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【つぶやき】今はもう、”知らない”ことを”知っている”から。

 「私は何も知りません。何を聞かれても分からない。でも、知らないということを知っているから、私は学び続けるのです。」

 古代ギリシアの哲学者ソクラテスは、真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まると語りました。

 得てして人は、私も、自分が知らないことを”知っている”と思い込んでしまうことがあるのだと、思います。物事を知る前に感覚で結論を下したり、偏見で否定したり、自分は出来ると思い込み学びをそこで終えたり...。

|カンボジアで出会った青年

 私は数年前、大学受験塾の講師として、カンボジア・プノンペンの日本人学校に訪れました。そんな私の目に飛び込んできたのは、年齢関係なく、一同に会した生徒が熱心に日本語を学ぶ姿。すると、17歳の男の子がきらきらと輝く目でこう言いました。

 「僕は、家族を養うために日本に行く。だから日本語を勉強しているけど、知らなかったことを学べるから、とっても面白いんだ」

 現在、平均年齢が24歳と圧倒的に若年層が多いカンボジアには、1970年代の大量虐殺という歴史があります。

 「物事を知り考えることが出来る人」は政権に反対する可能性があるという思想のもと、子どもすら容赦なく虐殺されてきました。私がカンボジアで出会った青年はその歴史を知った上で、自分が学べる有難さを知っていました。

 彼は自分が勉学に無知であることを、人生の楽しみにすら変えていたのです。

 一言では例えがたい感動と悲しみを覚えましたし、自分の甘さに唖然。私は彼のようなキラキラした目で、一度でも黒板を見つめたことはあったのかな・・・。

 講師をつとめる私は、自分の知や勉学量についてそれなりの自信がありました。しかし、学びに大切なのは知識量ではなかったのです。

 彼が私に圧倒的に勝る点、それは知らないことを知ろうとする姿勢です。勉学に対し有難いと思うどころか、当たり前とさえ思っていた自分を恥じました。ソクラテスの言う、自分は出来ると思い込み学びをそこで終えていたのは、まさに私だったのです。

|知らないことを知ること。耳を傾けること。

 年始に放送されたスペシャルドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」では、選択的夫婦別姓や無痛分娩、人から押し付けられるジェンダー観など、一人ひとりの考え方の違いや、人の多様性などがとても上手に取り上げられていました。

 「大人になると、自分が偏見の塊だったなぁと思う」というセリフ。

 大切なのは1つの価値観で賛成・反対を語るのではなく、それぞれの善し悪しを学ぶこと。

 知らないことを知ろうという姿勢なのだなと痛感しました。

 一人一人が自分で考え、結論を下すこと。それを受け入れる社会を構築すること。その大切さを学んだ瞬間です。他人事だった人たちも今、ゆっくりと、しかし着実に現実への無知と向き合い初めています。

 自分の行動に責任を持てるように、私たちは常に、現実への無知と向き合いたいなあと、改めて感じました。

 すこし話は変わりますが、レイ・カーツワイル博士によると、2045年、科学技術が人間の知能を超えると言われています。さらに、ノーベル賞受賞物理学者のホーキング博士は、人類の終焉は科学技術により引き起こされると予測しているのです。

 「人類は今、核兵器よりも危険な悪魔を呼び起こしている。それは我々人類の終焉を意味するであろう。」 

 しかし、これも知っていればこそ、私たちを毎日助けてくれている科学技術との向き合い方を見出すことができるはずです。救いの手と信じているものが、突然破滅を招く可能性があるということ。

 過去を知り、未来情報を知ること。そして、自分で考えること。


|学ぶ驚き、考える喜び、向き合う努力、綴る幸せ。

 歴史、政治、哲学、科学。それ以外にも、世の中には大切なことが山ほどあります。私にはまだまだ、知らないことが山ほどあります。

 「自分自身が無知であることを知った人間は、そうでない人間に比べ賢い」。

 ソクラテスはそうも言いました。

 無知であることは決して恥ずかしいことではない。先入観や偏見から自由であることをも意味するのです。無知だからこそ人は、カンボジアで出会った青年のように、知り考える喜びと学ぶ楽しさがあるのかもしれません。


 もしも、危機に直面した際、わたしは愛する人を守れるかな。家族、友達、恋人、はたまた自分自身・・・。 

 遭遇したことの無い境遇から逃げず、愛する者を守り乗り越えるために、情報を知り、学び、生きていきたい。

 無知の知は、愛する者を守るためにあると私は解釈しています。
 無知であればこそ、学ぶ嬉しさがあるのかも・・・しれないです。

 私はこれからも自分の無知と向き合いながら、夢だった小説家・ライターとして、自身の無知と向き合い得たことを綴っていきたいと思っています。

 ーーー学ぶ驚き、考える喜び、向き合う努力、綴る幸せ。

 果てしない希望の中、無知を学び続ける自分でいたい。
 もう、知らないことを知っているから。

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