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QP帝国の誕生

小学校4年。
ボクは、川上のイジメから解放された。
その後、4年生の担任になった宮原先生は、女性でふくよかなおば様だったが、怒るとヒステリックな面があり、我が小学校でも一二を争う、怖い先生だった。
我々4年2組は、先生への恐怖心から、イジメ等が生まれなかったとも思える。

ここで話はちょっと変な方向に向かう。

ボクはというと、休み時間に描く、「自由帳」の最盛期だった。「自由帳」とは、ご存知の方も多いと思うが、単なる真っ白なノートだ。
ボクは小学校1年になって、自由帳を持たされた時から、いろいろな絵を描いた。やがて、「自由帳」のギャラリーが増え始めた。
主に、ストーリーのあるマンガを描いていたが、この小学校4年の頃から、絵と共に、架空世界の物語を文章でも記載し始めた。
ボクは「QP帝国」という、キューピー人形のキャラクターを王とする、帝国の物語を自由帳に記載し始めたのである。

「QP帝国」の物語には、4年2組のクラスメイトが登場する。しかも、クラス全員を完全なヒエラルキー制で置き換えた物語だった。

ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」によると、人が人を支配することができるのは、せいぜい数十人だが、人は神を作ることにより、千人、万人を支配することに成功した、そうである。

「QP帝国」の物語のNo.1「王」たるのは、キャラクターの「キューピーちゃん」だった。
そして、No.2、No.3にも、自分ではなく、クラスの、誰が見ても「いいヤツ」を配置した。
「ガッチャン」と呼ばれてクラスみんなに好かれていた八田くんや、スポーツ万能で、話も面白い中本くんなど。
彼らは、突然ボクが「自由帳」で祭り上げてくれて、意味もわからず喜んでいた。
当時のボクがどこまで考えていたのか、記憶が定かではないが、「あざとい」というか、「QP帝国」を人気のある物語にするために、直感的にそうしていた。
45人のクラスだったが、ほぼ全員のヒエラルキー表=身分表を「自由帳」に書いたのだった。。。恐ろしい。

ボクはちゃっかり、5番目くらいにいた。もちろん、複数人同位もあり、ボクは、今思うと密かに「好き」だった男の子「マンジくん」と同じ位にしたのを覚えている。

そして、今思えば、非常に卑劣で、自責の念を感じる行為だが、クラスのなかでも成績も悪く、落ち着きも無く、問題児とされた男の子、としやくんを最下層の身分に置いた。
それから、ボクの最も近所に住んでいるが、ソフトボールチームを通じて、とにかく大嫌いだった、しんやも、最下層に置いた。しんやは、ソフトボール大好きで、自由帳に興味を持っていなかった。

クラスの多くが、この物語を楽しんでいた。身分の上下は、勲章の数で上下した。
いろいろな自由帳の物語で、勲章がもらえたり、剥奪されたりした。もちろん、ボクのさじ加減なのだが、「QPちゃんが勲章を与えている」としたことや、皆が恐怖する宮原先生もヒエラルキーの上位に置き、「宮原先生に褒められること」も勲章を与えられる対象としたことにより、ボクの書くことに文句もあまり出なかったように思う。むしろ、「これは、勲章の対象?」とボクに聞いてきたりした。

女の子もヒエラルキーの対象で、何人かの女の子は、実際にこの身分制度に興味を持っていた。ともこさんという女の子が、「なんであたしはこんなに位が低いん?もうちょっとあげろ!」と文句を言われて、慌てて修正した記憶もある。

うーん、さすがにQP帝国のことを長々書くのも疲れてきた。
今日はこの辺で。。。

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