見出し画像

Anytime Woman~ほろ苦すぎる永ちゃんの味~

矢沢永吉 アルバム「Anytime Woman」

「Anytime Woman」は、矢沢永吉さんが1992年に発売したアルバムであり、そのタイトルにもなった曲は、矢沢永吉さんが、キャロル時代から大切にしていた曲である。
直訳すると「女はいつでも・・・」という、何だか現代の過激なフェミニストが目くじらを立てそうであるが、このスゴイ曲を、そんな偏った思想で片付けて欲しくはない。
ちなみに「矢沢永吉さん」について、以下、失礼ながら敬称は略させていただく。

14歳の時、ボクはピアニストに恋をした。

このnoteでは、何度か書いているが、

今回、もう少し踏み込んで書いてみる。
14歳のボクは、合唱指揮者をしていた。

最初に開催された合唱大会の時、彼女は、他のクラスの合唱ピアニストだった。
その時が初対面で、もちろんその時には、彼女のことは何とも意識していなかった。

ボクは、子供の頃から音楽教室に通っていたし、クラシック音楽に親しんできた、とは言っても、しょせん素人の中学生のガキである。
ボクがピアノ演奏の上手い下手について、偉そうに語ることなどできないことはよくわかっている。
しかし、それでも、彼女の演奏は、他のピアニストと比較して、明らかに異なっていることが分かった。

語彙が貧困で情けないが、そのピアノの音が「とろけるように滑らか」だった強い印象が残っている。

その時からだった。彼女のことを意識し始めた。

合唱大会は、当初クラス対抗で開催されたのだが、その後、ボクらの学年は、学年に合唱に対して熱心な生徒も多かったこともあり、翌年、学年全体で県の合唱大会に出場することになった。

その中で、ボクは、学年代表の合唱指揮者となり、彼女は学年代表の合唱ピアニストになった。

月に何回か、学年で合唱大会に向けての練習があり、そのたびに、ボクも彼女と言葉を交わすようになった。
最初はとりとめもない会話だったと思う。さすがにその頃、ボクらが何の話をしていたのか、今では覚えていない。

しかし、確実に、急速に、ボクらの距離は縮まっていった。

チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」

ある時、岡山シンフォニーホールでクラシックコンサートがあった。どこのオーケストラだったか失念してしまい、記憶も記録も残っていないのだが、世界的な名門オーケストラの来日したため、ボクらの合唱を指導していた音楽の先生は、ボクら生徒に、是非聴きに行くように熱心に薦められたのを覚えている。

そんな経緯で、ボクら男子は、当時ジュニアオーケストラで演奏していた友人や、合唱に熱心だった友人等、男子何人かで、演奏を聴きに行くことになった。
女子は女子で、そのピアニストの女の子を筆頭に、中学校の管楽部の女の子など何人かのグループが、その演奏会に行くことになった。

そのコンサートでの曲目が、チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」であった。
彼女は、自分がピアニストだったこともあるだろうが、そのチャイコフスキーの名曲に興味を持ったようで、ある時、ボクに聞いてきた。
「チャイコフスキーの『ピアノ協奏曲第1番』のCD持ってる?」
「うん、持ってるよ」
「そうなんだ!!貸して!貸して!!」

当時、まだ輸入盤や中古を取り扱っている店も無く、中学生にとって国内正規版の3000円近いCD1枚は、非常に高価なものであった。

ボクが持っていたのは、フィリップ・アントルモンのピアノ、レナード・バーンスタイン指揮、ニューヨークフィルハーモニック管弦楽団の1961年の演奏。

ピアノ:フィリップ・アントルモン 指揮:レナード・バーンスタイン
演奏:ニューヨークフィルハーモニック管弦楽団

CD化にあたって元の録音がかなり修正され、臨場感と派手さが誇張された感もあるが、これぞロシアロマン派!!と言える名演だと思う。

彼女は嬉しそうにCDを受け取った。

何日か経って、彼女は、かわいいメモ用紙に書いた手紙と共に、CDを返してくれた。
「CDありがとう!お礼に、私が大好きな曲のCDも聞いてみて!!」

そんな手紙と、ボクのチャイコフスキーのCDと共に同封されていたのが、冒頭の矢沢永吉のアルバム「Anytime Woman」であった。

矢沢永吉のアルバム「Anytime Woman」

それまで、クラシック音楽と、親の聞いていた八代亜紀と、NHKFMを通して知った中島みゆきしか知らなかったボクは、矢沢永吉に戸惑った。
何より、とろけるようなピアノを奏でる彼女から、何故矢沢永吉なのか、よくわからなかった。
もちろん、インターネットのGoogle検索なんて無い時代である。アルバムに付いていたライナーノーツや、ボクなりに音楽雑誌などの文献をとことん当たって、矢沢永吉について、調べてみることにした。

ボクの親の世代にとっては、矢沢永吉といえば、圧倒的に「キャロル」の時代の印象が強かった。言われてみれば、名曲「ファンキーモンキーベイビー」や、「ルイジアンナ」は、テレビ等でよく聞いたことがある曲だった。

しかし、いろいろ調べると、矢沢永吉本人としては、ソロになってから「キャロル」とは一線を引いているようであり、今の永ちゃんファンに向かって、「キャロルの矢沢永吉」とは言わない方が良さそうである、ということを、当時どうやって調べたんだか忘れたが、何となく知った。
それでも、キャロルも今聴いても、時代を感じさせない名曲には間違いないと思うが。

そこでボクも、そのピアニストの彼女に対して、「キャロルの矢沢永吉」という話は封印して、とにかく「Anytime Woman」をカセットにダビングして擦り切れるまで聞きまくった。

「すごくノリノリになれる曲だ!!良かったよ!!もっと聞きたい!!」
ボクが感想を話すと、彼女はさらに矢沢永吉のライブアルバム「STAND UP!!」まで貸してくれた。

今考えるとどこで調べたのか謎だが、このライブアルバムの曲で「時間よ止まれ」が名曲であることを知り、さらに、永ちゃんのステージパフォーマンス、マイクターンまで習得して、彼女の前で、矢沢永吉の下手なモノマネまで披露するようになってしまった。。。

彼女は目を丸くして、苦笑いをしながら聞いていた。
今思うと、一方的な、ボクの語りだった。
14歳のボクには、彼女が好きな矢沢永吉に対して、自分も一方的に、徹底的に調べて、矢沢永吉にのめりこんでいくことでしか、自分の気持ちを表すことができなかったのだ。
ボクは更に、近所のCDレンタルショップで矢沢永吉の過去のアルバムやシングルを借りまくり、カラオケで画面を全く見ないで歌えるまで、歌詞を暗記した。

結局ボクは、彼女が「何故」矢沢永吉が好きだったのか?矢沢永吉のどんなところが好きなのか?何も知らない・・・
矢沢永吉のCDを聴いたボクに、彼女がどうしてほしかったのか、何もわからないままであった。

ここからの詳細はあまりにも生々しく痛々しいので、省略させていただく。とにかく、そんなボクだったから、その後の恋愛は上手くいくはずもなかった。
彼女は気持ちは、ボクの元を去っていき、ボクの元には、ダビングした矢沢永吉のカセットテープが大量に残った。

それからボクは、今に至るまで「彼女が何故矢沢永吉のことが好きだったのか?」その答えを探し続けながら、矢沢永吉を聴き続けているのである。
もちろんその後、矢沢永吉の名著「成りあがり」も読んだし、矢沢永吉の数々の名曲は、ボクのカラオケの十八番として、ステージパフォーマンスも交えながら、歌い続けることになった。

6月11日も矢沢永吉の答えを求め続ける・・・

6月11日土曜日の17:00~22:00、蒲田オッタンタでのイベント「ザ・ナツメロナイト」にてDJするのですが、もちろん、矢沢永吉もレパートリーに入れさせていただきます。

ボクにとってほろ苦い永ちゃんの曲、是非ご堪能ください!!

何故かそんなボクの前に現れた、矢沢永吉広告バスの廃バス(敷地外から撮影)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?