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第三巻~オオカミ少年と国境の騎士団~ ③-3


       3

 
 そして、その日の夕方。
「ホントにおいしい料理が食べられるんでしょうね」
「うん、ホントだって」
「ホントにィ? あんた、なんでもおいしいおいしいって言うから、イマイチ信用に欠けるのよねえ」
 疑わしげな目を向けるアージュを連れて、ランは鉱夫が利用する食堂へとやってきた。親方に一応、確認を取ったところ、「騎士団の人ならいいよ」とあっさりと許可をくれたのだ。
 食堂に入ると、アージュは思いっきり鼻の頭に皺を寄せた。
「うわ~、むさ苦しい世界」
《……身も蓋もない感想だな》
 アージュの胸に下がったままのオードが、ぼそっとつぶやいた。
 場所柄のせいか、食堂の中は男だらけだった。女の人はひとりもいない。
「こんなところで食べるの、イヤよ」
「そんなこと言わないでさー。タダだよ、タダ」
 アージュの好きな「タダ」という言葉で釣りつつ、ランは先に来ているはずのアルヒェを探す。
「おーい、ラン、こっち」
 隅のほうのテーブルを陣取ったアルヒェが手を振って、手招きする。その手の指先は、なぜか包帯でぐるぐる巻かれていた。
「あ、アルヒェ」
「どうしたの、その指」
 ランとアージュが席と席の合間を縫って、テーブルにたどり着くと、アルヒェは苦笑しつつ、こう答えた。
「うっかりドアに指を挟んじゃってね。たいしたことはないんだけど」
「腫れに効く薬草を巻いたから、すぐに治るよ」
 その声にランたちが振り向くと、すぐそばにパンを盛ったカゴを手にしたルージンが立っていた。
どうやら、アルヒェが怪我をしたために、ランが紹介するまでもなく、ふたりはすでに知り合いになっていたようだ。
「あ、ルージン。アージュ、ルージンだよ。ここの料理人で療術師なんだ」
「こんばんは、アージュ」
「こんばんは」
 ルージンとアージュは互いに軽く頭を下げた。
「君、騎士団に入ったんだって? 女の子なのにすごいね」
 アージュの腰に差した剣を見て、ルージンはにこにこと笑った。
 すると、後ろの席にいた騎士団のひとりの青年が「アージュさんは本当にすごいっス」と声を上げた。
「……アージュさん、とか言ってるよ?」
《入団試験のときにアージュにやられたひとりだ》
 オードがランにこそっとしゃべる。それは楽しそうな声音だった。相当、痛快な場面だったのだろう。
「さあ、食べて。今日の夕飯は、この地方の名物『ポムポム』だよ」
「ポムポム?」
「そう、ポムッと盛りつけるから『ポムポム』。好きなソースをかけて、パンと一緒に食べて」
 ルージンは大皿に盛った白い山みたいな食べ物を、テーブルの中央にどんと置いた。そうして、それぞれの前に取り分け用の小皿を置く。
「これはね、じゃがいもの粉を練ったものだよ。こうやって取って、こうしてトマトソースをかけると……ほら、火山みたいだろう?」
 ルージンはランの小皿にスプーンで山のかたちに盛り付け、その上からトマトソースをかけた。
「へえー、火山って見たことないけど、なんだかカッコイイなー」
 ランはわくわくと瞳を輝かせ、「いっただきまーす」とさっそく食べはじめた。
「んまーい! ルージンが作るものは、なんでもおいしいや」
「ははは、喜んでもらえてよかったよ」
「ルージンはすごいな。料理もうまくて、それに療術まで心得ているなんて」
 アルヒェが言うと、ルージンは照れくさそうに微笑んだ。
「料理と療術は相通ずるものがあるんだよ。どちらも身体のためにいいことだしね」
「なるほど~~。オレもルージンみたいになりたいなー。そうすれば、みんなの役に立てるもんね」
 影響されやすいランがまたもやこんなことを言ったので、アージュがすかさずぽかっとやった。
「痛っ」
「あんた、またなの? こないだは漁師だったじゃないの」
「でもさー、料理人っていいと思わない? おいしい料理たくさん覚えられるんだよ」
「あんたの場合、食べたいだけでしょ」
 アージュはさくっと切って捨てて、自分の分の『ポムポム』を小皿に盛り付け、たまねぎのソースをかけた。
「それもおいしそうだね」
「あ、アルヒェの分、取ってあげるわよ。なにがいい?」
 指を怪我したアルヒェを気遣い、アージュが彼の小皿に盛り付ける。
「じゃあ、僕はナスとベーコンのソースがいいな」
「はい、どうぞ」
 その様子を見ていたランは首をひねった。
「今日のアージュって、なんか変じゃない?」
 
     


 
 夕食のあと、ランたちはルージンが宿にしている療術師の家に案内してもらった。
 粗末な木の扉を開けると、さわやかな草の香りがふわりと鼻をくすぐってきた。
見れば、壁にはいろんな薬草が吊るして干してあり、棚には丸薬の入った瓶もたくさん並んでいた。薬の調合に使うためか、大小さまざまな鍋やすり鉢もある。
「うわ、すごいなぁ」
 部屋の真ん中で、ランは両手を広げてくるりとまわった。
 なんだか、昔話に聞いた魔法使いの家のようだ。
「ここはね、ちょっと前まで、年寄りの療術師がいたんだけど、今は誰もいないから僕が借りているんだ」
 ルージンが町の人から聞いた話によると、その年寄りはこの春亡くなり、しばらく家は空き家だったらしい。しかも、年寄りはこの町でたったひとりの療術師だったので、ルージンが療術を心得ていると聞いた町の人たちは喜んだという。
「最初は、鉱山の食堂に、料理人としてしばらく置いてくれって頼んだんだけどね。ぼくがこの町に来た日に熱を出した子どもがいて、その子の治療をしたら、ぜひともここに住んでくれって言われたんだ」
「へぇ、頼りにされてんのね」
 言いながら、アージュは丸薬のビンをひとつひとつ覗き込んでいる。使えそうな薬があれば、町を出るときにちょこっと拝借していくつもりなのかもしれない。
 しかし、注意するわけにもいかず、オードは黙っているしかなかった。だいたいとして、ルージンの前でしゃべることはできないのだ。
 なにも知らないルージンは、
「みんなに疲れのとれるお茶を入れてあげるよ。ささ、椅子に座って」
 と、一生懸命もてなしてくれた。
「うん、いい香りのするお茶だね」
 丸テーブルのそばの椅子に陣取り、アルヒェがカップをのぞきこむ。
「これは、ジャスミンの花が原料だね?」
 すると、ルージンが「さすがはアルヒェ! わかる人にはわかるんだね。これは、アルサム産のジャスミンの花を使ってるんだ」とうれしそうに微笑んだ。
「話が通じる人がいてくれて、ぼくはうれしいよ」
「いやいや、君の療術の奥の深さに比べれば、それほどでもないさ」
 たちまち、アルヒェとルージンの間に友情のようなものができあがっていく。
 それをおもしろくなさそうな目つきで見ていたアージュが、
「ねぇ、ルージン。あんた、料理人と療術師と、いったいどっちが本業なワケ?」
 と絡んだ。
「アージュ、ルージンに失礼だよ」
 アルヒェがやんわりと注意するが、アージュはツンと明後日の方向を向いた。
「ははは、いいって、アルヒェ。アージュが言った質問は、ぼくがよく聞かれる質問だからね。答えは料理人兼療術師だ。さっきも言ったろ? 料理と療術は相通じるものがあるって。おいしくて栄養のある料理は、健康な身体を作るもとになる。ここにいる間、みんなの健康を守るのが、ぼくの仕事だよ」
「ふーむ、やっぱりルージンはすごいね」
 アルヒェがさらに感心していると、
「ねえねえ、これ、な~に?」
 ふたりの会話にあきたのか、ランが棚のいちばん端に置いてある、大きな薬ビンを指さした。
「この薬だけ、おまんじゅうくらいの大きさがあるけど。これって、すっごく飲みにくいんじゃないの?」
 言われてみれば、そのビンの中の茶色い丸薬は、レモンくらいの大きさがある。
「ああ、それかい? それは、動物用の薬なんだよ」
 ルージンが棚を見ながら説明した。
「人間なら、小さな丸薬を水で飲むことができるけど、動物はそうはいかないだろ? だから、食べやすいサイズに作ってみたのさ」
「へえ、おもしろいね〜」
 ランは興味深そうに「どんな味がするんだろー」とその薬を眺め回した。
「じゃあ、オオカミのときに具合が悪くなったら、これを食べればいいのかな?」
「え? オオカミ?」
 ルージンがきょとんと目を丸くする。
「ラン! それはオオカミのエサじゃないのよ?」
 と、アージュはごまかし、「おかわり!」と空のカップを突き出した。
「ジャスミン茶、気に入ってくれたの? うれしいね」
 ルージンがすぐに、ポットからおかわりを注いでくれる。
「これ、旅にはかかせないお茶でね。たくさん持っててよかった」
「そ、そうなの。ありがとう」
 アージュは、口の端を微妙にひきつらせながら、にっこりと笑って、
(このバカ!)
(痛っ!)
 テーブルの下でランに思い切り足蹴りを食らわせる。
「それで、ルージンはこの町にずっと住むことにしたのかい?」
 泣き顔になったランを横目に、アルヒェが別の話題を振る。
「この家を好きにしていいって言われたんだろう?」
「ああ。だからとりあえず、白蘭月になるまではいようかと思ってるんだ。魔の月だと動けないからね」
「そうか。でも、そうなる前に一刻も早く、王冠泥棒が捕まってくれるとうれしいんだけどね。僕も早いとこアーキスタに帰りたいから」
 ふたりは困ったように、代わる代わるため息をついた。
 
 けれど、王冠泥棒が捕まることもなく、ディスターナから国境封鎖を解く指令も来ないまま時は過ぎ――……。
 とうとう濃い紫色の月が夜空にかかる、紫蘭月となってしまったのだった。
 

(3巻・第三話-4 へ続く…)

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