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誰かにとっての「悪者」になること

『この話は誰にも言ってほしくないんだけど』

『〇〇ちゃんには言ってほしくないんだけど』
『〇〇仲間には言ってほしくないんだけど』
こういう切り出し方をされて、ディープな話をされたことがあるだろうか?

私は何度かある。最近もあった。

ディープな話は、心の一番奥の引き出しに入れて、取り出しにくくしている。
たまに何かの拍子で引き出しが前面に出て、思い起こすこともある。
そんな時は黙っているか、誰かに問いただされても、知らないふりをする。

たとえそれが、自分にとって不利な状況になってしまおうとも。

父のビンタ

『一緒にあそぼう』

小学校低学年の頃、少し上のお姉さんにそう言われて出かけたところ、町中を連れ回されたことがある。
35年前に携帯電話なんてものはなく、腕時計さえ持っていなかった。
通りかかった公園やお店の時計を見て、お昼を過ぎてることは分かっていた。
早く帰らないと怒られる。

「お昼だからもうおうちに帰るね」
そう言っても無視され、知らない道を歩き続けた。
なぜ無視されるのか分からなくて恐かった。
「帰り道が分からないので、おうちの近くまで戻ってほしい」
何度も何度も、懇願した。
しかし、彼女は無視し続けた。

長い沈黙のあと、ようやく彼女の口が開いた。
『誰にも言わなかったら帰してあげる。』

その言葉に私は飛び付いた。
「ぜったいぜったい言わないよ!約束する!!」
「だから…お願い…!」

なんだか大回りしている気がしたが、見覚えのある道に出た。
彼女への挨拶はほどほどに、そこから家まで猛ダッシュした。
ああ、きっとお父さんもお母さんも怒っているだろう。
ぶたれるかもしれない。

息を切らし、家の玄関を開けると、母が出迎えた。
安堵の顔からみるみる鬼の形相へ。
『どこに行ってたのよ!お昼になっても帰ってこないで!』
そう怒鳴られ、当たり前のように頭をバシン。

いてて、ああ、やっぱりぶたれた。

あと少しで警察に通報するところだったこと、
父は怒りながら仕事へ出かけたこと、
こんな日に父は明日の朝まで帰ってこないこと、
どんなに心配したか迷惑したか…
そんな愚痴を母が落ち着くまで、黙って聞いた。

よかった。これで終わった。
お父さんに会わなくて済んだ。

あくる日の朝。
2階の自室にいると、私の名を叫ぶ声が聞こえた。
父だ。

階下の居間に入ると、スーツ姿の父が立っていた。
『昨日はなぜ昼までに帰らなかったんだ?誰と何をしていた?』
冷たい口調で迫られた。

"誰にも言わなかったら帰してあげる"

昨日の彼女の声が心の中で響く。
胸が締め付けられた。

ここで真実を告げたら、お父さんは彼女とその親、そして警察を呼び、事件になるだろう。
彼女にもがっかりされたくない。また意地悪されたくない。

身体にこびりついたじめっとした想いが、口を開けることを拒んだ。

黙って一言も口をきかない私に父は、
『何も話さないんだな?
 よし分かった。歯を食いしばれ。』

そう言って、私の左の頬を思いっきり叩いた。

キッチンから状況をうかがう母。
窓のカーテンから漏れるオレンジ色の光。
薄く流れるテレビの音。
あの瞬間の光景は、今でも忘れない。

あの子が家にやってきた

左頬のズキズキを気にしながら、父と週末に約束した、大豆を使ったお箸の練習をしていた。

ピンポン

玄関のチャイムが鳴り、母がドアを開けた
『あら、◯◯ちゃん』
前日、私を連れ回した子だった。

『あっこちゃんいますか?遊びに行こうと思って。』

その声を聞いた父は、私を連れて玄関へ向かった。

え…今日も連れ回すの?
喋ってないか様子見にきたとか!?

ビクビクしている私を横目に父がこう言った。
『昨日お昼にちゃんと帰ってこなかった悪い子だから、しばらくは外に遊びに行かせないことにしたんだ。』

『へー、そうですか、分かりました』
そう言って彼女はあっけなく帰っていった。

ドアが閉まると同時に、身体の力がガクッと抜けた。

私が悪い子にさえなれば、なんとか丸く物事が落ち着くんだ。

よかった。

そう、思った。

大人になって

35年前の、もう名前も覚えていない子との約束は時効だろうから、ここで公にしてみた。

大人になってからいくつか聞いた『誰にも言えない』話に時効はないだろう。
あるとすれば、その相手が亡くなるまでだ。

事実を話さないことで誰かが私を"悪い子"扱いしたとしても。
矛盾が生じて不信感を与え、私が"嫌なヤツ"になったとしても。

私は、話さない。
話せない。

それぞれの"事情"

いつでもだれでも事情がある。
人に言えない事情がある。

物事の真実を知ることなんて永遠にできないだろう。
掴んだと思ったその真実も、所詮は自分や身近な人々にとっての都合の良い解釈だ。

あなたの真実と私の真実は違う。
私の見えているものとあなたの見えているものは違う。

それらの違いをよくよく理解しながら、
拒絶せず、うまいこと関係の濃淡を調整し続けていくことが、
日々の生きやすさに繋がる気がしている。

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