもしれないけれども、とりあえずボクには、庵野さんの目指す完結が、見えてきたように思った。
「序」「破」「Q」で足りないものを補完する完結になるのだろうと思った。
足りないパズルのかけら
思った通り、ボクが足りないと思った部分を補完する完結だった。
絵柄も形もわかっている、パズルのピースを上手くはめ込むように。
庵野さんはスゲエや、と思ったけれども、もしかしたら、この完結を描くのは、庵野さんの得意とする分野ではなかったのかもしれない。
しかし、まぁ、よくわかったよ。
でも、ボクとしては、唐突ではあるが、松谷みよ子さん的な要素が足りない!!
ここまで来たなら、「ちいさいモモちゃん」が感じられるまで貫いてほしかったかな。
唐突過ぎてわかりにくいですが、「女は弱し、されど母は強し」(ヴィクトル・ユゴー)の世界観、さらに、童話的要素、かな。
あ、「女は弱し」じゃないな。
あと、「男の子」の親になるのは、大変だな。。。
いろいろ書きたいこともありますが、ネタバレしない程度に、、、
庵野さん、お疲れさまでした!!
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