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夜間非行 第33話

 忍とカヲルは陸雄叔父の営む軍鶏料理屋ビッグボスでクリスマスイブを過ごした。

「陸雄叔父さん、税務調査が片付きました。良い税理士を紹介していただき、ありがとうございました」
「お、おう。良かったな」

 忍が律儀に頭を下げたが、陸雄叔父は明らかに気が散っている。聖夜に忍とカヲルは二人きりではなく、父の富士雄を伴っていたことに衝撃を覚えたようだ。

「兄貴も一緒か。珍しいな。いつも別々なのに」

 陸雄叔父が探りを入れてきたが、べつだん深い意味はない。納税に足りない金額を父に肩代わりしてもらったが若干余った。どうせなら景気よくすべて使ってしまおうと思い、ついでに父を誘った。冷戦状態の父子が和解したわけではない。

「お世話になった人にきちんとお礼が言えるようになったなんて、しーちゃんは真人間になっちゃったのね。アウトローしーちゃんが品行方正しーちゃんになってしまった。人間と馴れ合わない孤高さが魅力だったのに、なんか複雑」

 カヲルは青森県の特産地鶏である青森シャモロックのローストチキンをたらふく食べながら、なんだか妙なことを口走っている。

「奢るつもりだったけど割り勘でもいいんだぞ、カヲル」
「たいへん美味しゅうございます。奢り最高!」

 ご機嫌で食べまくるカヲルと対照的に、父はむっつりと黙りこくっている。ここは取調室でもあるまいに、黙秘とはいかがなものか。父の白けた態度が気に食わず、忍は思わず喧嘩腰に訊ねた。

「父さん、なぜ首吊りに見せかける必要がある。俺ならハゲワシに食わせる。そうすれば骨まで残らん、なんて言ったの?」
「しーちゃん、それ食事のときにする話じゃないと思う」

 カヲルが慌てて取り成すが、忍は真っ直ぐに父を見据えた。

「答えてよ。意味があって言ったことなんでしょう。それとも単に警察がムカついたから口が滑っただけなの」

 無表情の父は泡立つスパークリングワインを見つめた。

「ハゲワシは個体数が激減している。人間の骨が残らなくなるまで食べ尽くさせるためにハゲワシを何匹用意すればいいと思っている。一匹、二匹では足らんぞ。数十匹は必要だ」

「ハゲワシに死体を処理させるなんて無理だと知りながら挑発したわけ。父さんがよけいなことを言うから、警察によけいな疑いをかけられたじゃん」

 父に反省の色は見当たらず、忍は呆れ果てた。

「そもそもなぜハゲワシが減っているのか知っているか」
「国家試験に出ないよ、そんなもん」

 死肉を漁るハゲワシは忌み嫌われる存在で縁起が悪い。個体数が激減していようと、忍にはさして関心のないことだった。

「国家試験に出ないなら知らぬままでいいのか。見下げた根性だな」

 父にばっさりと切り捨てられ、忍は憤慨した。これだから父と話すのは嫌なのだ。歩み寄ろうとしても、まともな話し合いになりはしない。

 カヲルは居たたまれないのか、無理やり会話を続けた。

「なんでハゲワシが減ってるんですか」

「ハゲワシを減らしているのは我々獣医師だ。家畜の鎮痛剤として用いる非ステロイド系抗炎症剤ジクロフェナクで治療されたばかりの家畜の死肉を食べたハゲワシは腎不全で数日後に死亡する」

 人知れず父は獣医薬用のジクロフェナクの使用禁止を訴え、個体数を減らし続けるハゲワシの保護に奔走しているが、忌み嫌われる存在のハゲワシを守ろうという機運は高まらず、環境保護活動家の関心も引かないようだ。

「驕り高ぶった文明社会はハゲワシが減ってもまるで気にしない。だが、ハゲワシは地球の環境衛生を維持する掃除屋として重要な役目を負っている。アフリカのサバンナからハゲワシが消えてみろ。辺りは動物の死体だらけになり、伝染病が蔓延するぞ」

 人間にはありがたがられることのないハゲワシだが、その存在は地球環境の維持のために極めて重要であるという。

「ゾロアスター教は伝統的に鳥葬の風習があるが、ハゲワシが減り続けているせいで遺体処理が追い付かず、鳥葬を選ばないケースが増えている」

 父は堰を切ったように話し始めた。

「ゾロアスター教は拝火教と呼ばれるように火を神聖なものとして崇めている。霊魂と分離した遺体は放っておくと悪魔に支配され、不浄なものとなるとされる。そのため遺体は早々に処分しなければならないが、不浄な死体を焼くことは火を穢すことになるため火葬は厳禁。穢れた死体を大地に接触させることになるため土葬も厳禁。風習に従って鳥葬を選択しても、ハゲワシが足りないせいで遺体はそのまま放置されて腐敗し、見るも無残な姿になる。太陽熱を利用し遺体の分解を促進する方法もとられたが、雨期は十分に機能せず、住民から異臭に対する苦情も出た。信者の中には電気式の火葬場を選ぶ者もあるが、拝火教の教義に反するという批判もある」

 忍は内心ゾロアスター教なんて知らねえよ、と思ったが、母の栞が中東イスラム史を学ぶ学生で、ゾロアスター教研究室に所属していた、という事実を耳にしたことを思い出した。母はちょうど今の忍と同じ年齢でスキルス性胃癌を患い、若くしてこの世を去った。

 若くして亡くなった母、悪魔と罵られた父、そして鳥葬。

 ここから導かれる推論を口にするのは躊躇われたが、曖昧にしたままにもできない。忍はごくりと唾を飲み込み、神妙な面持ちで訊ねた。

「父さんは母さんを鳥葬に付したの?」

 止めどなく喋り続けていた父が無念そうに言った。
 喪に服すような厳粛さで、ただひと言。

「そうしてやりたかった」

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