高一の今の時期に三日学校に行けなくなり、不登校気味になった要因

この時期、パレットを叩きつけられた事を思い出す。
そして、コミュニティになじめなくなり、その集団にいる空気に耐えられなくなって行った事を。

3カ月位で人となじめなくなる、と感じていた。

当時も今も自分の対人関係パターンのデータがそこまでないのだが。

教室に入るのが怖くて、まさか失踪するわけにもいかないので仕方なく保健室に行った時に、「もう学校来なくなってる人いますよ、あなただけじゃないんですよ」と言われたことは絶望でしかなかったのだが、そんなこと聞きたいわけじゃない。もちろんこの場合聞きたいのは大丈夫だからとかそういう事だ。

私は小学生の頃、新学期が結構好きだった。新しい顔ぶれ、新しい始まり。春の匂いはなんだかわくわくする。

小学生の頃も中学生の頃も、不登校でも不登校気味でも何でもなかった。なんかめまいがするし学校行きたくないなあとか思い始めたのは小学校の高学年ごろだが、入院してめまいはおさまった。

中学時代に休んだのも3年通して三日くらいだったはずだ。

ただし、不登校になる心配をされていたのだろう、その入院した時の先生とかに。親だってそうだ。だから余計に意地でも学校に行った。

なんか1日でも休めば不登校児扱いされそうな気がしていた。

実際中学時に具合が悪くて朝ちょっと起きられないような場面があった時、父親が凄い怖さで学校に行けと迫ってきたことがある。不登校の始まりだと思ったのだろう。

そして私の意地は、綿矢りささんの芥川賞受賞作『蹴りたい背中』に書かれている、風邪で三日学校休んだら不登校を疑われたという男子と同じようなポジションの生徒として教室の空気があったと感じていたから。私は是が非でも学校に行ったし、休むとか逃げるとかそういう発想はなかった。

強くなろうとしたのだ。経験した分だけ、乗り越えた分だけ、強くなれるものなのだと思っていた。でもそれは違ったように思う。逃げないで戦いぬいてどんどん強くなって行く人もいると思う。例えばデヴィ夫人とかそんなイメージだ。世の中を牽引している企業の経営者なんかもそうだろう。

だが「普通」の人は果たして戦い続けて心を病まずにいられるのだろうか?

この記事を読んでなるほどと思った。
私はコミュニティになじむことが下手だ。

その技術が圧倒的に足りないと思う。

転校というイベントでコミュニティを乗り換えざるを得ない人と、元からあるクラスのコミュニティを乗り換えることが出来ない人は、心理的な負担が違うのだろうか。当時親が転勤族で転校しまくるらしい人たちだって、コミュニティを変える負担は同じはずだ、だから私も耐えられるはずだと自分を励ました記憶がある。

コミュニティになじむ事が出来ないがこの記事で言うところの自分で作った(?)コミュニティでは輝く事が出来ていた。

中1の時にクラスのどのコミュニティにも入れず、黙って一人で教室にいることが耐えられなくなった私は図書委員会に入った。そこでは友達ができたというか先輩方と楽しく話していた。顧問の先生にも気に入られ、あんたが委員長になるべきみたいなところまでなり、他にやりたい子がいたのを選挙で勝って中3の時図書委員長になったのだが、生徒会一員であるこの役職になったせいで私も生徒会したかったとか、お前は他にやりたい人がいたのにどうたらこうたらでまた委員会関係ないクラスの友達(?)に外されるということがあったりもした。要はこの時のストレスがパレット叩きつけで決壊したのだ。

ちなみに図書委員会は輝きすぎていたようだ。寄ってくる人、輝きが強すぎると言ってはなれる人。ここは複雑でこんなもんじゃないのでまた書こうと思うけど書けるかな―辛いわ―。



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