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【エッセイ】たまに考える①

前回、自分の身に起こった出来事をダラダラ書いてみたけど、そういう内容ってやっぱり全然面白くない。

日常の出来事みたいな内容は、"誰が書くか"という点が最も重要だと思う。

例えば、有名人が書くエッセイなんかは、その人の普段見えない部分を読みたいし、そこに興味があるからで、全く知名度のない一般人の日常なんてどうでもいいのだ。


毎日、音楽のレビューを書いてきたけれど、時間が取れなかったり気が乗らない時なんかもあったりして、それでも何とか書いていた。

正月休んだけど、それ以外では3カ月続けられているので、毎日更新を止めたくないと思っている。なので、息抜きとして考えている事をテキトーに書く日も作っていきたい。


さて、日常生活の出来事は面白くないと言ってしまったので何を書くかというと、「自分の考え」を書こうと思う。日頃考えたりする事。


この間、ある音楽ライターがYOASOBIのアルバムを聴いて批評して、それがネガティブな内容だったため少し炎上した‥というニュースを目にして、実際にそのTwitterアカウントのツイートを読んだ。引用すると、

「アルバム通してちゃんと聴いた。この気恥ずかしさは嫌いじゃないんだけど、このビートの単調さと音色・音圧のショボさが世間で許容されてるのはちょっと信じたがたい。少なくとも家のスピーカーで聴く音楽じゃないですね」

と書いてあった。僕はこれを否定的な批判だとは思わない。しっかり聴いてから、この人の感性で評価しただけだと思う。


そりゃもちろんYOASOBIの音楽が好きな人が読むとカチンと来る文面だろうけど、そういう人にも好きではない音楽もあるはずだ。

じゃあ書かなければいいじゃん?と思う人もいるだろうけど、媒体が違うだけ。例えば飲食店で食事している時なんかでも、沢山の他人の雑談の中から、否定的な意見が耳に入ってくる事もあるわけで、発言する事自体が自由であるはず。

しかもしっかりアルバムを通して聴いてから評価しているので、しっかり批評になっていると思う。



僕が日頃からあまり好きではないのが、「その作品に触れた事がないのに否定する」という、風潮?みたいなもの。

音楽に限らず、映画や小説や漫画などにも言える事だけど、「流行っている作品」に対して、良いイメージを抱かない人が多い。


「アルバムの初めの方だけ聴いて合わなくて辞めた」とか、「2巻まで読んだけど面白くなくて辞めた」とかも好きではない意見だ。

気乗りしなくて途中で止まっている、とかはよくあるし許容出来るけど、2巻まで読んだ程度で作品の良し悪しなんて評価出来ないだろうと思う。

最後まで聴いて観て読んで、総括して批評しろよ!と思ってしまう。

しかも1度目は深く刺さらなくても、繰り返し触れる事で理解出来る作品だってあるし、そういうの含めて楽しいのに。そして何より、食わず嫌いはもったいないと思っている。


作品に触れなかっあり、作品以外の要素、人格を否定したりするのは良くないけど、しっかり向き合ったなら、言葉はキツくても発言する権利はある。

僕が最も嫌いなのが、「その作品を楽しんでいる人達を馬鹿にする行為」かな。

「その作品を好きな人ってそういう所がある」みたいな偏見とか、楽しんでいる人を傷付ける行為。そうと分かっていて、敢えて嫌味を言う人。

僕はいつもレビューで褒めちぎっているけれど、もちろん嫌いな作品もいっぱいある。それを選んでいないだけで、敢えて嫌いなものを真っ向からレビューしようとも思わないし。


‥と色々書いたけれど、別に何の事件も起こっていないんだけどね。ただ、僕の記事を読んで、いけすかない思いを抱いている人だっているだろう。

noteを更新した後、Twitterにもリンクを共有しているけれど、こういうブログ形式の良い所は、読みたい人だけ読めばいい所。

Twitterだと嫌でも目に入るからね。あと、短文でまとめるセンスが僕にはなかったりするので、ツイートでバスらせる人って本当に凄いと思う。

‥という

誰もが考えそうで考えない、けどちょっと考えるお話。

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