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第三巻~オオカミ少年と国境の騎士団~ ③-4

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 紫蘭月一日の夜。
 月が昇る時間を見計らって、ランたちは宿の裏にある木の根元にオードを置いた。
 そうして、言われたとおりに木の後ろにまわり、ランたちはその時をじっと待つことにした。
 魔の月は魔物が徘徊するので、日が落ちると人々は皆、門戸を固く閉ざし、誰も外に出るものはいない。
 やがて、月が昇り――紫色の月明かりがあたりを照らすと……。
 
「久しぶりだな、この感覚は」
 
 その声とともに、木の後ろからひとりの人影が現れた。
 馬蹄形の刺繍の入った白い騎士の制服は月光を浴び、薄紫色に染まっている。腰に差した剣の柄に手袋をした手を添えながら、その青年は照れくさそうに微笑んだ。
「……や、やあ」
「オード! オードなんだね!」
「うわあ、本当に人間だったんだね」
 ランとアルヒェが駆け寄り、うれしそうにオードを囲む。
 が――。
ただひとり、アージュだけはきょとんとした顔をしていた。
「どうしたんだ? アージュ」
 オードが訊くと、アージュはぱちぱちとまばたきしてから、「あはは」と笑った。
「びっくりしただけよ。あんたが十七歳だってこと、忘れてたから」
「そういえば、そうだったよねー」
「うん、僕も忘れてた。オードは普段から、落ち着いた感じだから。こんなに若かったとはね」
「人を年寄り扱いしないでもらいたい」
 オードは照れ半分に困ったような顔をしたのだった。
 
  

   

 
「オードって意外と背が高かったんだね。騎士の制服もかっこいい〜!」
 ランはオードのまわりをぐるぐるまわって、はしゃいだ声を上げた。こうやって、人間の姿になってオードに会えたのが、うれしくてしょうがないのだ。
 すると、「しっ、静かに!」と、アージュに叱られてしまった。
「紫蘭月に外で人間の声がしたら、あやしまれるでしょ。特に、宿屋の主人にでも見つかったりしたら面倒なことになるじゃない!」
「そ、そうでした……」
 ランはあわてて口をおさえる。三人で泊まっているはずなのに、ひとり増えたとなると余計に宿代を請求されるかもしれないからだ。
「ほら、ちゃっちゃと登る!」
 四人は前もって宿屋のベランダに下げておいた避難用の縄ばしごを使って、こっそり部屋に戻った。
 と――部屋に一歩踏み込んだオードの足が、ぴたりと止まった。
「これは……?」
 粗末な部屋の中は、森の花やきれいな布で精一杯飾られていた。
テーブルの上にはクリームシチューに山鳥の丸焼き、色とりどりの果物で飾り付けられたプディングに、この地方の名物料理のポムポム……などなど数々のごちそうが載っている。
「さてと。それじゃ、今から『オード 人間に戻れておめでとうパーティー』をはじめるわよ!」
 立ち止まってしまったオードの背中をバシンっと叩いて、アージュが笑った。
「い、いつのまに……? 私のために、わざわざこんなことを……?」
「もう、水くさいこと言わないの! 仲間じゃないの、あたしたち」
「そうそう! 今夜はみんなでおなかいーっぱい食べようよ」
「オードが人間でいられるのは、紫蘭月の夜だけなんだろう? それなら、遠慮しないで楽しんだほうが得だよ?」
 ランたちに勧められて、オードは椅子に腰掛けた。
 あまりのうれしさに、目の前のごちそうが涙でかすむ。
「このごちそうはね、日が沈む前にルージンに頼んで作っておいてもらったものなんだ」
「いつもはあんた、食べられないんだから、今夜はその分もしっかりお腹に収めるのよ!」
「それでは、オードが人間に戻ったのを記念して――」
 アルヒェが山ぶどうのジュースが入ったコップを高々と挙げる。
「かんぱーい!」
「おめでとう、オード!」
「ありがとう、みんな」


 オードは山ぶどうのジュースを一気に飲み干した。
一年ぶりの飲み物がのどに染みる。
「……実にうまい。鍵でいるときは食欲とは無縁なのだが、こうして人間に戻ると、食の楽しみがあってよかったと思うな」
「あんたはまた、小難しいこと言って。今は鍵じゃないんだから、カタイこと言うのやめたら?」
「オードの性格がカタイのは、鍵の姿であろうがなかろうが関係ないんじゃないかな?」
 アージュの言葉にアルヒェが苦笑する。
「たくさん食べなよ、オード。オレもたくさん食べるから~~」
「あ、それ、たまねぎのソースがおいしいわよ」
 ポムポムを皿に盛りつけたオードに、アージュが声をかける。
「えー? オレはトマトソースが好きだけど」
「ダメ! 絶対にたまねぎ!」
「トマトソース!」
「たまねぎったらたまねぎ!」
 アージュとランの言い争いに苦笑しながら、アルヒェが「もっと飲むかい?」と、オードのコップにジュースをつぎ足してくれる。
「オードの仲間は元気で明るくて、いい子ばかりだね」
「ああ。人一倍、にぎやかでお人好しで……。その『仲間』の中には今はもちろん、君のことだって入っているよ、アルヒェ」
 オードは心からしあわせだと思った。
 みんなと囲む食卓の、なんとあたたかいことか。
「ちょっとラン、あんた食べすぎよ。少しは遠慮しなさいよ」
「えー。だって、オレ、一日中働いて、ぺこぺこだったんだよ。あ、オレさー、じっちゃんの手伝いで畑を耕してたから、ツルハシを扱うのもうまいんだ。今日、親方にほめられちゃった」
 ランが得意げに胸を張り、トマトをまるかじりした。
「へー? それで、あんた、銀は見つけたの?」
 間髪を置かないアージュのツッコミに、ランがたちまち首を傾げる。
「え? どうなんだろ?」
「まさか、掘るだけ掘ってただけとか?」
「えーと……」
 ランは半笑いを浮かべた。図星だ。ここ数日は掘ることが楽しくって、銀が採れたかどうかなんて、いちいち気にしてなかったのだ。
「掘った土は坑道の外で選別するんだよ」
 助け舟というわけではないが、すかさずアルヒェが説明すると、「そ、そう」と、ひきつり顔でアージュは黙り込んだ。
(これがラン相手なら、『ちょっとぐらいくすねてきなさいよ』とか言いそうなものだが)
 オードは微笑ましい気持ちでアージュを見つめる。
やはり、アージュはアルヒェのことを意識しているようだ。女心に鈍感なランや、考古学ひとすじのアルヒェは気づいてないらしいが。
「ちょっと、なによ、オード。そのニヤついた顔は」
「あ、いや、別になんでもない」
「あやしいわね~~」
 言うなり、アージュがランの頭をぽかりとぶった。
「ええー、なんでオレが〜?」
 たちまちランが、頭を押さえて非難の声をあげる。
「うるさいっ」
「だってさー、オードは今、人間なんだよ? だったら、オードの頭をはたけばいいじゃん!」
「うるさいったら、うるさいの!」
 ぽかぽかっ。
「うう~~……」
 結局、オードが鍵でも人間でも、関係なく叩かれるランなのであった。
「すまない、ラン」
「いいよ、別に……」
 涙目になっているランの頭をくしゃりとやって、オードは立ち上がった。
「アージュ、つきあってほしいところがある」
「え? どこ?」
 意外なひとことに、アージュは目をぱちくりさせた。
 言うまでもなく、今日からは紫蘭月。
こんな夜に、訪ねる場所などないはずなのだが……。
 するとオードは、なにやら決意を秘めた瞳でアージュを見返し――こう言った。
「騎士団の本部だ」
 
     


 
 オードとアージュは月明かりの照らす道を、騎士団が本部として使用している芝居小屋に向かっていた。その後ろには、アルヒェとランもいる。
「アルヒェ、出歩いたら危ないのではないか」
 肩越しに振り向いたオードの問いに、アルヒェがにっこり笑って答える。
「オードとランがいるから平気だろ。騎士とオオカミ少年。心強いよね、アージュ」
「へ? あ、ああ、そ、そうねっ」
 いきなり話を振られたアージュはあわてて、こくこくとうなずいた。
 アージュは本当は「吸血コウモリ少女」である。
しかし、アルヒェには打ち明けていないのだ。
 引きつった笑みをアルヒェに向けたあと、アージュはそっと横をむいてため息を漏らした。
 そんなアージュの横顔を、オードだけが、やさしいまなざしで見つめていた。
 
 
 やがて、本部となっている芝居小屋にやってきた四人が目にしたものは、夜警と称して、舞台の上にあぐらをかき、カードゲームに夢中になっている騎士たちの姿だった。
「もう紫蘭月になったんだからさ、騎士団解散する?」
 目の前の仲間が広げたカードに手を伸ばしながら、小太りの青年が言う。
「結局、盗賊はこの町には来てなかったってことだよな? だから、いいんじゃないか」
「だよなあ、魔の月の夜に出歩く馬鹿はいないって」
「フン! 馬鹿で悪かったわね!」
 突然響いた少女の声に、青年たちが「ぎゃっ!」と叫んで飛び上がった。中には、びっくりしてひっくり返る者もいた。
「……な、なんでここに?」
「夜だというのに出歩くなんて……。信じられん!」
「信じられない? でも、あんたたち、あたしの腕前知ってるでしょ?」
 身体の前で腕を組み、小バカにしたようにアージュが鼻で笑う。
「そ……そう言われりゃ、そうだが……」
 青年たちが顔を見合わせ、「た、確かに……」「あの腕前なら、魔物もイチコロかもしれん」と納得していると。
 
「君たちは、非常にたるんでいる!」
 
 誇りに満ちた、堂々とした声が響いた。
青年たちが一斉にアージュの後ろに目をやると、そこには数日前にアージュとともにやってきた旅人――ランとアルヒェ、それに、見かけない若者が立っていた。
 若者は一歩前に進み出て、
「仮にも騎士を名乗るならば、まずはその精神から鍛えなおしたほうがいいのではないか?」
 と高々と言い放つ。
「な、なにを……っ」
 いきなりやってきた若者に、叱咤された青年たちはおもしろくない。
「エラソーな口を利くな、にいちゃん」
「格好だけは立派だがな」
 十代半ばのガキのくせに、となめてかかっているらしい。
 が、もちろん誇り高いオードが簡単に引くわけがない。
 
「私はグランザック王国、王立騎士隊所属のオードレック=クルスト=エルゼストという。君たちの行いは見るに耐えん。情けないにもほどがある。野良犬に追われたぐらいで逃げるとは……」
 
 そこまで言ったとたん、オードがしまった、と口をつぐんだ。
 すると、ゴザを敷いただけの客席で寝転んでいた副団長のヒースが「おまえ、なんで知ってるんだ? ホルトのこと」と、訝しげに口を開く。
「おまえ、この町にいつ来たんだ? あのときはまだいなかったはず……」
 毎日毎日、町の見回りをしているヒースは、今現在この町にいる人間の顔を全部覚えているのだ。
「ア、アージュに聞いたのだ」
 正確には鍵の姿で見ていたのだが、本当のことは言えるワケがない。
「とにかく、暦が紫蘭月になったからといって、油断してはいけない。いざという時のために腕を磨き、鍛錬すべきだ」
 オードは話題を元に戻し、
 
「さあ、これから剣の稽古をしよう!」
 
 と呼びかけた。
 騎士団の青年たちは、一様に「えー」という顔になった。
明らかに「嫌だ」「面倒くさい」「魔の月だから盗賊なんか出ないよ、もういいじゃん」という雰囲気を顔に出し、迷惑そうにオードを見ている。中には手にしたカードを見ながら、「せっかくいいカードが回ってきたのに」とぶつくさつぶやいている者もいた。
「君たちは……」
 オードはこめかみをひくつかせ、舞台の上に上がると、すらりと腰の剣を抜いた。
「うわっ?」
 青年たちがびくりとのけぞる。
「な、なんだ? やる気か!」
「おまえが、まさか盗賊なんじゃないだろうな!」
 自分たちも剣を抜こうとあわてるが、壁に立てかけたり、離れた位置に置きっぱなしにしていたせいで、すぐには手が伸ばせない。
「くそ、卑怯な!」
「……て、言うに事欠いて、なに言ってんの、あんたたち」
 バッカじゃないの、とアージュが肩をすくめる。
「とにかく、オードの話を聞きなさいよ」
 
「私の話はただひとつ。私を騎士団に入れてもらいたい。そのために、己が腕前を披露してごらんにいれよう」
 
 ところが、アージュとの一件を思い出した青年たちは、たちまち怯えた目になって、ひしっと身を寄せ合った。
「う、腕前を披露って、俺たちになにするつもりだ!」
「またこの前みたいに危険な目に遭うのはゴメンだぞ!」
「――情けない」
 オードは深々とため息をつき、
「仕方ないな。この調子では、お手合わせを願うのは無理そうだ」
 剣の先をカードを持った男の鼻先に突きつけた。
「ひっ?」
「すまないが、そのカードを私に向かって投げてほしい」
「……は、はひ〜っ」
 なにをするのかわからないまま、男はこくこくと涙目になってうなずき、数枚のカードを宙に投げた。
 投げられたカードの群れは、ヒラッ、ヒラッと左右に揺れながら落ちていき……。
 
「えいっ!」
 


 気合い一閃! 
宙に銀色の線が走ったかと思うと、次の瞬間、カードは小さく切られ、花びらのようにハラハラと床に舞い落ちていった。
「うわあ!」
「す、すごい……!」
 これにはランたちも素直に感動してしまった。
「空中にあって、ただでさえ切りにくいカードを、あんなにも簡単に小さくしてしまうとは……。すごいな」
 床に散らばる、元カードだったものは、どれもきれいな正方形に切られていた。
 カシン、とオードが剣を鞘に戻す音が、やけに大きく響く。
 その音にハッと我に返った青年たちに向き直ると、オードは胸を張ってこう言った。
「王立騎士隊の私が、夜警を買って出よう!」
 
 
「これで、堂々と外を歩けるようになったね!」
 芝居小屋の廊下を出口にむかって歩きながら、ランが言った。
「まったく、この町の騎士団は意気地がないんだから!」
 アージュは未だに怒っている。
「それにしても、オードの剣さばきは素晴らしかったね」
 とアルヒェが話しかけたが、となりにいるはずのオードの姿が見あたらない。
「オード?」
 後ろを振り返ると、オードは廊下に掛けられた鏡を覗き込んでいた。おそらく、出番前の役者が化粧や衣装を確認するために設けられたものだろう。
「どうしたんだい、オード?」
「久しぶりに自分の顔を見たもんだから、見とれてるんじゃないの?」
 そう言ってアージュはからかったが、
「……――」
 オードは少し怪訝な顔で、鏡から離れただけだった。
 騎士団本部から出ると、オードがさっそく見回りに出ると言い出した。
「あ、それじゃオレも行く!」
 ランが元気よく手を挙げると、「あたしも」とアージュが続く。
 すると、アルヒェがあわてたように手を振った。
「アージュ、君がいくら強いと言ってもそれはダメだよ。僕たちは普通の人間なんだから、魔物に狙われる危険性がある。足手まといになってはいけないよ」
 宿と騎士団本部はそんなに離れていない。だから、オードやランがいれば安心だろうとついてきたアルヒェだが、夜の見回りとなると話は別だ。
「僕といっしょに帰ろう?」
 自分の身を心配してくれる言葉に、アージュの顔が見る見るうちに赤くなっていった。
「ア、アルヒェがそう言うなら、聞いてあげてもいいわよ?」
「そうか。わかってくれてうれしいよ。それに君は女の子なんだから、できれば危ないことはしてほしくないんだ」
「アルヒェ……」
 アージュは真っ赤な顔でうつむき、こくんとうなずいた。
「では、私たちだけで見回りに行こう。いいだろう? ラン」
「うん。オレはオードとふたりでも全然大丈夫だよ」
「じゃあ、アルヒェとアージュは宿で休んでてくれたまえ」
「わかった。気をつけてね」
 アルヒェがランとオードに手を振っても、アージュはぼーっとした顔のままだった。
(ヘンなアージュ)
 ランはそう思ったが、あえて突っ込んで足蹴りを食らったりしてもつまらないので、そのまま黙っていることにした。
 
「ふっふっふー」
 オードとふたりきりになったランは、紫色の月に照らし出された町の中を、跳ねるようにして歩いていた。
 誰もいない夜の町はとても静かだ。
 紫の月光が町を照らすさまは、なんだか幻想的で、物語の世界に迷い込んだようで、わくわくする。
 それに、それに。今はとなりに、人間の姿になったオードがいる。
「どうしたんだ? ラン」
 ランは、にへら、と笑った。
「なんだかうれしくってさ、オードとこうして歩けるなんて。それにオード、さっきはすんごいカッコよかったよ!」
 大はしゃぎするランの影が、誰もいない通りに長く伸びたり縮んだりする。
 オードが立ち止まり、すっと手を差し出してきた。
「ん?」
 ランが釣られて手を出すと、オードがそれをがっしり握る。
「痛いよ、どうしたの、オード、急に」
 すると、オードは握ったランの手をもう片方の手で包み込んだ。
「君が拾ってくれなければ、私は去年の紫蘭月と同じように、今年もひとりで過ごしてたはずだ。それに、王女さまに会うこともなかっただろう……」
 紫色の月明かりの下、オードはまっすぐにランを見た。
「改めて――礼を言う。ありがとう、ラン」
 

(3巻・第三話-5へつづく…)

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