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20240519 映画『ヤクザと家族 The Family』@ドリパス 愛を知った代償の重さとは

『ヤクザと家族 The Family』を大画面で観たくて、人生初ドリパスへ行ってきました。世の中、色んな仕組みができていて驚きます。配信でも円盤でも、出先のスマホやタブレットでも映画がどこでも観られるのも素敵なことだけど、あえての大スクリーンでの鑑賞を、公開が終わった後でも観られるというのはすごく素敵だなぁと思いました。

さて、『ヤクザと家族』
綾野剛さんがヤクザ役をやった二作品のうちの一作、と言われてふと思い返せば悪そうなあの人もこの人も警察官だったな…と思うなどしました。そして『カラオケ行こ!』の成田狂児と同い年のヤクザとは思えない…キャスティングする人も演じる人も凄い。
『カラオケ行こ!』の話になっちゃうのですが、中学生とヤクザが交流する物語であることについて、よく思わないコメントも結構観たんですけどね
…『ヤクザと家族』を観ると、あの軽妙で人の懐にするりと入って来るいい男がいかにちゃんと全力でファンタジーなのか思い知らされます。この二十年くらいでヤクザを取り巻く環境も法律もめちゃくちゃ変わりましたからね…。

19歳、25歳、39歳を綾野剛が演じた山本賢治の人生が、現実の世相の変化とともに描かれていくのですが、本当に二十年かけて撮られたような作品に、俳優の演じる力ってすごい、と感嘆させられます。なんだろう…綾野剛、食べてるものが違うというか、栄養すら三つの時代で違う感じがする。アップの画面で観て、同じ荒んだ感じでも、19のきっと暮らしぶりが貧しいのだろう賢治の肌と、39の中年に差し掛かる賢治の少し乾いた肌は違うし、25の金も力も勢いもある青年の美しさはなんだったんだろう。

どうしようもなかった父親が、どうしようもなく死んだ19歳。
真っ白なダウン、真っ白な服で現れた葬儀場に、手配された自分の名前の花輪も、行く末を形ばかり案じる馴染みの刑事もどうでもいいんだろうな、と。
結末の話になってしまうのですが、賢治もまた人に誇れるような生き方をする男ではないのかもしれないけれど、でも、彼に踏みとどまるチャンスがあったのか?と言われると私は最後まで観て尚、考えられなかった。
そう思うと、喪服を用意するどころか、こんな時にどう生きたらいいか教えて貰えなかった子を喪主にして葬儀を出すってなんて残酷だろうと思う。地方の小さな町で、更正の機会どころか普通の生活さえ教えられないでくれば、命への執着も、所謂真っ当な人生もわかるはずがないんだと思う。
だから、「あんな生き方をした奴はしょうがない」という気持ちにどうしてもなれない。賢治は、自分の弱さで転落していくわけじゃなく、むしろ、愛情を傾けてくれた人に報いたい、と自分がわかる範囲で掴もうとする幸せが零れ落ちて行ってしまうんだと思う。きっと、救う手の形も、握る手の強さも知らないのだと思う。

褪せた金髪の19の少年が、ヤクザの親分に拾われて、杯を交わすシーンの構成が格好良くて、大画面で観られて良かったなぁと思いながらも、少しも心は安らがないままに時間は過ぎていくのだった。


六年後、25歳になった賢治は、ヤクザの世界にどっぷり足を踏み入れ、金も権力も持ち始めたことがよくわかる。褒められたことではないのかもしれないけれど、自分で見つけた居場所で懸命に生きたんだなと。
…格好いい事言ってるけど、このギラギラした25歳賢治が超格好良くて…年下はタイプじゃないのに好きになっちゃうじゃん!と暴れ出しそうになる25歳人生が上向いている人間の勢いにやられそうになる。
そういえばこの時期のアニキ、中村(北村有起哉)もまた格好いいんだ…インテリヤクザの極み。きっと中村は賢治に対して複雑な気持ちを抱いている人だろうな、とも思うのだけど、それもまた人間らしくてすごくいい。

25歳賢治はホステスのみゆき(本名は由香/尾野真千子)と出会うのですが、この由香を個人的に呼び出した時の二人が、実に可愛いいんです。アドリブだったというのを目にしたことがあるけれど、年より当たり前だけど落ち着いてみえるような二人が、狭い世界で生きて来たんだなと思わせてくる少し幼稚なやり取りがふっと和ませてくれる。

また、本来恐れるべき組長柴咲(舘ひろし)が賢治に優しい。任侠の人であり、まだ何も知らない19の時から知ってると、こうなってしまうかなという気もする。
そんな人に俺のところに来ないか、と誘われ、大事な人を持てと言われ、由香を好きになる。最後の最後まで、賢治は柴咲の言葉を守って生きてる健気さが悲しいことに繋がっていってしまうのが辛くて。柴咲も賢治を想っての言葉だし、賢治もまた実の親より親だと思う柴咲に応えたいんだと思う。

…もう本当に綾野剛と尾野真千子は幸せになれないけど、でも、由香可愛かったな。彼女からも寂しい匂いがして、だからこそ、賢治のことを好きになってしまうんじゃないかな、あの決断をしてしまうんじゃないかなと思う。


そして十四年後、賢治は39歳になり服役から娑婆に帰ってくる。
いつだって十年もあれば社会は大きく変わってしまうけれど、確かにこの賢治が居なかった時間に暴対法も条例も大きく変わり、ヤクザが社会から排除されていくのはニュースを観ているだけでもよくわかったことだ。
落ちていく渦中に居ることと、すべてが終わった場所に戻ってくることの辛さを比べることはできないけれど、この恐る恐る現状を探っていくときの賢治の周囲を気遣う様子に、彼が本来は粗暴な男ではなかったのではないかと感じることができる。個人的に、不慣れな様子で画面をスワイプする賢治がめちゃくちゃ可愛くてズルいと思った。
迎えの車のプリウスや寂れた事務所に、人の減った組。かつて、由香と出会ったシマの店は空き物件になり、全てを託して行ったアニキはご法度と言われるシノギに手を付けていることを知り、ついに賢治は爆発するのだけど、それだって中村の苦労に気づかないわけではないのだと思わせてくれる。

社会に取り残され、自分が信じたものの価値は失われ、今や携帯電話一つ用意できない身の上で、ただただ戸惑う賢治は、真っ白なダウンでやけっぱちに生きていた時から倍の人生を生きたのだ。何度も言うけれど、本当に二十年が過ぎたのかなと思うほどに、どの時代の賢治も自然で、かつ19の前に救ってやりたかったなと思う。本当に信じるべきものや、守るに値する人生を与えてやりたかったなと思ってしまうのが悲しい。


山本賢治も、賢治の人生も、ヤクザであるという一点で肯定することはできない。彼によって苦しめられた人も悲しまされた人も居るのだから。
でも、やっぱり何度でも思う。他の人生なんてなかったじゃないか、って。ヤクザにならなければ、搾取されて、19の時にバラされて死んでいたと思うし、生き延びても碌なことはなかったのだろう。柴咲に拾われた道は、唯一の彼を生かす道だったのではないかと思う。エンドロールに流れる『FAMILIA』の歌詞と、ある朝の賢治の顔が幸せそうだったなと思いながらただただ涙が止まらなかった。

もし、服役しなかったら。もし、由香を愛さなかったら。いくつもの、もし、を考えてしまい、胸が苦しくなる。とてもしんどい作品だけど、でも、最後がその台詞で繋がって来るのか、というところに希望を見出すことができた。きちんと、賢治のことを由香は話したんだなということが、単純にいいこと、とは言えないのだけど、あの海に来てくれたことで救われる思いだがした。


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