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ポスト印象派のゴッホとリアリズムのG・エリオットの「労働」について雑記|絵画と文学

多くの日本人が大好きな画家、ゴッホ。
と、イギリスの大作家、ジョージ・エリオット。一見全然関係なさそうだが、ゴッホは彼女の作品に感銘を受けたという。弟への手紙に記載があるようだ。

転居や転職(?)を繰り返したうえ生前は全く売れなかった画家と、生きている間に自身の不倫に対する批判も吹き飛ばすほどの名声を手に入れた女流作家。
ポスト印象派とリアリズム。

ゴッホが読んでいた、それはどの作品だろうか?
『サイラス・マーナー』とかだろうか?ゴッホの作品には、何か影響をもたらしたのだろうか。
気になったので調べてみた。

エリオットのどこに惹かれるの?

そもそも、オランダ出身のゴッホはなぜイギリスの小説を読むようになったのか。

ゴッホのキャリアの出発点は画商である。
1870年代、彼は画商としてロンドンで勤務した。支店を異動するためわずか数年でイギリスを一度去るが、その後さらに異動を経て彼はキャリアを転換。イギリスに戻り、数ヶ月間教師として働いた。

この間に、もともと読書を好んでいたゴッホはエリオットの作品に触れることになる。
当時エリオットはまだ存命で、時期としては最後の長編の『ダニエル・デロンダ』の出版くらいにあたる。すでに『ミドルマーチ』で大作家としての評価を確固たるものとしたあとだ。

他のイギリスの小説家だと、ディケンズ、シャーロット・ブロンテも読んでいたようだ。英国文学の巨匠たちの名前は、概ねゴッホの20代の記録に登場するという。

ロンドンで働きながら読んだ『牧師館物語』や『アダム・ビード』は、ゴッホの聖職への憧れを掻き立てたという。
エリオットのことを、彼は絶賛していたようだ。

しかし、敬虔なプロテスタントだったエリオットは、この2作を書いた時にはすでに信仰を捨てている

その後書かれた『サイラス・マーナー』は、強い信仰心を持って真面目に生きてきたにもかかわらず不遇であった老人が、孤児との出会いをきっかけに幸せな生活を手にする物語。

極めて寓意的なストーリーの小説だが、なんと超序盤で、宗教を基盤とする共同体のシステムが極めて不確実な伝承や迷信で成立していることに触れている。
決定的な出来事が、作中で若かりし頃の主人公をどん底に突き落とす「くじ引き」であった。最終的に主人公を救うのは人との真の絆であり、愛である。

ゴッホが真に共鳴していたのはほんとうに「信仰」なのか?というのはちょっと疑問である。

自然と共に生き、働く人への共鳴の違い

ゴッホの初期の作品は、バルビゾン派(そしてそこから生まれたハーグ派)、特にミレーの影響を強く受けている。
ゴッホによるミレーの作品の模写は20点近く残っているという。また、初期の油彩画の暗めの色彩はバルビゾン派の画家たちに倣ったものになっている。

自然を実際に観察しつつ、さらにその中で生きる農民の風俗をありのままに描く写実的な画風を特徴とするミレー。
聖書にも関係する《落穂拾い》など、貧しい農民たちの苦しい生活のなかに垣間見える崇高さを描く。

ゴッホは長きに渡ってミレーを敬愛していたようだが、特にゴッホの後期の画風とミレーでは、ちょっとちがいを感じる。
それは、労働者をありのままに描くか、より象徴的に労働者を取り扱うか、ということである。

農家の生まれだったミレーは、農民たちの生活やこまごまとした仕事の様子を緻密に再現した。
ゴッホは農業に従事する労働者たちの生活を描こうとし実際に取材を行ったようだが、後期の《種まく人》のようにエネルギッシュな表現を行うなど、より象徴的な描き方になっていく。

作家エリオットの「労働」の描き方

ここからは個人的な考察になる。

労働者たちの生活を実際に見て緻密に描写しているという点では、対象が都市労働者になってしまうがエリザベス・ギャスケルの社会小説のほうがミレーに近いのかもしれない。
ギャスケルの場合はマンチェスターなどで生活する工業労働者の置かれた劣悪な環境についての問題を社会に提示する意図があった。

ディケンズについては、そもそも自身の幼少期が経済的に苦しいものであったために、ハードな肉体労働を実体験している(しかしこれも都市部での労働である)。
『クリスマス・キャロル』のような作品は別として、孤児や労働者階級人々の生活を詳細に描き、社会課題を明らかにするという点ではギャスケルと共通している。

エリオットはどうか?
私が考えるエリオットの小説の醍醐味は、手を動かし汗を流すタイプの労働者が誠実に生きる姿へのリスペクトと愛情である。
しかし、エリオットの作品もまたゴッホと同様、「労働者の生活を直に取材し、ありのままを表現すること」を目的としていないのかもしれない。

『ミドルマーチ』では、中産階級の女性ながら肉体労働を苦としないメアリと、親から強制された聖職の道を諦めて農業の分野で才能を開花させるフレッドのカップルを登場させたが、彼らの労働の風景や仕事の様子を詳細に描いているわけではない。

メアリについては職業選択の誠実さ、フレッドは仕事を通して彼自身の怠惰な性質が改められる過程がクローズアップされ、この2人の恋愛模様は大変美しいポイントになっている。

エリオットは労働者と労働そのものというよりも、仕事を通して垣間見える人間の心の美しさや成長、「善く生きる」姿に焦点を当てて繊細に描写している。

エリオットを「善意に満ち溢れた作家」と評するゴッホ。
彼の後期の労働者、そして労働の描き方。自然の強いエネルギーと農村で生きる人々を扱った、明るい色彩が目を引く後期の作品は、エリオットが造形した「善く生きる」人々のイメージに通じるところがあるかもしれない。

その「善さ」は「信仰」に関係するものなのか?それとも彼の道徳観など別の価値観によるものなのか?

キャリアの転換の過程で、彼は当時リアルタイムで大きな盛り上がりを見せていたフランス自然主義文学も好むように。
その辺りも読んで、もう少し深ーく調べたい。

↓今回の参考↓

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