見出し画像

マジパン思い出話第十五回 アルバムリリース、待っていた災厄

 2020年は、NPPで幕を開けます。実家に帰っていたため参加できなかったのですが、この日のマジパンはとてつもないステージでした。中でも「戦えるバラード」である「ひとかけら」と、ツアーを経てエモ曲へと育った「もう一度」が素晴らしかった。TIF2019スマイルステージと並ぶライブだったのではないでしょうか。
 ここで改めて、マジパンのパフォーマンスの進化について語っておきたいと思います。第二回で書いたとおり、初期のマジパンのパフォーマンスは褒められたものではありませんでした。しかし、佐藤さんが卒業するころには、ほとんどCD音源に近いレベルになっていました。
 四人時代には、そこからさらに工夫を凝らすようになります。歌い方を変えたり、アドリブを加えたり。新メンバーの成長を待ったことでその歩みはいったん停滞しますが、このころには二人のパフォーマンスも先輩メンバーに見劣りしないものになっていました。まさに、グループの充実期、と言えるでしょう。歌に余裕ができたこともあって、ダンスやメンバー同士の掛け合いなどにもアレンジが加えられるようになり、ライブごとに様々な変化が生まれました。
 それがもっとも顕著に現れたのが「108煩悩bomb」でしょう。数えたわけではありませんが、ドリー時代にもっとも披露される機会が多かったポニキャン曲ではないでしょうか(個人的に、両者をブリッジしてくれる貴重な曲であると思っています)。
 元の音源、四人時代の公式動画、そして最近のライブを比べれば、その変化は非常に大きなものです。それはそのまま、メンバーの工夫の足跡と言えるでしょう。

 生のパフォーマンスで、音源を越えるものを見せてくれる。それは、ファンの現場へ行くモチベーションを上げます。また、リリースイベントや出番の短い対バンは決まった曲をやることが多いため飽きてしまいがちですが、パフォーマンスそのものに変化を加えることで、それも軽減されました。加えて、NPPのような大きな舞台では、アドリブに振り分けていた余力をすべて熱量に回すことで、普段以上のパワフルなライブを見せてくれます。
 音程がそれなりに合っていてダンスが揃っているだけの「アイドル」の枠を超えた「プロのパフォーマー」の域に達しつつある。そう感じたNPPのライブでした。

 4日には、新年のファンクラブイベントが行われます。こちらは、打って変わって内輪の平和なイベント。いちゃいちゃするメンバーを間近で眺めることができたり、オタクの餅つきを清水さんが楽しく実況してくれたりと、実に楽しい時間を過ごすことができました。

 また、運のない僕にしては珍しく、吉田さんの素敵な書初めを当てることができました(それだけ当選者が多い良イベントだったとも言えます)。今でも、額に入れて置いてあります。

画像1

 19日には、池袋でのリリイベのあと、吉田さんがびっぐえんじぇるさんのYouTube動画で出演した「天下鳥ます」でのオタク交流会が行われました。

 ゆらりちゃんよりたくさん食べられるかという唐揚げ食べ放題デスマッチで、自分も企画側だったのですが、残念なことに体調不良で参加できず。
 一週間ほど寝込むこととなりましたが、浅野さん出演の「メグ・ライオン」試写会にてなんとか復活。1月26日には、AKIBAカルチャーズ劇場にてライブが行われました。ここで、アルバム表題曲「マジカル・スーパーマーケット」が初披露されます。2月にアルバムリリース、3月にはヒューリックホール東京でのワンマンライブと、新メンバーも完全に定着しパフォーマンスレベルも上がったマジカル・パンチラインの歩みは、順調そのものに見えていました。
 しかし実はこのとき、これまでマジパンを襲ってきた様々な困難とは毛色を異にする、予想だにしていなかった災厄が静かに広まっていたのです。

 コロナウイルス。インフルエンザのように人から人へ感染し、特効薬はなく、最悪の場合は死に至る。それを防ぐには、とにかく人との接触を減らすしかない。その思いがけない災厄は、アイドル業界を直撃しました。
 二月に入り少しずつ日本でも広まっていく中、いくつものアイドルイベントが中止、あるいは規模の縮小を余儀なくされます。マジパンは、二月にリリースするアルバムのイベントは継続したものの、握手会はなくなり、ツーショットはマスク必須となりました。その措置には賛否ありましたが、メンバーの健康とアルバムの売上を天秤にかけた非常に難しい判断でした。それでも、オタクたちはマスク着用を逆手に取ったおもしろいツーショットを撮っていて「こういうところはマジファンのいいところだな」と改めて実感しました。
 加えてこのとき、もうひとつショッキングなことがありました。それは、リリース直前での小山さんの体調不良です。幸いにしてパフォーマンスのないイベントが続く時期ではありましたが、彼女の不在は、その存在の大きさを痛感させました。彼女の復帰の報には、大いに安堵したものです。
 小山さん不在の中、2月19日、マジカル・パンチライン結成四周年&初のフルアルバムリリース日を迎えます。ここで少し、アルバム「MAGiCAL SUPERMARKET」について語っておきましょう。

※アルバムリリース時に書いた全曲レビューはこちら

 ポニーキャニオン時代とは打って変わった、奇を衒わぬ「ストレートにいい曲」を集めたアルバムです。純粋に音楽面だけで言えば、物足りない面もあるかもしれません。しかしこれは「引き算の美学」であると思っています。
 吉田尚記氏はこのアルバムに対し「制作陣がメンバーの歌に期待している録り方」「世界観やギミックに頼らずメンバーの力や個性をしっかり伝えようという意図を感じる」とコメントしています。
 五人時代、その個性もパフォーマンスも、頼りないものでした。改めて聴くと、レコーディングされたその声はかなり修正されていることが分かります。そういう中で、グループを補強する柱として、世界観やギミックを付け加えるのは理解できる判断です。
 しかしそこからマジカル・パンチラインは経験を重ね、強く、より個性的になりました。仮にレコード会社の移籍がなかったとしても、彼女らの個性を活かすほうへシフトしていったのではないでしょうか(「私が私を燃やす理由」の小山さんのソロなどその兆しは見えていました)。
 メンバーの個性、魅力への信頼があるからこそ、余計なものを引き、あえてシンプルに、あえて王道の楽曲を用意する。それこそスーパーマーケットのように、色とりどりの自信のある素材をドンと置いたアルバムです。ドリー時代の集大成であり、かつポニーキャニオン時代からの成長の証の一枚と言えるのではないでしょうか。
 「MAGiCAL SUPERMARKET」は、過去二枚のミニアルバムを越える最高位、オリコンウィークリー八位を獲得しました。名実共に、五人時代を超えることができたと言っていいでしょう。

 アルバムも無事に発売され、さあ次はワンマンという2月26日、嫌なニュースが流れてきました。これ以上のコロナの蔓延を防ぐための、政府からの大規模イベントの中止要請です。
 翌27日、マジカル・パンチライン公式は、ヒューリックホール東京でのワンマンライブの延期を発表します。また、同じく三月に予定されていた福岡遠征もなくなってしまいました。グループ初の福岡遠征で、九州のファンも増えていただけに、非常に残念な出来事でした。小山さんの生誕祭も同じく延期となりました。
 3月8日には、ワンマンライブの代替として配信が行われました。そのとき公開されたのが、こちらのリハ動画です(おそらく、ライブDVDの特典映像にするつもりで撮影していたのでしょう)。

 リハとは思えぬきちんとしたパフォーマンス、真剣な表情での打ち合わせ。こういう努力があったからあのハイレベルのライブがあったのか、と納得させられました。煽りも、メンバー同士のいちゃいちゃも、リハでやっているからこそ本番で出せる。表のマジパンしか見たことがない方にぜひ見ていただきたい映像です。

 こうして、残念ながらワンマンライブは延期になってしまいました。とはいえ、今は騒ぎになっているコロナもすぐに収まるだろう、しばらくすればまた元の日常が帰ってくるだろう。誰もがそう思っていました。
 しかし、2020年10月現在、未だに元の日常は帰ってきていません。
 コロナがなければどうなっていたのか。ヒューリックホールでのワンマンライブを見たかった、夏フェスで躍動するマジパンを見たかった、福岡遠征を見たかった、小山さんの生誕を直接祝いたかった。新曲をリリースし、大きい会場でライブをし、ブレイクするマジカル・パンチラインを見たかった。
 誰かを責められることではありません。誰にも、どうしようもないことです。しかし「コロナさえなければ」という思いは、きっとこれからも長く引きずることでしょう。

 暗く長い自粛期間、マジカル・パンチラインの活動もすっかり止まってしまいました。ネットサイン会と、沖口さんによるギター配信、清水さんによるYouTube配信があった程度です。もっと活動してほしいという意見もありましたが、移動すらリスクがある中、少しでもメンバーのリスクを低減したいという運営の考えは否定できません。
 6月14日には、ようやくリモートライブが開催されました。vol.0ということで最初はメンバーも運営も手探りでしたが、回を重ねるごとにリモートライブならではの魅せ方、楽しみ方が見えてきました。未知のものに対して、ひとつずつ課題を克服し、少しでもいいものを作ろうというマジパンの良さがよく出ていたと思います。
 8月9日には、延期になっていた全曲ワンマンライブが、配信ではありますが開催されることが発表されました。また、9月21日には神田明神ホールにて半年以上ぶりとなる有観客でのライブも決まりました。
 コロナはなかなか収まらず、状況は簡単ではないものの、こうして少しずつ日常が戻っていく。またマジパンと一緒に前に進んでいける。そういう思いで迎えた9月5日。
 リモートワンマンライブ「MAGiCAL PUNCHLiNE 4th Annivasary ONLINE Live Express ~MAGiCAL SUPERMARKET~」にて、浅野杏奈、清水ひまわり、小山リーナの卒業が発表されました。

 こうして、この原稿を書き始めた9月6日を迎えたところで、本稿は終わりとなります。佐藤麗奈の卒業やポニーキャニオンとの契約切れではあれほどつっこんだ記事を書いていたのに、三人の卒業やこれからのマジパンについてはなにも書かないのか、と思われるかもしれません。しかし本稿はあくまで「思い出話」です。現在進行形のマジパンについて書くものではありません。それらは、時間が経ち、冷静に振り返ることのできる「思い出」になったところで、きっとまた誰かがまとめてくれることでしょう。今はまだ、僕には書けません。
 分かりやすいエンドのない、なにやら尻切れトンボな感じで終わってしまいました。しかし、それも仕方のないことでしょう。なぜなら、マジカル・パンチラインのパレードは、まだこれからも続くのですから。五人時代の第一巻を経て、四人時代の間章を挟み、今は六人時代の第二巻が終わろうとしているところ。物語の大団円はまだ先にあります。
 アイドルオタクとしての僕の旅は、11月3日で区切りを迎えるでしょう。しかし、マジカル・パンチラインの旅はまだまだ続きます。オリジナルメンバー三人の卒業という衝撃は、ひょっとしたらグループ史上最大の危機となるかもしれません。それでも沖口さん、吉澤さん、吉田さんは、足を止めず前に進むという決断をしました。
 新生マジカル・パンチラインの前途が、明るく希望に満ちたものとなることを、心から祈っています。本稿が少しでも、残る三人の、スタッフの、これから入る新メンバーの背を押すものになるなら、それより幸せなことはありません。

 最後に少し、マジカル・パンチラインというグループについて語っておきましょう。五年前、アイドル全盛期であった佐藤麗奈とポニーキャニオンが仕掛けた「マジカル・パンチライン」というプロジェクトは、果たして成功だったのか失敗だったのか。
 あくまで現時点での評価である、と断ったうえで、客観的に見て「成功とは言えない」と言わざるをえません。
 正直に告白しましょう。僕は、マジカル・パンチラインが第二のももクロとなることを夢見ていました。結成一年目から、です。Zeppどころか武道館やドームでライブをし、地上派音楽番組を梯子し、容易にチェキなど撮れない国民的アイドルとなることを。
 しかし、それだけの「夢」を見せてくれるアイドルが、どれほどいるでしょうか。アイドル運営は、ほどほどにファンが付きほどほどにチェキ券が売れれば、成り立ってしまいます。そういう低いところで安寧するグループをいくつも知っています。それに比べ、上を夢見るのは大変です。予算も、時間も、手間もかかります。なにより、メンバー自身の精神面がきつい。常に「足りない」「もっと頑張らねば」と自分を追い込み努力し続けなければならないのですから。
 僕はもともとロックファンで、これまでいくつものバンドを見てきました。売れたバンドには、ひとつの大きな共通点があります。それは「必ずどこかで運の力を借りている」ということです。裏を返せば、どれだけ素晴らしいライブをし、素晴らしい楽曲を作っていようと、運に恵まれなければ、売れません。
 ブレイクするか否かの間には、文字通りブレイクすべき壁がそそり立っています。壁のどの部分がブレイクできるかは、壁のこちら側にいる人間には分かりません。ここかな、あそこかな、と叩き続ける。常に自分を追い込み最高の作品を作り続け、そのうち「運がよければ」ブレイクポイントを見つけることができる。それは、見返りの保障のない非常に苦しい作業です。しかし、最善を尽くし叩き続けることでしかブレイクはありません。
 壁など見向きもせず、今いる場所を守るほうがよっぽど楽でしょう。しかしマジパンは、この五年間、常に壁を叩き続けてくれました。おかげで、我々ファンは大きな夢を見ることができました。結果として、壁をブレイクすることはできなかった。その点から判断すれば、プロジェクトは失敗です。しかし、壁を叩き続け、ファンに夢を見せてくれた。その過程を、メンバーの努力を、否定することは誰にもできません。
 もうひとつ、声を大にして言いたいのは、その暗く厳しいはずの壁を叩き続けるという苦難の徒労のあいだ、メンバーは、まったく辛い顔を見せず常に笑顔でいてくれたことです。集客が少なかったこと、佐藤さんのスキャンダルで叩かれたこと、ポニーキャニオンとの契約が切れてしまったこと、対バンライブで目の前で客がごっそりいなくなったこと、自分のファンだったはずのオタクがいつのまにか来なくなってしまうこと、曲を覚えるための日々のレッスン、上手くいかないオーディション。泣きたくなること、辛いこと、数え切れないほどあったはずです。しかし彼女らはそれを表に出さず、弱音を吐かず、常に明るく振舞っていました。
 それは、なぜか。笑顔でファンを明るくすることこそ、アイドルの本分だからです。そういう点で、彼女らは「アイドルの中のアイドル」であると言えるでしょう。
 とあるインディーズバンドのボーカルが、解散ライブの際に漏らしたという言葉が非常に印象に残っています。「すごくいい音楽を作っているのに、なぜ届かないんだとずっと思っていた」と。しかし彼は、集まった観客に向かい、最後にこう言います。「でも、今から思えば、届くべきところにはきちんと届いていたんだな」と。
 マジカル・パンチラインという存在は、これを読んでいる我々マジファンの胸に、しっかり届いています。本稿を通読すれば、きっとそれが伝わるはずです。そのことを形にしたくて、本稿を書きました。
 メンバーのみなさんへ。みなさんの思いは、届いています。ライブで勇気をもらい、特典会で笑顔を見せてもらい、SNSでの自撮りやメンバー同士のやりとりで癒しをもらい、我々の人生がどれほど充実したか。どれほど幸せだったか。その分の抱えきれないほどの愛と感謝を、卒業していく三人と、残る決断をした三人と、グループを作ってくれた佐藤さんと、関わってくれた全てのスタッフと、グループを盛り上げてくれた全マジファンに返したい。
 本当に、ありがとう。この言葉で、本稿を締めたいと思います。

 これまで長きに渡って読んでくださった読者のみなさま、ありがとうございました。


終わり


< 目次 >



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?