個人の物語という言葉の出る文脈

鏡リュウジさんの文脈的に考えれば、ユングやフロイトなどの精神分析、心理学の辺りの用語としての意味を持ちそうな気もするし、つまりは心の健全さを考える学問や文脈で自然と出てきて使われるのではなかろうか。

人には皆個人の物語がある。それは、そうだ、と思う。

ようするに個別の人生だ。

それを物語として認識し直すこと、には何か心を健やかにする効果があるようだし、逆に物語として認識されないカオスの状態、人生にあるもろもろが何ら関連づいていない認識状態は、心の健康を損なってしまう可能性があるのだろうか。

私が個人の物語ともう一点気になるのが、他人と自分の境界が曖昧という言葉の意味するところだ。

他人の気持ちや立場などを、まるで自分のことのように感じてしまう。共感性が高いということだろう。

この境界とは、心の距離のことを言っている。

物理的な身体の距離ではないだろう。そもそも他人と自分は、はっきりと各々の身体をもってして分かたれている。曖昧な境界などない。

つまり、他人と自分を区別する心のあり方に関係がありそうだ。



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