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大山阿夫利神社薪能 狂言「附子」能「清経」慎ましやかこそ伝統の美なるものかは

今年も早10月、秋の訪れを告げる、毎年恒例大山阿夫利神社火祭薪能に行ってまいりました!

雨の中、ライトアップされた能楽堂

毎年、ボクがこの薪能観覧にかける熱意は、2021年のこちらの記事をご覧いただきたい。

毎年、10月第一週の2日間開催される薪能なのですが、今年は2日間の演目内容を知る前に、仕事のシフト上休みの申請をしなければならず、非常に迷いましたが、いろいろな兼ね合いで、2日目10月4日水曜日で行くことにしました。

実は、1日目の演目が、人間国宝、山本東次郎さんの狂言「惣八」、観世清和さんによる能「葵上」、しかも、結果的に、1日目は天候にも恵まれ、夏の名残も感じられる穏やかな晴れ・・・
自分が行く予定の10月4日の天気予報が雨予報になってきて、正直、
「うわー、1日目(10月3日)の休暇申請出せば良かったー」
と思ってしまった。
そして、10月4日当日、朝から雨模様・・・涙。
天気予報では、午後から少し回復する予報であったが、小雨模様のまま、出発時間になった。。。


小学生の舞を見て、女人禁制になった歴史を問い直す

会場に着くと、先ずは「大山能楽社保存会」による、小中学生大山能狂言教室による演舞。
まぁ、子どもたちが1年間練習した成果を発表する演舞なのだが、さすがに小学校低学年くらいだと学芸会的なノリで「かわいいね!」というものなのだが、小学校高学年になってくると、さすがに所作、カマエ・型・舞がそこそこに体をなして見える!

そして、改めて拝見して驚いたのは、小学生の女の子が能を舞う姿を見て、そのしなやかな舞に、新鮮な感動を覚えた。

現在の一般的な能狂言では、もちろん、女性が舞台に立つことはほとんど無いが、先日読んだ、沖浦和光さんの「『悪所』の民俗誌」にもあるのだが、

能楽の祖たる猿楽をさらに紐解いていけば、女性の巫女が舞い踊る白拍子などに起源を持っており、恐らくは、世阿弥、観阿弥が「能楽」を確立した頃には、「女性能楽師」もいたと考えられる。
その後歌舞伎の基礎を築いた「出雲の阿国」も女性であるし、現在の日本の伝統芸能における「女人禁制」は、近世以降、江戸の封建社会の風紀を守るために、幕府が「女人歌舞伎」や「若衆歌舞伎」を禁止する中で、「女性の舞台芸能」が全般的に禁止されていったことによるものであると考えられている。

そう考えると、舞台上で女の子が舞う姿は、ある意味「能楽」の原点的なものであり、確かに、通常は男性が能面を被って舞う、能楽の所作を、しなやかに女性が、面も被らずに舞う姿は、当時としては、現在のステージ上のアイドルに熱狂するような気持だったのが、なんとなく、わかるような気がしてきた。

しかも、ボクも以前に見たことはあるが、能楽の舞は、現代に伝わる舞妓さんの日本舞踊などと異なる、「静」と「動」、そして、単調でない謡に合わせた独特な拍子を持っており、より神秘的なものであるように感じた。
(決して「ロリコン」などではなく)女性能楽師の舞台も、もっと見てみたいと感じさせられた。

小学生たちの舞台が終わると、阿夫利神社の火祭神事である。
ちょうどその時間には、雨が本降りになり、先日まで「夏」の気温だったのが嘘のように、「秋」というより過酷な寒さになった。
最低限の防雨、防寒仕様で臨んでいたが、屋外の能楽堂は、客席に屋根が無い。さすがに濡れると寒くなる。。。

主催者側が、客席後方にテントを準備してくれていたので、周囲の客はみんなテントに退散したが、火祭神事もなかなかに優美なもので、ボクは寒さに震えながら、雨の中耐えていた。
そして、それも限界に達しようとした頃、不思議なことに雨が小降りになり、狂言が始まるのである。

おなじみ太郎冠者次郎冠者の小名狂言「附子(ぶす)」

いやぁ、ホント笑わせていただきました!
雨もふっ飛びましたね!!

主人に仕える使用人の太郎冠者がシテ(主役)、「附子(ぶす)」という題名からも笑えてきますが、「附子は大毒」「附子は大毒」と主人の言葉をしつこいくらいに繰り返す節回しや、山本則重さんの大きな仕草の一つ一つが、非常にわかりやすく、
「あおげあおげ!」
「あおぐぞあおぐぞ!!」

と次郎冠者と二人で扇子で扇ぐ姿に思わず吹き出してしまいました!!

実は、主人が「大毒」と言って、絶対に近付かないように申し付けた「附子」の正体は甘ーい「砂糖」
砂糖が国産化できたのは、江戸時代以降だそうで、「附子」の狂言ができた時代には、砂糖は輸入に頼る超貴重品だったそうです。

この狂言がさらに面白いのは、砂糖を独り占めしようと嘘をついて隠した主人に対して、太郎冠者、次郎冠者が徹底的に仕返しをすることです。

大切にしていた掛け軸を「さらり!さらり!ばーっさり!!」と破り、天木台(皿を乗せる台のことだそうです)を「がらり、ちーん!!」と打ち壊してしまう、潔いまでの暴れっぷりw

主従関係に対して、単に「狡賢くやりました」というだけではなく、明らかに、主人に対する反抗心、復讐心を、封建社会であった時代背景の中で、巧妙かつ滑稽に描き切ったことはすごいことだと思います。

そして、一連の暴れっぷりは、現代のアクション映画にも通じる、エンターテインメント性ではないかと。
実際にそこに壊される「モノ」は無いのに、仕草だけでこれだけのアクションを演じ切るのはスゴイ!!

そんなアクションも含め、「附子」は、狂言初心者でも楽しみやすい演目だと思いました!

地味なれど源平修羅能の王道、能「清経」

続く演目は、観世三郎太さんによる能「清経」。

ボクとしては、以前にも書きましたが、幼少時から狂言を観てきて、さらに一時期野村萬斎さんの狂言にハマっていた時期もあり、親近感がわくのですが、「能」が面白いと思えるようになったのは、ホント最近のことです。

とはいえ、今まで「高砂」や、「土蜘蛛」を観て、やっと面白いと思えるようになっていたので、やはり、初心者ながら、単純に「面白い」と思えるものは、そこそこに派手な演出がある能の演目だったので、今回の「清経」が、果たしてボクにとって面白いのかどうか、正直、不安なまま臨みました!

はい!地味でしたw!!

いや、だがしかし!!

源平の合戦に敗れて入水(自殺)する「清経」が、その妻(ツレ)の夢の中に出てきて、その苦悩を語る!
そりゃ、地味だわw
ツレである清経の妻は、冒頭で舞台に出てきて、舞台の端に座ったキリ、全く舞もしない。
ただただ座って、清経の語りを聴く役に徹するのですな。
いや、面も被って、派手な衣装で出てくるのに!

こんなことって、ありますwww!?

この能「清経」、世阿弥の自信作だったとか!?
いやぁ、以前の「高砂」に対するボクの感想でも申し上げたことと似ているのですが、世阿弥って、期待を裏切る名手だなー!!と思いますw

源平の合戦に敗れて入水するのですから、全体として、どんより悲しい雰囲気が漂う中、物語は進行していきます。
夢の中の亡霊として、清経シテ(=主人公)として登場!

クライマックスになり、シテの舞は、盛り上がるのですが、ボクも必死に謡の古語を追いかけるのですが、もちろん、全て追いかけ切れないのですが、全体として、やはり、「悲しさ」「悲哀」が支配する舞台。
いやぁ、雰囲気としては、ビンビン感じ撮れるのですが、まだまだボクもこの悲壮感漂う舞台の鍵?が何なのか!?何とも言葉にできない思いで今ここで書いていますw。

ボクの中で一番近い感覚と言いましょうか、最初に思い浮かんだのは、「太宰治の小説を読んだ感覚」。
いや、「能」と「太宰治」じゃあ、順番が逆でしょうよwww!?確かにその通りですw

しかし、封建社会において、強さの象徴でもある武将の入水に至る悲哀の「リリシズム」

世阿弥は、封建社会において「武士道」のプライドによる「入水自殺」に対して、その妻への悲哀を、自らの亡霊に吐露させることにより、身分に寄らない、人間の根源的な心情、「人間性」を暴露するという試みをしていたんだなぁ!!と、改めてこの能楽「清経」の奥深さを思い知りました!

いやぁ、「強い男」、ヒーローが、弱り、遂には死にゆく様っていうのは、古今東西、様々な物語の題材になっているわけで、ボクが最近書いた、近藤真彦が歌った後に死んでいく演出!?でも感じたような、

何か、エンターテインメントとして、観客の心を打つものがあるのでしょうね。。。

平氏の滅びゆく悲哀の中に、世阿弥は、武将「清経」の入水を、ドラマチックに仕立て、そして、その「リリシズム」を、現代まで受け継いできた能楽が、我々の人間の根源的な部分にどれだけ刺さってきたか、それを雄弁に物語る能「清経」の演目だったと思いました。


ということで、今年も伊勢原大山阿夫利神社火祭薪能の演目について、能狂言の初心者ながら、感じたことをできるだけわかりやすくお伝えしたいと思い書いてみましたw

まぁ、ボクも、幼少時は狂言の面白さを取っ掛かりとして楽しみ、能楽は、言葉やストーリーは追いかけられなくても、謡や囃子、そして、舞の、神秘的な盛り上がりを楽しみながら、自分なりに解釈して書いておりますので、いろいろ間違っていたり、異なる解釈もあるかもしれません。
でも、難しいことは言わないで能狂言を楽しもう!というスタンスで書いております。
何かのお役に立てれば!ということで、今日はこの辺で!


ムーニーカネトシは、写真を撮っています!
日々考えたことを元にして、「ムーニー劇場」という作品を制作しておりますので、ご興味ございましたらこちらをご覧ください!

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