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元夫の急死から2週間と3日彼が居ないことが嘘みたいなGW

4月20日元夫が突然亡くなりました。(亡くなる前後のことはまた改めて書こうと思う。)
その日から2週間と3日が経ち、私は今日久しぶりに人間らしいことをした。マツエクに行きネイルサロンに行ったのだ。自分のなりふりに構うのも自分のために時間を使うのも何日ぶりだろう。しかし何かしら傷ついたり悲しくなるできごとが日常にはゴロゴロ隠れている。(2週間と3日じゃそれが当然)
朝、突然洗面所の入り口のドアが壊れた。上部からぶらさがっているドアが床のレールに沿ってスライドするタイプなのだが突然床の突起が取れたのだ。子供たちが床に這いつくばって覗き込みなおそうとしてくれるも無理っぽい。すぐメーカーさんに電話。自分でなおすならどういう風にしたらいいかやり取り、しかし本日中に対応は難しそうとのこと。こんな時元夫がいたらいとも簡単に直してくれただろうに。以前もトイレが詰まった時電話をすると隣からすぐ飛んできて直してくれた。困ったことがあると元夫を真っ先に呼び出し助けてもらっていた。あぁ辛い。しかしとりあえず今はメーカーからの連絡を待つほかない。
私は泣きまくってボロボロだったマツエクを直しにサロンへ。前回夫の事で急なキャンセルをしてしまったため「ご家族に不幸って誰が亡くなったの?」としつこく問い詰められた。何度も「今は話したくない」と伝えたが「大丈夫?で、誰が亡くなったのよ?おじぃちゃん?」と続く。「そんなところ。」と濁すも「誰か?」を確認するまで終わらない。「この話は今はしたくない」と伝えると、その知り合いは「なんの秘密主義だよ」と言わんばかりに(言われてはいない。そういう空気だ)機嫌を損ねた。その後はこちらが他の話を振っても「ええ」を繰り返すだけ。何故あなたが機嫌を損ねてるのか?私が何故気を遣わなければならいのかわからなくなり、相手にするのを止めた。あからさまにため息をつかれたりしたが私はお客なので関係ない。施術中は睡眠不足を解消しようとひたすら寝た。お陰でたっぷり寝られた。
(元)夫ならきっと「言う言わないは君の自由。不機嫌になってもこちらに害はないから気にしなくていい」と言うだろう。そう思うとスーッと心が楽になった。
次に通りを挟んだビルでネイル。伸びきってみっともないことになっていたお爪をキレイにしに行った。ネイリストの方が気さくで話が盛り上がった。久しぶりに知らない人と話して笑った気がする。途中から「男性」の話になり彼氏やお父さんの話がでてきて、私は普通に夫の話をした。
広島で本場の広島焼きを食べながら夫(「元」は以下省略する)から「ママのお好み焼きの方が美味しい思うけどな~」と言われた話をすると「すごくいい旦那さん!仲良しですね~いいなぁー」と言われ嬉しかった。「優しい旦那なんです」と答えた。
帰り道にお供えするお花を買った。分骨をしてもらった我が家の祭壇には花を欠かさないようにしている。何故なら夫は花をくれる人だったからだ。誕生日、入学祝、結婚記念日、何かあると私や子供にお花をくれた。
娘が一歳の誕生日「ママ1歳おめでとう」と私に花束をくれたのを思い出す。そんな喜ばせ方、どこで覚えたのか?私は自分では買わないが、夫からもらうお花は嬉しかった。だから子供達と「毎週パパに新しいお花を供えよう」と決めた。今日は母の日の関係で赤系の花とカーネーションが多かった。500円で小さな花束を買い夫が自分で作った花瓶に飾った。お供え物にはいつも娘がお菓子を置いてくれている。クッキーやチョコレート、ドーナツ。彼は甘いものが大好きだった。葬儀の時も棺には大好きだったチョコレートとコーラを入れた。
それから同じ敷地にある夫の実家へ行ってきた。彼が使っていた部屋に洋服が沢山あってそれを我が家へ引き取るためだ。彼は洋服が好きだった。衣装ケースに沢山の服が残されている。子供達には見覚えがない様な私たちが付き合っていた頃によく着ていたシャツや帽子。最近よく着ていた部屋着。買ったばかりで一度も袖を通されなかったロンT。子供達は全部ほしいと言ったしわたしも同じ気持ちだった。私は、夫が救急搬送されたときに着ていたスエットとTシャツを洗濯して着ている。そして夫が使っていた布団で寝ている。伴侶に先立たれた者がやりそうな行動を漏れなくしている。匂いがするからしばらくはそうしていたいと思う。ひと通り私物や洋服を引き取ってきが、私物のアクセサリーケースに結婚指輪があった。リングの内側に2004.○.○ S  TO  Kと刻まれている。私たちが付き合った日とイニシャルだ。持ち主が居ないとこんなにも何もかもが愛おしく感じるんだな。
一段落して娘が「コーナンに文具買いに行くけど、あ、、、パパおらんのやった」と言った。彼は車を出してと頼むと嫌な顔ひとつせず、なんなら娘に頼られて嬉しそうにいつも連れてってくれた。娘は仕方なく自転車で出掛けていった。私は洋服や私物をみてまた淋しくなって無気力に一人ぼーっとしていた。
夫が居るときは意地悪して誘ってあげず娘と二人でお買い物に出たりした。後から「今日は二人で○○へ行ってたんよ」と彼に話すと「えーパパも誘ってほしかった」と言う。そんなやり取りが好きだった。何をしても夫とのエピソードが浮かぶ。居てくれたらこんなだったのに、もういないやん、なんでやねん。と何故ループにハマる。居るときはウザかったのに、居なくなると途端に存在の大きさに打ちのめされる。彼の存在を忘れることなんかなく、居ないことに慣れるだけなんだと思う。今はまだ「なぜ死んだのか?」それで埋め尽くされてる。現実ではないのかも?と思うことさえある。自宅前で車の音がしたら「夫が帰宅したのかも?」と見に行っては落ち込む。
よく家族4人で行った「王将」へ夕飯にでかけた。もちろん3人で。家族連れでいっぱいの店内はどのテーブルもお母さん・お父さん・子供がいる。我が家のテーブルにはお父さんがいないことに急に泣きそうになるが、娘が「え?泣くの?(笑)」と言ってきたので何とか堪える。いつものように好きなものを好きなだけ注文した。今日は少し脂っこく感じたので娘にそういうと「パパがいないから味が違うく感じてるとか?」と言ったが「パパがいてもいなくても王将の味は同じ」と答えた。そして「今日はパパ抜き王将記念日。こうやって4人で行った場所にどんどん3人で行こう」と話した。思い出を塗り替えるのではなく、4人でも楽しい場所は3人でも楽しい!そう思いたい。そしていつも頼まないメニューを頼んだ。「4人での定番もいいけど、3人で新しいこともチャレンジしてまた新しい我が家の定番を増やそう!」と私が言ったら娘が「いいねぇ~」と言ってくれた。夫抜きで出かけることも有ったが「帰ったらパパに自慢してやる。うらやましがるだろうなへへへっ」という気持ちが3人の時間をワクワクさせていた。でも今は自慢する彼はいないし、呼びたくてもいないのだから淋しくて仕方ない。
夫のことを考えない日はなしい話題にしない日はない。「パパはこうだった」「パパがいたらたぶん・・・」我が家は今そればっかりだ。夫は人生でこんなに家族から求められ人気者になったのはこれが初めてかもしれない。人は居なくなるとみんなそうなのかもしれない。人生の期限は生まれた時からみんな決まっている(と私は思っている)。しかしそれがいつなのか知るすべはない。だからこそ今を大切に生きなければいけないし「ごめん」や「ありがとう」は先延ばしにせずすぐ伝えるほうがいい。44歳はまだ若い。でもきっと彼は幸せだったと思う。そう思わなきゃやってられない。私と結婚して子供たちに恵まれていろんなイベントごとをしてきた。家族4人の好みはすごく似ていたし、笑いや不平不満のツボも似ていた。元夫ではあるが、夫は紛れもなく私の夫だった。沢山愛してもらったし沢山愛してきた。最悪レベルにまで憎しみ合ってる状態の時もあったし籍も抜いたが、ここ半年ぐらいの我が家はどこのだれがみても仲良しな家族だったと思う。一緒に暮らさないという距離感と、経済的に独立したことがお互いの干渉と束縛と責任転嫁と依存を薄めてくれた。
通夜の時に職場でお世話になったという年配の女性が話しかけてくれた。「お子さんのことが可愛くて大好きでたまらないって話されてました。隣に住んでるけど引っ越せないって。それに元奥様とも距離を開けたら関係がよくなって今はいい関係なんだっておっしゃってましたよ」と、第三者から聞かされる本人の言葉ほど心を動かすものはない。私はその場に泣き崩れてしまって相手の方驚いて「変なこと言ってしまってごめんなさい」と言われたが、私はその話を聞けて良かったと思ったし、感謝を伝えた。そんなことを職場の人に話してたんだなと思うと嬉しかったのと同時に、そんなに大好きな我が子と引き裂いてしまったことを申し訳なく思った。
私が彼と出会って共に生きたのはたった18年間。娘は15年、息子は12年。そのうち2年間は別居していて、1年は離婚している。もっと子供の成長を見たかっただろうに。会いに出てこないだろうか?夢でもいいし庭の片隅に立っててもいい。今頃どのあたりにいるんだろうな。荼毘に付されたのはちょうど2週間前。つまりもう2週間彼の肉体を見ていない。そんなことこの18年間であっただろうか?別居中も離婚してからもたぶんない。いつになったら実感がわくんだろう。正直そんな実感湧かなくったっていい。


おしまい

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