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ワタナベアニさん「ロバート・ツルッパゲとの対話」

ワタナベアニさんにとって、おそらくボクは、全く記憶に無い人間であり、この素晴らしい本、素晴らしい文章の前に、ボクなんて萎縮してしまって、お腹は出ているけれども、本当に萎縮しているのである。

それでも、自分の無知を恥じても、ここで何かを書かなければ、明日からムーニーマンとして、noteにもSNSにも、いや、日本語の文章を、何も書けなくなってしまいそうなので、恥を晒してあえて書くことにする。
そんなに、首根っこを握って絞り出すような声で書評を書いたところで、読者も、ワタナベアニさんも全くうれしくないと思いますが。

この本に書かれてあることは、決して嫌味にもならず、他人の言葉を借りることもない、豊富な知識量と、ステキで洒落た経験値、それに加えて、「上品」に「下品」な、ユーモアのセンス。

ワタナベアニさんと比較すると、圧倒的、悲劇的に、ボクが何も持っていないことが悲しくなってくる。
いや、この本に書いてある通り、そんな競争をしてしまうこと自体が、「こんな素晴らしい本の書評をしていれば、ボクのnoteも少しは知的に見えるかもしれない」なんていう価値観に囚われている、と言われれば、本当にボクはぐうの音も出なくなってしまう。
いや、しかししかし、それでも書き進めるならば、あえて、ここはそんな下品な競争に陥ってしまうボクもまた、ボクなのである、と自覚できるのも、この本の素晴らしさなのかもしれない。

改めて、やはり哲学の本なのである!

こんなボクだって、ボクの人生において、「役に立たない」本の方を、ビジネス書だのHow to本などの「役に立つ」本よりもたくさん読んできている、という自信はある。

ところが、この本は、その読書経験にも容赦なく、問いかけてくる。

「言葉を正確に読んだのかどうか?」

そうです、「ロバート・ツルッパゲとの対話」を読むことで、ボク自身がこれまでやってきた「読書」の根幹を揺るがす大惨事になってしまったのです!!

いや、ここまで鮮やかに打ちのめされると、かろうじて、最後の悪あがきで、自分の中に何かないか探し始める。
そういう意味で、「哲学」。圧倒的に「哲学」!!

中学生の頃、「哲学」に触れた気になって夢中で読んだ、ヨースタイン・ゴルデル「ソフィーの世界」と比較して、40を超えたのおっさんが受けたこの衝撃!!(いや、「ソフィーの世界」も、哲学入門の名著だと思いますよ)

「41歳の春だから・・・」という天才バカボンのパパの年齢を超えてしまって、「41歳にもなれば、バカボンのパパを超えるか、少しは近付く程度の哲学は持っているだろう・・・」とうっすら考えていた若き日のボクを叱りたい!!

しかし、時間は戻らないので、改めて、ボクは前へと進むのです!!

ワタナベアニさんとは、オルガンバーで、軽く会釈を交わさせていただいたことや、APA広告写真家協会で、ボクが入選してワタナベアニさんの写真と共に展示された、といった、岡山出身の田舎者が、書かなくても良いわずかながらの接点を持ったことを嬉しく思います。
と、蛇足として語ってしまうことは、ほんとうに恥ずかしいけど、恥ずかしながら書いて、突然のご挨拶とさせていただきたいです。
とにかく、ボクといたしましては、ワタナベアニさんを、写真家、カメラマンである以上に、日ごろからSNS上や、note上でのロバート・ツルッパゲさんのお言葉を楽しみにしており、今回、とうとう出版された、ロバート・ツルッパゲさんの本を非常に衝撃を持って読ませていただきました。
ビジネス書やHow to本が大嫌いなボクとして、皮肉ではなく、心からの賞賛として、全く役に立たない本として、是非みなさまに読んで頂きたいと思います。

ではみなさま、今日はこの辺で。おやすみなさい。

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