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吸血鬼を二郎系に

吸血鬼を二郎系に連れていけばしぬ。
にんにくは太古より魔除けに用いられてきたもので、遠い未来、二郎系店舗はドラキュラの軍勢の敵意を真っ先に買い、見事返り討ちにするだろう。
もつ鍋の匂いで気が狂うため、吸血鬼は博多に住めない。
イタリアもアーリオオーリオは即死呪文だ。
ペペロンチーノのペペロンは「撃滅」、
チーノは「魔物」という意味だ。
「ボナペティート」と言うのは神への祈りを表していて、昔の聖職者が魔を払い除けるため自らを鼓舞する際に唱えられる呪文が由来になっているらしい。こんな嘘を書く暇で家の掃除でもすればいいのに。



晩御飯。
独り暮らしの、いや、孤独な人間にとって共通のテーマかもしれない。
談笑する相手がいるかどうか、体験を共有し合える者の有無、
それは食事の味をめっきり変えてしまう。

"マヨネーズをかけたパック米"
それくらいしか今日はできなかった。そんな日が誰にだって何度だってあるだろう。


料理は得意な部類だと思う。自分のなかで、生活を維持するにあたって一番恩恵を受けている能力だ。
人と比べて秀でていると思う。だから自信もある。
苦手ではない。が、

家事というのはモチベーションどうこうでは進まない。
性格的にも「必要なことこそ寧ろ捨て置こう」としてしまう。必要なことをきちんとやるのが何となく癪で。
「それやらないけど俺は幸せだし」って言ってたい。今になって自分は傾奇者だと実感した。
そうだともっと早くわかっていたら伊達政宗を参考にしてもっと上手く世を渡っていただろうに。

常に「それはどうかな」と言いたい。

「復讐はなにも生まない。だから無意味だ。」
と言われれば、
「無意味なら無害だし、やろう。」という。

「過ぎたことをいつまでも引きずっても仕方ない。」
と言われれば、
「引きずっていない。抱えたり背負ったりしている。だかられっきとした荷物だ。」という。

「過去は変えられない。でも未来は変えられる。」
「過去は解釈の解像度や理解量で変わる。
寧ろ、運命的に決まっていることだってきっとある。どうしようもない未来だってあるのだ。
(どう足掻いても死んだ人は生き返らないのだから。)」

「人類はみんな神の子であり兄弟だ。」
「だからなんだ。家族でも殺し合える。
つながりじゃ寒さも暑さも飢えも雨もしのげないのだ。」

「他人を憎んでも自分の心を蝕むだけだ。」
「その何が悪い。」

「価値のない人間なんかいない。」
「価値って何基準で話してんだよ。」

「人生に無駄なんてない。」
「まずどうだったら無駄なんだよ。何が有益とかお前が決めんな。」

ああいえばこういう。

詩の嘘を問い詰めて、諦められたものに期待したい。
泥団子を磨いたり宝石を粉々に砕いたりしていたい。
桜のない春、雨一色の夏、
朽ちきった秋、蒸し暑い冬、
それらを何一つ憂いずに愉しみたい。
悪魔にも神様にも平等でいたい。
いつかお茶でもしてはどうだろうか。契約とか抜きにして七輪囲んで秋刀魚とか食べよう。俺山羊座だし。服、黒いの多いし。一緒に晩御飯を食べて欲しい。
味の話とか、全然関係ない話とかしよう。
他愛ない話の方がいい。
なるべく、価値のない話のほうが嬉しい。
その話に意味がなければないほどいい。別に意味があっても楽しければいい。

そしてもし、一緒に晩御飯を食べるような存在がひとついれば、少なくとも晩御飯がマヨネーズご飯なんてことにはならないはずだ。
これじゃあまりにも、感想も殺風景になってしまう。

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