あんた、頑張ってるんじゃないの?という母の言葉

私の20代は、まあ正確に言うと高校あたりからだが、メンタル不調が酷かった。

トップクラスだった学力も、何を言ってるのかわからない、理解できない、覚えられない、文章が読めないという事態になった。

ようするに本当に心を病んで限界なのに、私は学校に行き続けた。行ってるだけだと割り切って。

不登校でひきこもりになった子は生き伸びられるが、学校に戻った子は自殺しているというデータがあるらしいのだが、私も自殺するつもりではいた。高一で友達もいないような状況で自殺したらみじめすぎるので、友達が出来て、楽しい高二の修学旅行の最中でである。

その年は、清水寺の60何年かに一度の何かありがたいものの御開帳があったので、それを見てから清水の舞台から飛び降りるという言葉があるように、飛び降りる気だったのだが、なぜか予定が立て込んでそこに行けなかった。

人生どん底に辛いけどなんだかんだいって守護霊さんが守ってたんだなあと思っている。


で、こういう気持ち悪い話で申し訳ないので、話を現代に戻そう。

今私は週5で派遣社員をしている。7時間半労働。

これは正直、私には負荷が強いのだろう。

せめて週4くらいが良い。会社に行っても頭が働かない時もある。

30代になってから、頭の調子は大分良くなったのだが、物事を関連付け出来ないとか色々思考力に問題があった。

最近不調なんだよね、と母に言ったところあんた頑張ってるんじゃないのと言って貰えた。

母は、私が病んでるのをあまり認めたくないだろうし、私が病むと連動して情緒不安定になるところがあるので、どうするんだお前みたいなことしか言わない傾向にあるのだが、今回は珍しく「20代とかホントに酷かったもんね、あんた今頑張ってるよね」と珍しく言った。会社首か、どうなのとかまた余計なことも言うんだけど。

昨日も、別の心を病んでる方から、まずは頑張ってる自分を褒めるしかないんじゃないかと言われていた。鬱傾向の人は自分に厳しすぎる傾向があるから、と。

厳しくしないと一般レベルにならないんだもの。

周りからすると、出来ることレベル低ってところまで落ちてるし、頑張ってんだか、まだ出来ることがあるんだかよくわからない。まさかあれ位で疲弊してるのかとか、愕然とすることも多い。


頑張ってなくはない。

でも、社会に復帰できないようなら、どうしたらいいのだろう。

高1の担任が母に言ったという、こういうのが社会不適合者になるとか言う言葉は今でも呪いのように私を苛む。小6で入院して以来、そうならないようにと頑張って色々してきたことをその一言で切り捨てた言葉。

私は、書くことに対して興味がないのだが、というかそれで勝負する気に全くならないのだが、「文章に何か光るものがある気がする」ととある一流編集者に言って貰えたことを頼りにしている。

何か光るものを頼りに何とかするしかない。

何とかって、どう何とかするんですかねぇ。


なんとかしたい。皆そうでしょう?



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