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あれは平成最後の夏のことだった。という昔話をするために

平成という時代、最後の夏が始まる。

平成最後の夏

ネットでこのパワーワードを見てから、そわそわする感情が止まら ない。
エモい。
エモ過ぎる。

年号が変わることが決まったのだから、最後の夏があるのは自明の ことだった。
でも気付いていなかった。
改めて終わりを認識し、文字として見ると胸に来るものがある。
青春の終わり、もしくはディストピア感じさせる言葉だ。

最後の夏。
貫く夏の光、無限の青空。
幼年期の思い出。
果ての見えぬ夏休み。
暮れる、終わる、ひぐらしの寂しさ。
斜陽の気配。
向日葵がうな垂れ、秋の気配が近づいてくる。

昭和60年代生まれの私には、物心ついた時には既に平成となって いた。

無邪気に遊ぶ幼年期の夏、
小学校初めての夏休み、
部活に明け暮れた中学の夏、
夏期講習やバイトに励む高校の夏、
長すぎるほどのモラトリアム全開の大学の夏休み。

私が記憶してきた夏は、「平成の夏」だった。

社会人になり月単位の夏休みがなくなっても、夏は特別だ。
無意味に夏をどう過ごそうかとワクワクする心が止まらなくなる。

折角、一時代の終わりを自覚的に過ごすことが出来るのだから、
特別な夏をもっと特別にしたい。
そうは思うが、いざ何をしようかと思うと、悩んでしまう。

童心に帰り子供のような夏を満喫しようか。
大人らしく上等な世界をを経験してみようか。

本屋ではもうすぐ文庫の特集が始まる。
100冊全ては無理でも、読書に励んでみようか。
子供の頃のようにキャンプや海に行ってもみたい。
浴衣で宵町、夜店を下駄を鳴らし歩くのも乙だ。
打ち上げ花火を見るのも、しっとり線香花火を楽しむのもどちらも 楽しい。
フジロックや大地の芸術祭に行って、暑さと熱気を体感して夏を浴 びたい。ビー玉を落としたラムネ瓶のように、わくわくと漠然とした考えが はじけるが、これといった決め手がない。

今年は梅雨が早く、7月に入る前に終わってしまった。
そういえば平成最後の梅雨でもあったが、どうにも梅雨らしくなか った。
どの季節も平成最後の…と付ければ特別感が出るが、やはり一番は夏だ。

悔いなく夏を走り抜け、
来年の夏には
「あれは去年、平成最後の夏のことだった。」とでも
ラストサマーの話でもしよう。

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