最近おもうこと。

生きているという自覚がない人が少なすぎること、死ぬことをはるか遠い未来に思っている人が多いこと、けれどそれらが悪いことではないこと。

自分が経験している人間関係においての悩みは出てくる、それの解決策を練る、他人にも相談をして、こころを痛め、それについて深く考えたりする。
けれど、自分が経験しているはずの生きていることについて、悩む、をしている人は少ないとおもう。何故って、自分に生きてる自覚がないから?僕はそう考える。
人間関係、コミュニティに属している自覚があるからそれを悩む、じゃあ生きていると自覚、実感していれば生きることを考えてもおかしくないんだ。
そして、この話をしていくと子どもを授かる話も少しずつ絡んでくる。それはまた今度しよう。

もう一つ、死ぬことなんて本当にいつかわからないんだ。
最近、知人の過去の話で、高校生の頃、友人がくも膜下出血で死んだ話をきいた。急性だ。若くても突然死ぬんだ。事故だったり、事件だったり、病気だったり、地震だったり、火事だったり、ミサイルだったり、他人だったり、言葉だったり、自分自身だったり、そういったものに、突然殺されるんだ。
数秒後すら約束されないこの世界で、明日がくると思っている人が多いんだ。
そして、命を尊重しろと言うくせに、自殺は許されないこと、みたいな、そういう考えが心底嫌いだ。自殺とは、その人の命そのものだとおもうから、その人の想いだとおもうから、誰かが簡単に否定していいものではないんだ。

けれど、生きていることについて考えないこと、死ぬことが身近にないこと、それが悪いことではないよ。未来の話をする、それで今日も生きていられるというのは、それがその人の生きる理由だったりするんだ。僕はそれをいいことだとおもう。
ただ、こういう話をできる人が少ないこと、こういう話をすると、そこまで詰めなくてもいいのではないか、という人がいることも事実なんだ。討論って、楽しいのにね。
僕はニヒリストで終末思想だけど、そういう話をすることには価値があるとおもっているよ。いろんな人の話を聞いて、僕の引き出しが増えたら、生きることについての考えが変わるかもしれない、そういう期待だってある。

誰に殺されるかわからない宇宙で、僕は、誰かの何かを刺せる言葉を、紡いでいこうとおもうんだ。

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