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マジパン思い出話エクストラ③ 浅野杏奈さんのこと

 白紙のこの稿を開いたまま、言葉が出てきません。なにも書くことがないからではなく、書きたいことが溢れすぎているから。この感情をどうまとめていいか、頭の中は真っ白です。
 それでもまずは、彼女の第一印象から書いていくべきでしょう。最初に発表されたアーティスト写真の印象は、おさげ髪の真面目な女の子、でした。垢抜けない、と言ってもいいかもしれません。しかしそれは、ある意味佐藤さんの仕掛けでした。おかげで僕らは、垢抜けないおさげ髪の女の子から大人びた魅力的な女性への変化――魔力開放を見ることができたのですから。
 はじめにぽにきゃん!アイドル倶楽部に出たときから、話し方がアナウンサーみたいだ、と誰もが感じていました。滑舌がしっかりしていること、姿勢のよさ、まっすぐカメラを見るまなざしの強さが理由でしょう。それは、半分は生来の育ちのよさですし、もう半分は彼女が余所行きの場で戦うために見につけた武器でした。
 しかし我々は、彼女をその第一印象で縛りすぎてしまった感があります。
 後に清水さんがモノマネで暴露しましたが、一度彼女は「私、ホントは真面目なキャラじゃないもん!」と泣きながら訴えたそうです。しかし、周囲は一時的な情報から彼女をそうキャラ付けしてしまいました。
 本来の浅野杏奈という人は、マイペースでわがままな末っ子で、融通の利かない頑固者で、クソがつくほどの負けず嫌いです(ダブルダッチでの「できないのが悔しくて泣く」というシーンからもそれは明らかです)。持ち前の負けず嫌いと探究心とで学校の成績が優秀なだけで、決して真面目ではありません。しかし、姉のいる末っ子として性格が形成されたあと、年の離れた妹が生まれたため、後天的に姉らしい「いい子」としての振る舞いも要求されるようになりました。
 これは完全に推測であると断ったうえで書きますが、小学校か中学校のとき、クラスメイトと揉めたことがあるのかもしれません。彼女は融通が効かずルールを厳格に守るタイプですから、なあなあで済ませようとするクラスメイトとトラブルになるのは無理もないことです。それを解決、あるいは回避するための手段として「真面目キャラ」という盾を作り出したのではないでしょうか。
 小中学生だと、学校の成績がよければ真面目キャラにされますし、学級委員長キャラにもなります。実際はそうでなかろうと、そのポジションに収まってさえしまえば、トラブルは回避できます。彼女が、ぽにきゃん!アイドル倶楽部で披露した「アナウンサーかのような真面目キャラ」は、そうして手に入れたものではないかな、と推測しています。
 アウェイの場を、周りからの印象もいい「真面目キャラ」で臨むのは当然のことですし、まちがった判断とも思いません。しかし、結果としてこれは、彼女自身を縛り、苦しめることになりました。初期のTwitterでのダジャレなどのキャラ迷走は、それを端的に表していたでしょう。司会の方に「真面目そうだね」と振られるたびに、彼女は一瞬、困惑の表情を浮かべていたものです。
 それが徐々に素の浅野杏奈へと変わっていったのは、彼女がマジカル・パンチラインを「ホーム」であると感じるようになったから、ではないでしょうか。苦楽をともにするうちメンバーやスタッフと打ち解け、彼女のファンは「真面目キャラの浅野杏奈」ではなく「一見真面目そうだけど実はいろいろある浅野杏奈」を推しました。それらを経て「素のままでいいんだ」と思うようになった結果、どんどんその魅力が溢れだしていったのではないでしょうか。その象徴が「魔力コントロールナンバーワン」から「熱血担当メラメラ」への自己紹介の変化でしょう。
 では、浅野杏奈は「真面目」ではないのか。世間一般がそのワードから連想する、学校の成績が優秀で先生の言うことには素直に従い、リスクのある冒険は手控える「優等生」的な真面目キャラではないのは明らかです。しかし、自分で決めたことは頑固に貫き通し、責任感が非常に強く、曲がったことは大嫌いな「クソ真面目」であるのもたしかでしょう。
 彼女のその凜とした芯の強さは、特にマジパンのピンチの際に、どれほど頼りになったか。どんなときでも彼女は苦難から目を逸らさず、ファンの目をまっすぐ見て話します。暑苦しいぐらい常に全力投球で、必死に前に進もうとします。その美点がもっとも表れたのは「テレビで中国語」でしょう。共演者からの好かれ方、ラストの涙を見ればそれがよく分かります。
 ただ、その要求はときとして周りに向いてしまうこともあったでしょう。それを「生真面目すぎる」と敬遠した人もいるにちがいありません。レッスン等で与えられた課題をこなしてこない加入当初のひまわリーナに対して、苛立ちを感じてもいたようです。
 己に厳しく、周りにも同じくらい厳しい。それは彼女の美点でもあり欠点でもあります。そういう意味で、己に厳しいまま、周りへの寛容を身につけたこと、それぞれの個性を尊重したうえで共に進んでいく心の広さを持ったことこそ、彼女がマジカル・パンチラインの活動において成長した部分なのかもしれません。常に100%でないと気が済まなかった彼女が、ライブで気の抜けたアドリブを入れるようになった姿を見て、それを実感しました。
 責任感が強くクソ真面目でありながら、実はその本質は非常にチャーミングな人でもあります。意外と甘えん坊で、構ってもらいたがり。楽屋でメンバーにちょっかいをかけることもしばしばで、ファンにもときおり甘えた顔を見せてくれます。
 真面目キャラという鎧を脱ぎ、そういう素のお茶目な部分を見せるようになったのが、この四年半での最大の変化でしょう。それだけ彼女にとってマジパンが、マジファンといる時間が、ホームになったという証かと思います。
 彼女の、目を細めたくしゃっとした笑顔。あれより尊く心安らかになるものはこの世に他にない。きっと、全AntSが思っていることでしょう。

 今では小山リーナと並ぶ歌姫となった彼女ですが、本人も「歌には自信がなかった」と語っている通り、初期のパフォーマンスは褒められたものではありませんでした。体力と声量はあるのですが、音程は合ったり合わなかったり。上手く歌えた箇所だけ声量がグーンと増すさまは、さながら暴走機関車のようでした。
 またダンスも、後に佐藤さんと沖口さんのコントでいじられたようにカチンコチンで、表情も常に必死。アイドルらしいしなやかさや可愛さはなかなか見られませんでした。
 それが変化したきっかけは、ベイビーレイズJAPANとの出会いではないでしょうか。アイドルでありながら、可愛いだけでなくエモーショナルでカッコいい。抜群に歌がうまい林愛夏という具体的な目標を見つけた彼女は、ぐんぐんパフォーマンスのクオリティーを上げていきます。
 しかし、それでも彼女の特典会の列はなかなか伸びませんでしたし、Twitterのフォロワー数も思うようには増えませんでした。
 小山リーナ、清水ひまわりという、自分より若い圧倒的な個性と同じグループにいること。それは彼女にとって、非常に苦しいことでした。どこへ行ってもエースになれるビジュアル・パフォーマンスであるにも関わらず、二人がいることによって埋没してしまう。特に初期は、その中で彼女は必死に足掻いていました。
 Twitterで駄洒落を入れること。「ひかりのほうへ」というブログを書くこと。積極的にエゴサーチしいいねをたくさんつけること。昔、浅野さんがリプ返をしていたのですが、それはもう凄まじいものでした。
 「好きな料理はなんですか?」という質問へのアイドルの回答は、せいぜい「お寿司! 焼肉も好きかな」程度でしょう。しかし彼女の回答は「お寿司が好き! ちなみにネタは○○が一番好きで~、あと○○さんはなにが一番好きなの?」という具合に、140字びっしり書かれていたのです。しまいには140字で収まらず、2ツイートに分けて返事をすることさえありました。ファンからの質問リプよりアイドルからの返事が遥かに長いリプ返など、聞いたことがありません。加えて恐ろしいことに、質問がシンプルすぎるときは、相手のプロフィールや過去ツイートを掘ってその情報まで含めて返事をするのです。まったく、恐ろしいアイドルです。
 それが直接的にファン獲得に繋がったかどうかは分かりません。スタートで二人の後塵を拝したフォロワー数は、結局最後まで追いつくことができませんでした。しかし、その必死な姿に心打たれたファンは多くいるはずです。
 今では、特典会の列の長さもグループでトップクラスになり、ライブで多くの赤いペンライトが振られるようになりました。彼女は地道に努力し、結果を勝ち取ったのです。
 派手なやり方に頼らず、試行錯誤を繰り返し、限界ギリギリで足掻く。アイドルとして、スマートではないかもしれません。はっきり言って、不器用です。しかし、その戦う姿勢こそ、浅野杏奈です。
 そのがむしゃらな戦いぶりに、思わず応援せずにはいられない。いえ、自分のことのように感情移入して応援してしまう。彼女は、そういうアイドルなのかもしれません。

 僕は、彼女と初めて直接言葉を交わした三重・鈴鹿大学での特典会以来、ずっと彼女推しです。彼女とのツーショットをTwitterのアイコンにしてから、一度も変えていません。特典会では、箱推しなので他のメンバーに行くことはありましたが、必ず彼女とも撮っていました。
 浅野さんとの思い出を語れば、キリがありません。が、いくつかピックアップしてみましょう。
 初めてツーショットを撮ったのは「パレードは続く」の大阪でのリリイベでした。名前を名乗ったあと、彼女はこう問います。
「君付けがいい? それとも、さん?」
 さん付けで、とリクエストしました。それからずっと彼女は僕のことを「ウバさん」と呼んでくれます。ただのオタクの妄想である、と断ったうえで書きますが、十代の少女が三十後半のおっさんを「君」と呼ぶのはファンタジーだと思うんですよ。リアルな関係ならさん付けですし、きっと彼女もそのほうが楽だろうと。
 ただのアイドルとオタクの間柄ではありますが、少しでもリアルな関係でいたい、という思いから、さん付けになりました。あくまでこちらの勝手な思いこみではありますが、きっと彼女とはそういう関係を築けたんじゃないかな、と思います(彼女がそう思わせてくれた、というほうが正確でしょうか)。
 大阪にいたころでもうひとつ思い出深いのは、およそ一年間に渡って毎日更新していたAntS天文夜話です。浅野さんの好きそうな星がらみの豆知識を毎日呟き、最後には書籍風にまとめてプレゼントしました。今から思うと、無謀なことをしたものです。しかし彼女は、ちょくちょくファボをくれたうえ、会うたびに「楽しみにしている」と話してくれました。どれだけ大きすぎるオタクの愛も、躊躇わず受け止めてくれる。その器の大きさも彼女の美点でしょう。
 彼女はまた、エゴサ魔としても知られています。仕事で東京へ行く機会があり、ちょうど現場に行けそうでした。しかし、同じ日にいくつも行きたい現場が被っていたうえ、マジパンが出演する対バンライブはチケット代が高く、二の足を踏んでいたのです。エゴサ避けをしたうえで「どこに行こうかな」と呟いたところ、なんと彼女からファボが来たのです! これはもう行くしかない、と大人しく現場へ行きました。それ以来「自分のツイートは全て見られている」という前提で呟くようになりました。それは、それだけ彼女がファンのことを気にしている、愛情深い人であるということの裏返しでもあると思っています。
 noteに「『この夏からマジパンを始めようかな』という人向けの簡単☆マジパンガイド」をアップしたときには「こういうのはホントうれしい、ありがとう」と言ってくれました。生意気にも浅野さんの性格分析も書いたのですが「読んでいてめちゃくちゃ納得できた」と。そもそも、読んでくれるというだけでありがたいことです。
 2019年11月、あれは新宿Renyでの対バンライブでした。ツーショットの背景がクリスマスツリーで「もうすぐ浅野さんの誕生日だね」と話を振りました。
「えっ、そっちのほうが近いじゃん」
 驚きのあまり、言葉が出ませんでした。僕の誕生日は12月1日で、たしかにこちらのほうが近いのです。同じ12月生まれだ、という話を何度かしたことはありますが、あくまで雑談程度です。この直前に誕生日の話もしていません。にもかかわらず、特に構えた風もなくナチュラルに「そっちのほうが近い」と話を振ってくれた。
 そんなアイドルが、他にいるでしょうか。それだけ、ファンのことを気にかけてくれている。本当に、心から、感謝しかありません。
 ラグビーの仮装をして行ってスクラムでツーショットを撮ったら表情がガチ過ぎたり、バーベキューであーんチェキを撮ったら思いっきり口を開けてくれたり、「ひとかけら」の好きな振りを一緒にやろうと言ったらノリノリでやってくれたり。浅野さんとの思い出は、とても書ききれません。
 カメコとしてのベストショットは、言わずもがなこの一枚です。自分の人生でもベストのショットを推しで撮れるなんて、これほどありがたいことはありません。

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 それでもあえてもう一枚チョイスするなら、浅野さんの生誕祭で撮影したこの写真でしょうか。カメコが撮るアイドル写真としては、特に高く評価できるものではありません。しかし、自分が主役となったイベントで見せてくれた、油断したこの笑顔。たまらなく好きです。

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 浅野杏奈はなぜ、マジカル・パンチラインを卒業するのか。それは、そもそも彼女はなぜアイドルになろうと思ったのか、という謎と直結しているように思います。
 彼女がアイドルになると決まったとき、周りは「あのあんちゃんがアイドルに?!」と驚いたそうです。顔立ちが整っているとはいえ、アイドルらしくきゃぴきゃぴしているタイプではなかったからでしょう。また彼女自身、アイドル好きではないどころか、興味すらないようでした。芸能事務所へ入ったのも、女優志望だったからです。そんな彼女がなぜ、マジパンのオーディションを受けてみようと思ったのか。
 それはきっと、逆に「興味も知識もないものだったから」ではないでしょうか。
 彼女は、根っからの挑戦者なのです。自分が知らないこと、自分が出来ないことだからこそ、挑戦したくなる。アイドルとして、可愛らしく振る舞い、歌って踊り、ファンとにこやかに接する。どれも彼女にとっては未知の世界でした。未知の世界だからこそ、やってみたいと思ったのでしょう。
 彼女は持ち前の根性と情熱で、それらをひとつひとつ克服していきました。可愛らしく振舞うことは苦手だったはずなのに、「Melty Kiss」のラストでは可愛らしくセリフを言えるになりました。頑なに前髪を作らなかったのに、前髪を作りアイドルらしくなりました。歌もダンスも得意とは言えなかったのに、今ではグループを引っ張るレベルになりました。本来なら年上の人に対してタメ口でしゃべったり呼び捨てにしたりするタイプではないはずなのに、積極的に距離を縮め打ち解けてしゃべるようになりました。さらに言えば彼女は、一度たりともライブや特典会を体調を理由に休みませんでした。四年半、一度も、です。その努力を、根性を、情熱を、出した結果を、僕は一人間として心からリスペクトします。
 アイドルになど興味がなかったはずの彼女は、こうして立派なアイドルになりました。いや「なってしまった」のです。
 彼女は、アイドルという地平を耕しつくしてしまったのです。そこに、彼女が心掻き立てられる「挑戦」は、ほとんど残っていませんでした。
 大学生活、テレビで中国語、映画「メグ・ライオン」での演技、Zip!やバスケ番組のリポーター。彼女の目の前には、また別の新たな挑戦の地平が広がっていました。根っからの挑戦者である彼女が、それらを前にしながら立ち止まるという選択をするはずがありません。
 グループ一の負けず嫌いで頑固者の彼女が、マジパンとしての大きな目標を達成しないままグループを去るというのは、内心忸怩たる思いがあるでしょう。迷わなかったとは思えません。悔しかったにちがいありません。彼女が愛したメンバー、スタッフ、ファンの顔も浮かんだことでしょう。それらとの別れを悲しく思ったにちがいありません。
 しかし、挑戦者である彼女は、それらを振り切り、新しい世界へ足を踏み出すのです。
 正直な気持ちを言います。彼女の卒業は悲しい。もっとアイドルでいてほしかった。もっとアイドルとオタクという関係でいたかった。まだまだ卒業しないでほしい。寂しい。
 でも。立ち止まるなんて、彼女らしくないんです。それは僕らが好きな浅野杏奈じゃないんです。だったら、その歩みを、その挑戦を応援するしかない。
 浅野杏奈を応援すると決めたときから、それは心のどこかで覚悟していたことでもあります。彼女が、一箇所に安住などするはずがないのですから。彼女がアイドルでいてくれること。それは、長いことではない。とても儚いものだった。だからこそ「アイドル・浅野杏奈」は輝き、我々はそれに魅了されたのです。
 なぜ自分は浅野杏奈推しなのか。これだけ語っていながら、まだよく整理できません。
 前にあるオタクに「この子、見た感じ浅野さんに似てるよ、ウバさんどう?」と言われました。しかし、正直まったく気持ちは動きませんでした。見た目とか、歌とか、スタイルとか、そういうのじゃないんでしょうね。結局「浅野杏奈だから推している」としか言えません。
 それでもあえてひとつワードを出すなら「凛としたひたむきさ」かもしれません。とにかく彼女は、一生懸命なんです。不器用なまでに。ずるいこと、人を出し抜くようなこと、周りを貶めるようなことは一切できません。ただ愚直に前に進むだけ。どんなに辛くても、歯を食いしばりまっすぐ前を見る。その心の美しさが、そのまま彼女の美しさとなって外に現れているように思います。
 彼女はきっと「私なんてまだまだ努力が足りない」「『ひたむき』なんて言えるレベルには達していない」と口にするでしょう。しかしそうやって自己評価を低くし己を追い込む姿こそ、浅野杏奈らしいですよね?
「明日が、いつか描いた夢のひとかけらでありますように。いま僕がここにいること、未来がもっと輝いていくということ」
 まっすぐ前だけを見据えて歌う「ひとかけら」のソロ。あのシーンに、僕が彼女を推している理由が凝縮されているように思います。
 彼女は、決して欠点のない人間ではありません。頑固だし、気分のアップダウンは激しいし、負けず嫌いだし、意地っ張りだし、意外に甘えん坊だし、すぐ拗ねるし。しかし、そういう欠点まで全部ひっくるめて、我々は浅野杏奈という存在をこよなく愛しています。笑おうが泣こうが怒ろうが「愛おしい」という感情以外湧きません。いつでも彼女がまっすぐで、ひたむきで、一生懸命だからです。
 
 僕の人生で、彼女ほど好きになった人はいないんだろうなと思います。浅野さんは、きっとこれからも彼女らしく前に進んでいくでしょう。浅野杏奈が浅野杏奈である限り、僕はいつまでも彼女を応援し続けます。
 浅野杏奈さんは僕にとって「人生最後のアイドル」なのですから。


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