才能の壁を描き切る穂積という漫画家

やっべえページを見た。
思わず、めくったページを戻した。

言葉が汚くて申し訳ないが、
「僕のジョバンニ」2巻のあるページを開いたときのゾクゾクする感覚を、率直に言うと、こんな感じだった。 直に言うと、こんな感じだった。

なんなんだ、このセリフ、この表情。
落ちるしかないだろう。

登場人物の百合子と同様に、私はこの作品の生みだした感情に、落ちた。

この作者の作品は、描写の綺麗さと心理描写の深さが巧みで、注目していたが、最近離れていた。
いや、正直に言おう。
1巻ラストの段階で、2巻に進む勇気がなかった。

この作者は連載になると「秀才」と「天才」の関係性を残酷に描いてくる。
あまりに残酷で、凡人である身につまされすぎて、読みたいと思えなかった。

前作「さよならソルシエ」では、圧倒的な絵の才能を持ち、現実世界からは浮いているヴィンセント、ヴィンセントの唯一の理解者であり、兄を受け入れない現実世界を変えようとするテオ。
この2人の兄弟を主軸に、ヴィンセントが世界に受け入れられるまでの軌跡を描いている。

凡人からすれば、テオは十分に頭がよく商才があり憧れる人物であるが、あくまで秀才の範囲内だろう。
そんなテオを優秀で凄い、と屈託ない笑顔で褒めるテオ以上のギフテッドを持ち合わせたヴィンセント。
つまり炎の画家 ゴッホその人。

兄に褒められた時のテオの感情は、どのようなものだったろうか。

創作活動を目指した、関わったことがあれば、一度は似たような感情を感じたことがある人は少なくないと思う。

同じものを見ているはずなのに、違うものが見えている相手がいること。
相手の見えているものこそが、自分の欲しかったものであること。

この作者は、直視するのが辛い感情を、圧倒的な描写力で描き切る。
兄弟がどのような感情の軌跡を描き、世界に魔法をかけていくのか、是非読んでほしい。
あ、勘違いする人は少ないとは思うが、残されている情報から作り上げられたフィクションだ。
これは史実の解釈であり、事実は不明だ。
ゴッホに興味を持った人は、関連書を読んでみてほしい。
こっちもこっちでなかなかドラマティックだ。

話を戻して、作者の「天才」「秀才」への目線は、今作「僕のジョバンニ」でも続いている。

チェロを弾く少年と、その音に導かれるように海から現れた少年。
自分に才能があると信じている少年の前に、圧倒的なギフテッドを持った怪物が現れるところで1巻は終わる。

前作は血のつながった兄弟で大人であり、画家と画商で立ち位置を変えていたが、今作では同じ土俵での勝負になっていく。

まだ未来が決まっていない少年が、「秀才」と「天才」の乗り越えられない壁を前にして、立ちすくむここの絶望感がとてつもない。
しかし、この壁を残酷なまでに明確に示しながらも、少年が生きていくことに関して、作者の目線は厳しくもどこか優しい。

ソルシエのような関係性も主人公の少年とその兄で描きながら、その先、同じ土俵で怪物に対する関係性を描き始めたのが2巻だった。
絶望から光に転じるその瞬間が、私が思わず閉じてしまったページだ。

この壁を乗り越えられない人は多い。
それに挑む決意をさせるそのシーンの強さと、あの一言の悲しさは、
どこまでも、美しい。

まだ咀嚼が出来ていないので、3巻は未読だ。
是非、壁を見たことのある人には、この壁を挟んだ二人の行方を読んでみてほしい。


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