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「盆踊りと民主主義」岸野雄一さん×吉田アミさんトークイベント拝聴

ボクの仕事の都合もあり、オンライン有料配信ではあるが、「スタディスト」で音楽家、DJでもある、岸野雄一さんのトークイベントを聴きました。聞き手は、ミュージシャンの吉田アミさん。

岸野さんの博学かつ熟慮されたトークに対して、ボクの悪い頭と稚拙な文章で、「感想」などを述べさせていただくのは、甚だ烏滸がましいのだが、自分の備忘録と今の考えをまとめるためにこのnoteに記述させていただきます。

ボクなりの岸野雄一さんご紹介

まず、岸野雄一さんについて詳しく知らない方にとっては、今回の「盆踊りと民主主義」というトークのテーマを見ただけで、「何だか難しいテーマ!!インテリゲンチャの言葉遊びか?」と思われるかもしれない。
逆に、ボクの稚拙な文章で、岸野雄一さんのお考えについて、もっと深く知りたい方は、今回のトークテーマをさらに深化させた、岸野さんが「ニューQ」という雑誌に寄稿された、「民主主義のエクササイズ」という文章がnoteの有料版でも読めるので、本を購入するか、有料版noteで、是非読んでいただきたい。

まず、ボクが岸野雄一さんを知ったきっかけについて。
写真展「ポートレート専科」において、常盤響さんと知り合うきっかけをいただき、その常盤響さんが過去に結成された「東京タワーズ」というバンドのファンクラブ「京浜兄弟社」とは何じゃいな?と思って、その「東京タワーズ」の中心人物岸野雄一さんについて詳しく知りたくなった。

最初に、大人も子供も楽しめる音楽劇「正しい数の数え方」を拝見して、もう、「何だこれは!!笑」と非常に衝撃的に楽しんだ!!

日本の伝統的リズムから歌謡曲、シャンソン、ロックに至るまで、その「音楽」の多様性、着ぐるみ、パペット、紙人形等の人形劇や、映像を巧みに組み合わせた舞台、そして、老若男女、かつて見たことが無いくらい幅広い層をターゲットとしたエンターテイメント性!!
どの切り口を見ても、ボクがかつて知らなかった、幅の広さとエンターテイメント性とを併せ持った世界観だった。

その後、「ヒゲの未亡人」の舞台を拝見した。

これまた、「何をしているんだ!?このおじさんは!!」と、笑い転げ、楽しく拝見しながら、そこに仕組まれた巧みな舞台構成、音楽性に非常に感心した。また、「女装」という観点からも、ボクの「女装趣味」との親近感を持ったかな。
ちなみにボクの女装時代について、まだnoteにはあまり書いていなかったかな・・・笑

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これは、ボクの写真です。。。

その後、毎年1月11日に開催される「ワッツタワーズ」のコンサートに行くようになり、「京浜兄弟社」の曲も聴くようになり、ラッパーの故ECDさんとの関わりなども知るようになった。

岸野雄一さんは、まず、難しいことは抜きにして、とにかく楽しいおじさん!!そして、知れば知るほど、その音楽的な趣向から、エンターテイメントに対する姿勢、そして、「民主主義のエクササイズ」に至る、思想に至るまで、、、まぁ、ボクは少し狂信的になるタイプだから、気を付けなければならないし、それは岸野さんも望むところではないと思うけれど、とにかく、とっ散らかってしまいがちな、ボクの趣向と思考について、岸野さんが、一本の線で結んでくれたような思いを持っている。

というのが、ボクなりの岸野雄一さんのご紹介。。。まぁ、まだまだボクも勉強中で、興味を持たれた方は、是非とも岸野さんのライヴ(このご時世だからあまりライヴの機会が無いのだけれど・・・)に参加してみてください!!

ボクなりの日本人の現代の「祭り」に対する考察

ちょっと、ボクなりにですが、今回、岸野さんがお話しされた、「盆踊り」を軸に、現代の「祭り」に対して、ボクなりに考察してみる。

いや、ボクとしては、幼少時、地元の岡山で、ギリギリ(というのは、生まれた地域が、新興ベッドタウンと、土着的下町との狭間的な地域だったので)、土着的な「祭り」に関わったこと、そして、前職が某地域メディア社員だったので、仕事として、かなり密接に・・・ここまで書くと具体的地名を書いちゃいますが・・・横浜や八王子の勤務エリアでの地域行事に関わってきた。

現代の日本の「祭り」は、大まかに3タイプに分類されると思う。

第一類・・・日本古来の、神事、伝承に由来するタイプ。
氏神を祭る「神輿」などの例大祭、有名なものでは、浅草三社祭や、秩父夜祭、京都祇園祭、岸和田だんじり祭、博多祇園山笠など、、、けっこう多いかな・・・。

第二類・・・日本の近世以降、仏教的行事、村落社会に発祥した祭り。
「盆踊り」が正にコレ。第一類よりも狭域かつ近代や戦後に自治会単位で発祥した祭りも含む。

第三類・・・主に戦後、行政区分や、鉄道駅等の近代交通網による文化区分により発祥した祭り。「フェスティバル」の名称を持つ、近年地域振興の名の下に地方自治体で開催されるようになったものや、逆に、一企業(トヨタ、日立など)発祥ながら、既に相当の歴史を持つものも含む。

もちろん、異論があることは大いに認めますが・・・

実は考えながら、今回岸野さんが、「第二類」の「盆踊り」に着眼したことは意義あるのかな、と。
国家権力によらない、日本人の風土や民俗性を元にした「民間発祥」で、かつ、ある程度伝統があるにもかかわらず、その枠組みには自由度がある。しかし、その「自由度」ゆえに、過疎、少子化等の影響をモロに受けて、消滅しかねない。。。

「第一類」については、「無形文化財」等として、国や地方自治体の保護を受けるものも多い。もちろん、過疎化等で存亡の危機にあるものもあるが。
また、「第一類」と「第三類」について、「第一類」を元に肉付けされて「第三類」的に融合しながら発展したもの(ボクの知るところでは「八王子祭り」等)もある。

「第三類」は、地方自治体や、企業、商工会議所による枠組みがしっかりしているため、存亡の危機に陥ることは無いが、その分自由度は無い。
(まぁ、地域の商工会議所は、「第二類」「第一類」、その地域に「商店会」があったり、とにかく「お金」に関わるところには、どこでも関わってきて、またややこしいところもあるのですが・・・)

「第二類」で最も発展しているのは、ご存じ徳島の「阿波踊り」なのかもしれない。うーん、まぁ、「第二類」も発展すると、「無形文化財」的な保護も受ける。
また、「阿波踊り」(高円寺阿波踊り、南越谷阿波踊り等)、そして、北海道の「ソーラン節」、高知の「よさこい祭り」が、「第三類」のイベントにおいて、全国的に波及し(1999年「3年B組金八先生」が発祥か?)、今や他の踊りを駆逐する勢いである。(いや、確かに子供たちが踊る姿を見てみると、楽しそうだし迫力はあるのですが・・・)

「盆踊り」にはもちろん踊り方の振り付け、形式はある、自由じゃない!という反論もあろう。しかし、ボクの捉え方としては、後に書く通り経験から申し上げても、「盆踊り」の振り付けは、数回踊れば覚えられるし、単純な反復である。「楽しみ方」を探している人、踊りの輪に入ろうか躊躇っている人の手を取る、誘引するような、その個々人の「自由」な枠組みを担保する、振り付けであると感じる。
「音楽」=「鳴り物」に、体がうずく、動き出すという、人間の原始的な本能に基づく振り付けであると思う。

しかし、日本人は真面目なのかなぁ・・・。
まぁ、盆踊りルーツの「ソーラン節」や「よさこい」が、「教育」という国家権力に取り込まれて、少年少女が過酷な練習に耐えて、一糸乱れぬ振り付けで踊る姿に感動を覚え、それが全国的に波及している現状・・・。

うーん、本人たちは達成感を覚えて嬉しそうだから、いいのだろうか?
まぁ、日本人の「高校野球」等の過酷な精神論、根性論にも繋がる、ちょっと一考すべき価値観かもしれない。

そういえば、「第二類」の代表とも言える、「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿保なら踊らにゃ損々」という「自由」を謳うはずの「阿波踊り」も、踊りのグループ「連」に入ると、かなり体力的に厳しい、過酷な練習の毎日・・・
その練習に耐えてデビューする若者を追った、NHKWORLDの番組が印象に残っている。

阿波踊りを高速度カメラで捉えて、その美しさ分析したり、なかなか興味深い番組だったw

ボクなりの「盆踊り」のルーツ

ボクが幼少時を過ごしたのは、岡山の明治期以降に干拓されて造成された港湾工業地帯で、初期にはその労働者人口が多かったが、高度経済成長期以降は岡山市中心部のベッドタウンとして区画整備が進み、新たな人口が流入してきている地域だった。

父親の家系は、地元に古くから住んでいて、叔父が町内会長も務めていたりしたので、正に町内の「盆踊り」等の行事には、必ず参加していた。
8月位中旬前の日曜日の朝早くから、父親が、
「盆踊りの櫓を組みに行ってくる!」
と出かけて、そのまま昼近くまで町内会館で酒を飲んで酒臭くなって帰ってくるのは、子供ながらに嫌だった。

以前に、町内の少年野球チームとの関わりの中でも書いたが、

少年野球チームの少年たちが町内の行事の中心を占めていて、毎年盆踊りの太鼓を叩く役にも、その少年野球チームのエースが抜擢されていた。

ボクは、運動は全くダメだったが、子供のころから音楽教室にも通って、音楽は好きだったし、「リズム感」には密かに自負があったので、スピーカーから鳴り出した音楽に合わせて、自分なりに、鉛筆や箸で膝や机を叩いて密かに練習したりしていた。
少年野球のエースが叩く太鼓を聞いて、「下手くそ!!」と思っていた。
正直、盆踊りで太鼓を叩いてみたいと思っていたが、それは誰にも言うことは無かった。

町内会主催の盆踊りは、日頃少年野球チームが練習していた公園の中心に櫓を建てて、周囲には、たこ焼き、わたがし、ヨーヨー、おもちゃ等々、いわゆる「的屋」の露店が並んで、加えて町内会の婦人会によるビールやジュース、焼き鳥やカレーライスの販売など、今思えばかなり大規模に開催されていた。ボクの母親も、盆踊りの日には明るい時間から駆り出されていた。(和歌山ヒ素カレー事件も思い起こされますが、それはまた別の機会に・・・)今考えると、女性の専業主婦が多かった時代だからこそできたことで、現代の状況からは難しいものだと思う。

少年野球チームを中心とした子供たちは、露店の食べ物や、おもちゃに夢中だった。ボクの思い出としては、そんな自分が嫌いな少年野球チームのメンバーと顔を合わせるのは嫌だったが、生まれついての「夜型人間」だったボクは、盆踊りの日は、夜暗くなってから提灯(と言っても電球だが)の明かりの下で、両親にも咎められず、スピーカーから大音量の音楽が流れている雰囲気は、嫌いではなかった。
実家に集まった、普段会わない親戚、従妹などが、浴衣を着て盆踊りに参加するのが、何となく楽しかった。

やがて、小学4年生の頃、露店のお菓子やおもちゃにも飽きたボクは、たった一人、大人が中心だった「盆踊り」の輪の中に加わって、踊ることを試みたのを鮮明に覚えている。

婦人会の浴衣の知らないおばさんが躍る「盆踊り」を、見よう見まねで真似ながら、踊りの輪に加わってみたのだ。

思えば、そこから、ボクの現在までにおける「クラブで踊る」ことに通じる「何か」があったような気がする。

その後、小学校6年になるまで、ボクは毎年、盆踊りの輪の中に加わり続けた。いつの間にか、町内の少年野球の仲が良かった何人かが、ボクの後ろについて踊っていたこともあった。ボクは、一人であろうが、何人になろうが気にせず、踊り続けていた。そこに何かの高揚感を感じていた。

長くなるし、誰も興味がないかもしれないが、当時のボクの町内会「盆踊りセットリスト」!?を挙げておく。
少ないが、ひたすらこの曲を繰り返していたので、今でもよく覚えている。

・炭坑節(歌手不明)
・備中高梁松山踊り(歌手不明)
・備中高梁ヤトサ踊り(歌手不明)
・アラレちゃん音頭(小山茉美)
・二十一世紀音頭(佐良直美)
・瀬戸大橋音頭(三波春夫)

ボクなりの「盆踊り」の今後について

数年前から岸野雄一さんが「盆踊り」のイベントに携わるようになり、そして今回、その考え方について拝聴する機会を得て、改めて自分の「盆踊り」への思い出などと共に、今後の「盆踊り」への関わり方などを考えてみる。

正直、前職で地域の盆踊りの取材などに携わった時にも、「今でもこんなに盛り上がっている盆踊りもあるんだ!」と、何となく「他人ごと」のように感じていたし、自分がクラブでDJの音楽に合わせて踊っていることと、「盆踊り」を同じ地平で考えたことも無かった。

歴史、民俗学的には、ボクは、宮本常一さんの民俗学にどっぷりハマっているし、「盆踊り」が日本の村落社会から発祥し、戦後、高度経済成長期以降のニュータウン(ベッドタウン)におけるコミュニティの形成に至るまで、果たしてきた役割について、おぼろげながら理解することはできる。

しかし、今回、岸野雄一さんのお話を通して、強く気付かされたことは、「今、正に自分が当事者である」ということである。

民俗学的見地から、「盆踊り」を傍観者的に見るスタンスは、それはそれでスマートでインテリジェンスな態度かもしれない。
しかし、それだけでは「盆踊り」イベント自体も何も変わらない。
この日本のご時世の中で、自分と家族、そして、その地域住人が「楽しく」「自由に」生きていくために、自分が当事者として行動しなければならないことを強く意識させられたのだ。

自分の子供が小学校に入った。
神奈川県西部、嫁様の地元に家を購入した。
自治会の役員になった。

傍観者的な視点もとても重要で、当事者として狂信的に邁進するのは避けなくてはいけない。
しかし、今改めて、自分の住んでいる、その足元がいかなる状況か、見極めておくことは必要なのではないかと考えさせられた。

そして、何より、この昨今の情勢で、閉ざされたクラブ、ライブハウスだけが、音楽を楽しむ場所ではないのだと痛切に感じた。
みんなが楽しんで、何より自分も楽しむために、「祭り」は必要不可欠であると思う。

うーん、今、正に8月のお盆、ボクが住んでいる地域では、周囲には昔ながらの農家の旧家もたくさん存在するのだが、「盆踊り」は開催される様子はない。
秋に、地元駅周辺で、商店会主催の大規模な「祭り」、正にボクの分類でいう「第三類」の祭りが開催されるから、そちらに吸収されているのかなぁ。。。

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿保なら踊らにゃ損々」と、「第一類」「第二類」「第三類」どんな祭りであれ深く考えず、とにかく楽しむ単純さも必要なのかもしれない・・・

もちろん、ボクとしては、今後、岸野雄一さんが、東京周辺で「盆踊り」を基軸とした「祭り」を開催するとしたら、是非とも参加したい意向である。
ただ、岸野さんの開催するイベントや、祭りへの携わり方を参考にしながらも、一番考えなければいけないのは、「当事者」として、自分の住んでいる地域を軸にした、草の根的な活動なのではないか?

最後に、今回は、「盆踊り」「祭り」を語る上で、あえて歴史的に持つ、セクシュアリティからの観点については省かせていただいた。
ボクとしては、そのルーツは重々承知しているが、現代社会において「祭り」の「今後」を考える際に、「祭り」と「性風俗」までルーツを遡ることは、ある意味不可能であると考えるからである。

また、近世以降の日本において、村落文化から漏れた文化、さらには、諸外国の地域コミュニティにおける「祭り」「フェスティバル」との比較など、語るべきはたくさんあるが、今回はこの辺りにして、この文章を締めさせていただく。

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