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すずめの戸締まり 初見時の感想

を、当時鍵アカのふせったーに載せたことを思い出したのでまるまるそのままこちらに再掲することにした。

当然めちゃくちゃネタバレを含みます


1つ目の伏せツイート

予告で「今から沢山、人が死ぬ」って言ってたネコ絶対悪者だと思ってたから最後の最後までネコがマジで怖かった。黒いネコ(サダイジン)もめっちゃ怖かった。だって真っ黒だし目がデカいし。(目がデカいと割となんでも怖く感じてしまう人)
ダイジンがすずめに「嫌い」って言われてしおしおになった後、そうたさんのおじいさんの元に現れたのが一番最初にサダイジンが出てきたタイミングだったと思うんだけど、普通にダイジンが闇落ちしてなんかやばい姿になったもんだと思ってたし、なんでおじいさんそんな普通にしとん??てか、すずめに着いていってあげてって、え?じゃあ結局味方なの??みたいに私めっちゃパニックになっちゃった。

まあでもチャリンコのカゴに収まってる二匹はかわいかった。

ダイジンのことが私は一ミリも理解できなかったんだけど、感想ツイを見てて少しだけ理解した。でもよくわかんないことは多い。
要石から解放してくれて、食料を与えて「うちの子になる?」って言ってくれたすずめのことが好きになるのはわかる。
逆に要石に戻そうとしているそうたさんが嫌い(邪魔)なのもわかる。
前半(東京に行くまで)が別にダイジンが後ろ戸を開けていたわけではなくて、寧ろ開いてしまう場所に誘導していたのもやっとわかったし、多分それをわざわざ説明しないのはダイジンが神様故の、この一連の出来事があくまで自然の摂理というか、ダイジンからすれば何人人が死のうとどうでもいいんだろうな、って。
なんでもいいから「すずめが自分に構ってくれて追いかけてくれる」ことだったり、「すずめの目的(=後ろ戸を閉める)の手助けをすることで褒める=愛情を注いでほしい」ってして欲しいみたいなそんな思惑?なのかなと思えば理解はできる…かなって。
でも東京での行動は全然わかんない。何がわかんないって全然わかんない。まあでも神様思考の「何人死んでもどうでもいい」が根本にあって、結局すずめとの追いかけっこの延長でしかないのかもしれない……人間にとってミミズは災害の根源で、危険なものだけど、ダイジンとかの神様にとっては別に取るに足らない存在なんだろうな……

でもわからない、理解しがたいこと=人間と神様の感覚の違いというか、そういうわけなのかな…とも。「神様のきまぐれ」なんてそうたさんは言ってたけどまさにそんな感じなのかな。

もうとにかくクライマックスで東北の扉にくぐる直前、ダイジンが味方?なのがわかるまでマジでこのネコ何しでかすか分かんねぇの恐怖でいっぱいだった。

この言葉足らずな部分も所謂「異形の愛」故なのかな…(○○かなしか言ってない)


じゃあなんでクライマックスで突然あからさまにすずめたちの手助け(ミミズが後戸から出て行ってしまわないようにする)をしだしたのだろう。サダイジンは東京で何してたん……?ああでもすずめの手助け以前に要石の使命として扉から出ようとするミミズを食い止めるというのがあるから、サダイジンはあくまで自分の使命として食い止めていて、んであのクソデカネコ状態は常世でしかなれない、みたいな部分があったりするのかな。でもすずめが東京上空から落ちる時にダイジンはボフってデカネコ状態なってたもんね…?どういうことよ……
1つあるだろうなっていうのは、ダイジンはまだ幼いっていうのがあるのでは?ということ。サダイジンは成猫っぽいというか、デカいし。体四倍くらい違くない?
サダイジンは要石としての自分の役割を理解してるし全うするからみみずを食い止めるし、ダイジンはまだ幼いから要石を放棄してしまった、とか。
(あれ、サダイジンってしゃべったっけ)

二回目あるならネコへの恐怖心を無くして観たい。




後ろ戸を閉じるのに「その土地の声を聞く」ことが鍵?になってくるわけなんだけど、東北の時に「いってきます」しかなかったのにめちゃくちゃぞわっとした。みんな帰ってこなかったんだ。



正直鑑賞中は完全に怖さに乗っ取られて、物語の意図とか細かいところを考えていられなかったので、他人様の感想ツイート見てあぁなるほどね…となっている。二回目見ることで後半と前半の結び付きというか、がわかってくるかなって気はしてるのでやっぱり二回目見たいなぁと。
もっといろんな感想あったはずなのに全然出てこないや。燃えてる常世めっちゃ怖かったね。エンドロール中息が上がって仕方なかったわよ。


2つ目の伏せツイート

人外が人間に好意を向けた結果のあの歪みだったりおぞましさ(あくまで人間が受け取った故の感覚)ってそれはそれで美しいというか、そりゃあそれが性癖な人が現れるしなんかその感覚わかる気がする。人外……

追記
人間には受け入れてもらえない愛し方よ…


3つ目の伏せツイート

(人外について。すずめの戸締まりを観て思ったことではあるけどネタバレではない、一応伏せる)
シンプルに人間の「好き」と人外の「好き」って根本から違う感情なんだろうなぁと思う。人外の言うそれは恐らく「恋」ではないだろうから

追記
愛とかなんだとか、恋愛感情とか、なんかそういうのとは違うんだけど……でもこれは一応「好き」って感情ではあるな、みたいな。そういった感情を抱いたことがあって。結局それを「好き」と伝えながらに「もしかしたら他に形容できる言葉があるのかもしれないけれど、私の持つ言葉の中にそれがないから、好きという言葉にした。ごめんね」なんて(クソみたいな言い訳を)付け足した過去があるので、なんとなく理解できなくはないというかそれに近いんじゃないかなって。

人外モノについての造詣は全くもって深くないけれど、多分それらの「好き」の発生条件って自分を何かの縛りから解放してくれることのような気がしてて。例えるならばたまごから孵った雛が一番最初に見た存在を親と認識するとか、そういったもののに近いような気がしてる。

親しみとかに近いのかな。仲間意識ともまた違ってて。形容するとしたら「恩人」という存在なのかな、人間は常識とか理性とかがあるから人間のルールの元の「正しさ」でそれを返そうとしたりするけれど、「人外」じゃあそんなものないよね、と。人外の正しさも常識も人間に当てはまるわけがないからすれ違って当然だし、本来人間が理性や常識で押しとどめる手段でそれを返すわけですよ。

しかも助けてもらえた存在なんてその人、たった「一人」しかいないわけで。
沢山いる人の中で「その人だけ」が「自分」を解き放ってくれたのだから、「その人」が「自分」を特別視してくれているだろうと感じるのだって当たり前すぎるんだよな。


あれ、私人外だったんかな…


4つめの伏せツイート

すずめの戸締まり
考察ツイを巡った結果悪者はいないってわかったので、登場人物みんなの心象ちゃんと掬い取れるだけ掬い取るためにもう一回観たいです

追記
マジで歪んだ目、先入観でネコたちのこと見てしまったので申し訳ないし、すずめの叔母さん(環さん)の気持ちとかもちゃんと考えたい。

ダイジン…ダイジン……お前は…勘違いしちゃってごめんなぁ……

この物語のある種「悪」にされてるミミズだって別に自我があるわけじゃなくて、世界の理みたいなものであって日本という地そのものが抱えてこれからずっとついて回るものなのだから、ミミズも悪くないというかさぁ…
民俗学全く分からないのであれだけど

君の名はも天気の子も「悪」なんていなくてそこにあるのは「(人間の力じゃ本来どうにもできない)災い」だったのに、私は勝手に心の中で悪を生み出してしまったのだと思うと監督に申し訳ない気持ちさえ芽生えてくる。何のために監督が作品を生み出してきたのかと…


おわりに

この後2回目見たけどその時の感想がない。どうした
新海誠作品は私は好きなことが多いな。まず画が綺麗だし、日常の中ですぐ隣にあるものを超常的な描き方をすることでフィクションだと言い聞かせ楽しもうとする気持ちと「ただ自分が知らない側なだけなのではないか?」という気持ちの狭間で揺れ動くため、創作物として楽しめるしその余韻がとても長い。し、心地よい。
でもこのすずめの戸締まりは結構パニック要素があったので精神的にはかなり消耗したし、見たあともしばらく引き摺った。
まあ今更追記することは特にない……とりあえずケツになんか書くか〜と思ったからなけなしの記憶で書いてしまった。金ロー見れなかったし……
私は好きだよこの作品。好きという表現が正しいかはさておき。

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